
境内には、謡曲「高砂」に謡われた、相生霊松「尾上の松」があります。
尾上の松は、古来から様々な歌に詠まれてきました。
一木かと見れば二木を二木かと見れば一木を雌雄のこの松 隆正
一つの根から男松(黒松)・女松(赤松)が育つ喜瑞は神社の象徴であると言われています。
「所は高砂の 尾上の松も年ふりて 老ひの波も寄り来るや
木の下陰の落葉かく なるまで命ながらへて
なおいつまでか生き松の それも久しき名所かな」
初代尾上の松は謡曲「高砂」に謡われた霊松で、太さ五尋に及び、地上一丈ばかりのところから男松・女松に分れ、女松は直に生えて中天にひろがり、男松は這って地につき、又上って地に這う。その上った間を華表(鳥居)として、諸人が参詣したといいます。
天正年間(約四百年前)には、秀吉の三木城攻めに対抗した毛利方の武将が、薪を取るために切り倒してしまい、枯死す。(その株は宝物館に保存されています)社殿も荒廃しましたが、その後、姫路藩主となった池田輝政や、本田忠政によって復興されました。
三代目尾上の松は、大正十三年天然記念物の指定を受けていたが、昭和二十四年に松食虫のため枯死す。樹令約四百年(写真参照)。
三代目尾上の松
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三代目尾上の松 |
現在の尾上の松(五代目) |
現在は、五代目尾上の松で樹齢約100年と言われています。
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