弦の剛性とサドル進入角

もう20年近く前の事ですが、前職場のハイエンドギターズ在籍時にミュージックマンスティングレイベースのジャパンバージョンを製造する事になりました
パーツ類は全てアメリカのアーニーボールから支給されてボディネックを日本国内で製作しハイエンドギターズで組み込むと云うプロジェクトです
当時アメリカで製作されていた仕様と同じモデルと平行して70年代に神田商会がミュージックマンから支給されていたデッドストックパーツでヴェンテージスティングレイの復刻モデルも製造していました
(ずいぶん前の事ですのではっきり覚えていないのですがひょっとしたら先に復刻モデルを製造していたかも?) 
なんでも70年代にもスティングレイのジャパンバージョンを製造する計画があり、パーツをミュージックマンから支給されていたんですが何だかの理由で計画がポシャり、パーツだけが20年以上も神田商会にストックされていたらしいのです
アーニーボールからジャパンバージョンの製造許可を得た機会にこのデッドストックのパーツも使って復刻版を作ろうとなったのですがアーニーボールでさえ持っていない70年代のパーツを使用して製作するとあって大変な人気になりました
特に当時のスティングレイの特徴である裏通しブリッジ!これがヴィンテージスティングレイを手に入れられなかった方や、当時の品質に満足出来なかった方には大きな魅力になっていました
裏通しのブリッジの意味が分からない方のために↓



弦をブリッジの後ろから通すのでは無く、ボディの裏側を通して張るので「裏通し」と呼ばれるのですが、これがヴィンテージスティングレイの大きな特徴でした
当時はこの様に裏通しにする事でテンションが強くなりサスティンが良くなると言われていたんです

その復刻版スティングレイ(機種名スティングレイVT)の試作サンプルを組み込み、サウンドチェックをした時ある事に気が付きました
4弦のサスティンが著しく短いんです
1,2弦はビシッとタイトなあのヴィンテージスティングレイのイメージそのままなんですが、3弦は何となく、4弦は明らかに音の伸びが悪くまるでミュートが掛かったように「ガボンッ」としか鳴らないんです
上画像のブリッジでは外されていますがこの機種のブリッジにはミュート機能があり、サドルの手前にゴムスポンジの付いた板が取り付けられていて、弦の下にある丸いダイヤルでこの板の高さ調整をしてゴムスポンジを弦に当てる事で弦振動をミュートさせるようになっていました
そのミュートが弦に当たってるのかと確認しましたが全く当たっていません
弦が不良なのかと別の弦に換えてみましたが全く同じ…

私は独立して修理業を始めるまでずっと製造をしていましたので他社の楽器に触れる機会が少なく、実は裏通しタイプのスティングレイを弾くのはほぼ初めてだったのです

一体何が原因なんだろうと頭を抱えつつとりあえず試作サンプルを神田商会に提出したところ、何の意見も無く製造開始のOKが出ました
弦やパーツに原因が無ければボディやネックの個体差かもと日産6本ペースの製造に入りましたが、やはり出来上がる全てで4弦は「ガボンッ」としか鳴らないんです
「困った…何でや??」
と思っていろんな所を改めて詳細にチェックした時にある事に気が付きました



4弦がサドルのところで窮屈そうに曲がっていたのです
画像では分かり易いように弦上に直線を引きましたが、弦がサドルの上で綺麗に曲がらずに弧を描くようになっているのがお分かり頂けるでしょうか?
4弦の上に写っている3弦の曲がり方と比べると分かり易いと思いますが、「コクン」と曲がっている3弦と比べて4弦はいかにも曲がりたくないのに無理やり曲げられた感があるように見えます
赤い線と4弦の上面がサドルに向かって隙間が広がって行き、サドル真上では3弦の太さ分くらいの隙間が出来てしまっています
弦の張力に対して弦の剛性(この場合曲げに対しての頑丈さ・硬さ)が負ければ画像の3弦のように「コクン」と曲がりますが、4弦は剛性が張力に勝る為、サドル上で曲がらずにこの様に弧を描いてしまうようなんです
ではナゼそうなるとサスティンが低下するのか?イメージイラストにしてみました



4弦のサドル上で弧を描いている部分は曲がるのを嫌がって耐えています
張力に抗って曲がらないくらいですからこの部分は硬く緊張し振動しません
(イラストでは硬く緊張している部分を赤に、徐々に緊張が解れる様子をグラデーションで表しています)
本来、振動する弦の両端はナット或いはフレット〜サドル真上でないといけないのですが、この場合4弦はサドル真上では硬くなっているため振動せず、イラストのグラデーションのように徐々に緊張を解して行きサドルから離れた所から普通に振動するようになります



