大東京三十五區

43.「隅田川風景」
  この鉄橋は、両国駅とお茶の水駅を結ぶ省線電車の高架線です。昭和七年七月一日から開通して、房総方面と東京市内戸の交通が非常に便利になりました。隅田川もこの辺になると、如何にも大川らしくゆったりとしていて、東京名物の一銭蒸気やら、帆をはらんだ荷足舟などが右往左往しています。鉄橋の遙か向こうに見えるのは蔵前橋です。



44.「吾妻橋」
  浅草雷門の近くにあります。震災前の吾妻橋は、日本の伝統的な木造工事だったので、地震には壊れずに火災に焼け落ちてしまい、ために逃げ場を失って無残の死を遂げた市民の数は非常な多数に上りました。この苦い経験によって、復興された橋梁は、何れも御覧の通り鉄材と石材のみを用いた、耐震耐火のものであります。



45.「両国橋と国技館」
  昔はここが、武蔵と下総との国境であったために、両国橋の名が付けられたものであります。震災後、現在の瀟洒な橋梁に改築されました。この左手に、お茶の水と両国を結ぶ省線電車の高架線があります。江戸風物の一つとして有名な両国の川開きは、今でも毎年この附近で行われます。先方に見える圓屋根は、角力で名高い国技館の大鉄傘です。



46.「永代橋」
  復興橋梁中の第一位に挙げられるべき橋で、長さ一八三メートル、幅二二メートル、総工費二百八十萬円を投じて、大正十五年十二月に完成したものであります。その雄大な構成の美は、まことに復興東京の一大偉観であります。



47.「赤坂弁慶橋」
  赤坂見附から清水谷公園に行くには、この弁慶橋を渡らねばなりません。ここの堀は東京の地勢を物語る断層谷の一つで、排水不良にために溜池になっています。橋には擬宝珠の欄干があって、大江戸の名残をとどめています。かつて改造の話がありましたが、心ある市民の反対にあって、現在のまま保存されることになりました。



48.「東京駅」
  和田倉門付近から見た東京駅です。東京駅は東海道本線の起点で、日本全国の交通網の心臓部をなしています。ルネッサンス式の鉄骨煉瓦石材造りの大建物は、流石に日本一の大ステーションの名に背かぬものであります。右手の建物は郵船ビルディング、左手の建物は海上ビルディングであります。





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