この時、グラデーションで表したした部分はイラストの様に曲げられるのに逆らい青矢印方向に戻ろうとする力(弦の剛性から来る反力)が働きバネのように弦振動を抑制しようとするのではないか?と推測したのです
で、あれば4弦のサスティンを改善するには「弦の剛性に合わせたサドル進入角(前回記事参考)にする必要がある」と想定したものの、そうするにはブリッジを改造しないといけません
70年代のデッドストックブリッジで数も限りがあり、貴重なパーツですので品質改善の為とは言えそんな事が許される訳がありません
「自分で買い取らなきゃ試せ無いのかぁ〜!」
と頭を抱えていた所に、ハイエンドギターズに出入りしていたとある会社の社長さんが70年代スティングレイの復刻版を作り始めた事を聞きつけて「自分の為に一本作って欲しい」と言って来られました
しかも「仕様は任せるからええ感じにして」と。
以前から飲みに連れて行って下さったり親しくお付き合いして下さっていた方ですから、思い切って
「いいアイデアがあるんですけど…」
と切り出してみました。すると
「ええやん!やってみて」
とご快諾くださいました!\(^o^)/
どうしたかといいますと



アイデアと言えるほどのものではございません
赤矢印で指した部分に弦を通す穴を開けただけです(^_^;)
こうやって普通の位置から弦を通す事でサドル進入角を浅くして、4弦が素直に曲がれる範囲でサドルに乗っかる事が出来るようにした訳です
で、組み上げてサウンドチェックをしてみると…

ビンゴ〜!!

裏通しだと「ガボンッ」と云う伸びない音だった4弦が「ドーン」と“普通”に鳴る様になりました!!
当時の画像などありませんので現行のスティングレイのブリッジで表しますと



この様になるようブリッジに弦穴を開けて4弦を通すようにしたのですが、赤い線と弦上面の関係を裏通しの時(↓画像)と比べて見てください


こんなに違うんです
こうやって出来上がった物と通常の裏通しの物をその社長さんにも弾き比べて頂きましたが、サスティンの違いに驚かれておられました

5弦ベースでLowBセッティングをした時にテンションが足らず「だよんだよん」した音だったのを、裏通しにして改善できた経験を持っておられる方もいらっしゃると思いますが、ここまでの記事を読んで頂ければそれはテンション(張力)が強くなったのでは無く、太いLowB弦がサドル上で曲がる事に抵抗し振動を抑制した結果、だらしなく振動していた弦が必要以上に振動しなくなっただけとお気付き頂けると思います

社長さんのご協力で状況観察から推測した想定が正しかった事が証明された訳ですが
ここまで何だかモヤモヤしながら読み進まれた方もいらっしゃったのでは無いでしょうか?
と、云うのはギター、ベースの世界では裏通しのようにしてサドル進入角を深くするとサスティンが良くなる(音の伸びが良くなる)と常識のように語り継がれているのです
今回の結果はその真逆ですよね?
サドル進入角を深く取る事でサスティンが良くなる事の根拠として「サドル進入角が深いとサドルがブリッジプレートなどボディ側に強く押し付けられ、より強力に弦振動をボディに伝えられるのでサスティンが良くなる」と言うのを聞いたことがあります
その理論を元に開発されたブリッジなんかも結構販売されていましたねぇ

確かに前回の実験でサドル進入角が深くなるとサドルに掛かる力は大きくなる事が証明されました
しかし、それでより強力に弦振動がボディに伝わるって?
で、弦振動がボディに伝わるとサスティンが良くなるって?
その謎の理屈は置いておいても弦が硬くて曲がりたがらない事実は見ていなかったのでしょうか?
なんて偉そうに言う私も実はその説を盲目的に信じておりました
スティングレイVTを製造するまでは。
それがゆえに試作サンプルを組んだ時はギター・ベース界の常識とは真逆な状態に「ナゼだ!?」と頭を抱えたのです
盲目的に物事を信じてしまうとゴールへの道程が遠周りになってしまったり、、最悪はゴールに辿り着けなくなってしまう事にこの時気が付かされました


サドル進入角と弦の剛性の因果関係はベースだけではありません
ギターでも剛性の高い太い弦を使用した場合起きます
例えばアコースティックギター
アコースティックギターはブリッジの構造から弦が太くなるほどサドル進入角が深くなる傾向にあります



アコースティックギターのサドルはハイポジションでの音程改善の為、弦が太くなるに従って12フレットからの距離が長くなるように設計されていますのでこの様にサドルが傾いて取り付けられています
これに対して弦穴は弦に対して垂直に開けられている事が多いのですが、このため弦穴とサドルの距離は6弦に向かって狭くなっています(↑画像)
弦穴とサドルの距離が狭くなるとサドル進入角が深くなり、ギターによっては↓



この様に思いっきり進入角が深くなってしまう事も有りますが、赤い線と弦上面の関係を見るとベースの時と同様に曲がる事に抵抗している事が分かります
こうなっているとやはりサスティンは損なわれてしまいます
ただ、ベースの時ほど顕著ではないのでそれを感じるか感じないかは聴き手次第なのですが、ギターでもサドル進入角と弦の剛性の因果関係が発生する事は確かです
エレキギターでもオクターブ調整をきちんとするとサドルは弦に対して角度が付いた配列になりますのでやはり6弦に向かってサドル進入角が深くはなりますが基本的にサドルからテールピースや弦穴の距離がアコースティックギターより遠い物がほとんどですのでここまでグキッと曲がる事はあまりありません
ストラトキャスターは結構グキッと曲がってしまう事がありますが、アコースティックギターに比べると各弦の太さが相対的に細くなりますので弦の剛性は弱くなり素直に折れ曲がってくれる為、影響はアコースティックギターの時よりも少なくなります

この様にサドル進入角が深過ぎる為に起きる弊害とは逆に、進入角が浅過ぎる為に起きる弊害もあります
サドル進入角が浅すぎてサドルの上で弦が暴れビリ付いた音になってしまう現象です
これは前々回の記事でベースを例にして書きましたね
弦の張り方やテールピースの高さ調整で意図的にそうしてしまう事もあるのですが、意図せずしてなってしまう事もあります
例えばアコースティックギターで弦高を下げる為にサドルを削って低くした時、ギターによってはこの様になってしまう事があります↓



1,2弦なんて最早サドル進入角ゼロです(^_^;)
こうなると1,2弦は「ぴゃ〜ん」としか鳴りませんし、3,4弦なんかも「じ〜ん」と云った鳴りしかしません
サドルに掛かる力がほとんど無い状態ですのでサドル上で弦が暴れ、締りの無いビリ付いた様な音になってしまうのです
これはブリッジに「弦スリット」を入れる事で改善されます



この様にブリッジの弦穴からサドルに向けて角度が付いた溝を切り入れるのです
この時、剛性の低い弦はサドル進入角が深くなるような角度で溝を入れ、弦の剛性が高くなるに従ってサドル進入角が浅くなる様に溝を切り入れます



弦を張るとこの様になります
1弦から6弦に向かって徐々にサドル進入角が浅くなっているのがお分かりになるでしょうか?
高音弦はアタッキーな立ち上がりの良さと歯切れの良さを狙ってサドル進入角を深く
低音源は豊かな響きとサスティンのロスを少なくする為にサドル進入角を浅く

とサドル進入角の適正化をしているんです

サドル進入角を深くすると
○音の立ち上がりが鋭くなり歯切れの良い音になる
×深くし過ぎるとサスティンが短くなる

サドル進入角を浅くすると
○音の立ち上がりがソフトになり太く柔らかい音になる
×浅くし過ぎるとビリ付いた様な締まりの無い音になる


前回の記事の最後に書いたサドル進入角で音が変わると云うのはこの事なのです
前回、サドル進入角の変更でテンション(張力)は変わらないと断言しましたが、実際にテンション感が変わったと実感された経験を持たれた方もいらっしゃると思います
それはこう云った音の変化を感じられたモノだと思います
サドル進入角を深くするとビシッと締まった歯切れの良い音になりますが、これはあたかもテンションが上がったような感覚にさせる要因で、逆にサドル進入角を浅くすると音の立ち上がりがソフトになりますのでこれもあたかもテンションが下がったような感覚にさせる要因だと思います
ただ、これは単純にサドル進入角で語れる物では無く、今回の記事のテーマでもある弦の剛性と密接な関係を持ちます
例えば始めに取り上げた裏通しスティングレイでは同じサドル進入角30度でも剛性の低い1弦ではメリットが際立つが、剛性の高い4弦ではデメリットの方が目立つようになりました
つまりその弦がサドルにちゃんと保持される程度の浅いサドル進入角から、その弦が曲がる事に抵抗しない程度に深いサドル進入角までがその弦にとって許容されるサドル進入角の範囲で、例えばベースの場合
1弦はサドル進入角10〜45度くらいまでが許容範囲
4弦はサドル進入角10〜20度くらいまでが許容範囲

と云った様に各弦で変わってきます
ただし、このサドル進入角の違いによる音の変化と云うのはサドルのアタリやフレットの状態が万全である事が前提でそれらの状態が良くないと狙い通りには行かなくなります
楽器の音はいろんな要素が絡まりあって出来上がるものですからサドル進入角の調整による音の変化はその要素の一つでしかない事をご理解ください

話は戻って、上画像の弦スリット加工をしたアコースティックギターはご覧のようにサドルから弦穴の距離が特に広いのでこう云ったサドル進入角の適正化が出来るのですが、一般的なアコースティックギターではなかなかこうは行きません
ましてや一般的なエレキベースやエレキギターでは尚更の事で、各弦でサドル進入角を適正化するのはかなり難しい事です
ただ裏通しのベースの場合、テーパーコアの弦を使用する事で4弦のサスティンを改善させることが出来ます



テーパーコア弦とはこの様にボールエンドからサドルにあたる所までが細くなっている弦の事でケンスミスやDR、ロトサウンドなどのメーカーがその仕様の弦を製造していますが、サドルに乗る部分が細くなっていますのでサドル上で抵抗せずに綺麗に折れ曲がり、きちんとサドル真上から振動しますのでサスティン、ピッチ共に改善されます
お恥ずかしい話ですが、私がテーパーコア弦の存在を知ったのは実は独立して修理店を始めてからで、持ち込まれたベースに張られているのを見て「こんな弦があるんだ」と知りました
まぁその前から知っていたとしてもスティングレイ製造時はアーニーボールとの関係上、他社の弦を使用する事は出来なかったのですが…
ロトサウンドはテーパーコア仕様のギター弦も製造しておりますので深いサドル進入角が原因で低音弦の鳴りが良くない場合は試してみるのも良いでしょう


スティングレイベースのジャパンバージョンには後日談がありまして…
好評のうちに裏通しバージョンのスティングレイVTが完売し、やはりスティングレイベースに裏通し仕様を求める層がある事が分かりましたので現行スティングレイ(90年代半ばの)にも裏通しバージョンを作ってくれないか?と神田商会からアーニーボールへリクエストしました
最初は「過去の事には興味は無い」みたいな態度だったアーニーボール側はいつの間に気が変わったのかリクエストから数年たっていきなり裏通し仕様のブリッジを送ってきました
それがこれ↓



弦が出ている穴の位置にご注目下さい…

ヴィンテージよりもサドルに近いやんっ!!

いきなり送ってきてこれで製造しろって、こんなんじゃ4弦以外もサスティン悪くなるかも知れんやん!
頭を抱えましたね〜(ーー;)
色々策を考えました
まずブリッジ位置を出来るだけ後ろ(画像下方向)に下げて、ピッチ調整をした時にサドルと弦穴の距離が少しでも遠くなるようにしました
更にジョイントポケットの深さをノーマルのスティングレイよりも深くして、弦高を合わせた時にサドルが低くなるようにしました
これでも厳しかったので出荷時の弦高セッティングをノーマルスティングレイの基準弦高よりも0.5ミリほど低いセッティング(確か最終フレット上で1弦1.8ミリ、4弦2.5ミリくらいだったと思う)にして出荷しました
実は深いサドル進入角で弦振動が抑制されているのでかなり低い弦高にしてもビリ付き難かったのです
これでサドルはブリッジプレートにほぼベタ付き。
これ以上弦高を下げる事は出来ませんが、そんなに低くする人は居ないでしょうと云う事で苦し苦しの出荷だったのですが、意外にも低弦高が原因でのビリ付きのクレームはほとんど無く、むしろ弦高の高いノーマルの方がビリ付きのクレームが多かったくらいです
ノーマルの方は1弦のサドル進入角が逆に浅すぎてビビった様になる事が多かったのですが、サドル進入角が得られる程度までサドルを上げるとものすごくサドル高が上がり、まるでキリンが踏ん張っているように弦高調整用のイモネジがサドルから下にはみ出して、組み込み失敗した様にしか見えません
それもこれもサドル形状のせいだったのですが、上の画像の1弦サドルを見て頂くとサドルに弦が嵌る溝が掘られていますがこれが深く、弦が奥まったところに入ってしまうのです
この溝が浅ければサドルをそんなに上げなくても進入角は稼げたはずなんです
このサドルはノーマル・裏通し共通パーツなのですが裏通しに使った場合はバカでっかいサドル直径のせいであまりサドルを下げることが出来ない為、進入角を浅くセッティングし難いと云う難儀なヤツなんですわ(ーー;)

で、ですね
このNEW裏通しスティングレイの販売にあたって雑誌広告が出されました
私は広告作りには関わっておりませんでしたので雑誌に掲載されてはじめて広告を見たのですがその宣伝文句が…

「弦を裏通しにする事で弦振動が強力にボディに伝わり
驚きのサスティンを生み出します!」


と…



あぁ〜言うてもたぁ…(ーー;)

再び頭を抱える…
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