Площадь Искуств

左下の女の子の髪の色がロシアの流行?
プーシキン記念像
《われはおのが奇しき記念の像をうち建てぬ……》

          Exegi monumentum

われはおのが奇しき記念の像をうち建てぬ
そがもとへ民の訪れは絶ゆることなからん
そはアレクサンドルの塔より高く
誇らかに頭をあげてそびえたつ

否 わが身は亡びず わが魂は聖き竪琴に宿り
わが遺骸(なきがら)は朽ちはつることなからん
この世にひとりの歌びとだに生きるかぎり
われは永久(とわ)に讚めたたえられん

わが名は大いなる露西亜(ルーシ)あまねく駆けめぐり
なべての民はおのが言葉もてわが名を語らん
誇りたかきスラブの裔(すえ)も フィンの民も
今は未開のツングースも 曠野の友カルムイクも

われは永久に民の愛しきものとならん
われはおのが竪琴もて善き心根を呼びさまし
きびしきときの世に自由をたたえ
倒れし者へ情けを呼びかけしゆえ

おお ミューズよ 神の御旨に叛(そむ)くことなかれ
さげすみをおそれず 栄誉を求めず
ほめことばも呪いも冷やかに聞きながし
うつけき者を相手に言い争うことなかれ
     一八三六年八月二日(А.С.プーシキン)
 念願の芸術広場(Площадь Искуств)にやって来た。自由時間だというのに、現地ガイドさんが勝手に他のツアー参加者たちを外国人旅行者向けの高めの店に連れて行ったので、添乗員さんは業を煮やしていた。(けしからんことに、その高い店の名前がプーシキンの韻文小説代表作と同じだった)
 私はひとり広場のベンチに座ってフィルムを入れ換え、広場を行ったり来たりしながら、ただただプーシキン像を眺め感動に浸り、そしていい写真を撮りたいと思った。カメラを覗くと日が射したり、雲がかかったりし、さまざまに光の具合が移り変わった。広場全体が陽だまりのようになって、なんとなく温かい雰囲気を味わえた。
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広場は、そんなに広くない
芸術広場
 前ページのスパス・ナ・クラヴィー聖堂もサンクト・ペテルブルグの顔なら、この芸術広場のプーシキン像、そしてその背景になるロシア美術館もとても絵になる。でもどういうわけか、おみやげ店でこの像の絵葉書を見たことがない。(単に私が知らないだけかもしれない)
 芸術広場に立っているだけで、なんだか感動がこみあげてきた。マイナーな話題でなんだが、この旅行に出る前に埴谷雄高の短いエッセイを読んでいった。その中に作家が辻邦生とレニングラード滞在時に、エカテリーナ運河(現グリバエードフ運河)に降りてゆくとき、ちょっと手をあげてプーシキン像に挨拶をしながら歩いていく話がある。埴谷雄高のことはあまりよく知らなかったものの、私も作家のまねをしてみたのだった。

 プーシキンの像の彫刻はМ.К.アニクーシン、全体の設計は建築家В.А.ペトロフである。像はスターリン死後のフルシチョフの時代に入った1957年に創られた。旅行記とは関係ないものの、ひょっとしてこの像の時期とぴったりかもしれない、プーシキン記念碑をめぐるおもしろいアネクドートがあるので紹介させていただきたい。

 スターリンはプーシキン記念碑の複数の計画案を検討していた。第一案は、プーシキンがバイロンを読んでいる、というものだった。
「これは歴史的には正しいが、しかし政治的には正しくない。党の総路線が示されていないのではないか?」
 第二案は、プーシキンがスターリンを読んでいる、というものだった。
「これは政治的には正しい、しかし歴史的には正しくない。プーシキンの時代には、わたし、同志スターリンはまだ本を書いていなかった」
 第三案が政治的にも歴史的にも正しいことが判明した。それはスターリンがプーシキンを読んでいる記念碑である。こうして記念碑が建てられ、開幕式で、みなが眺めると、スターリンがスターリンを読んでいた。

子供たちは嬉しそうだった 警官が近くにいたが…
 プーシキンは、1999年の生誕二百年を経て、混迷のロシアの精神に光を投げかける存在として、更に評価を獲得しているといえる。それに幼少の頃からプーシキンに親しむロシア国民にとっては、なおさら有名どころの芸術広場のプーシキン像は、ロシア人ならば誰もが実際に目にしたいと思っているといっても過言ではないだろう。私が行った時には、多くの子供たちが広場を訪れ、像を背景に写真を撮っていた( ← の写真)。私もロシア文化に敬意を表すつもりで、日本語訳の『プーシキン詩集』を手前にして像を撮った( → の写真)。像の周りにいた子供たちは、写真を撮り終えたあと、たぶん遠足か授業(課題)での美術鑑賞のためだろう、像の向こうのロシア美術館前で行列を作っていた。
 ロンドンにある有名通りに、ロンドンならではの通りの雰囲気や治安を守る専門警官がいるみたいに、芸術広場には常駐の警察官がいた。若い人だったが、けっこう暇そうにしていて、ベンチの背もたれの上に両腕をかけて足を組んで座っていた。でも警察官が暇そうにしているということは、とてもいいことだと思った。

 詩人としては明るい松尾芭蕉と譬えたらよいのか。どうしてプーシキンが、現在でもロシアの国民詩人と称えられるのか、彼の詩の原文の美しさが実感できない私などには到底理解することはできないだろうが、ただ作品にロマンと自由の気風が感じられることは分かるつもりだ。また生涯の大半において、良き意味にしろ悪しき意味にしろ自身の子供っぽさを決して失わない性格、友人たちへの愛情の示し方、そして精神的に屈服させられるような状況にあっても、心底から迎合しなかったことが、今も国民詩人として語り継がれる要素としてあると思う。プーシキンについては、またのちに書こうと思う。

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かなり立派な宮殿だった
国立ロシア美術館(ミハイロフ宮殿)
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 はっきり言って、美術館という感じがしないこの宮殿が、現在のロシア美術館である。トレチャコフ美術館の外観とは異なり、宮殿そのままという感じである。(写真は南側から写。)
 建物は建築家カルル・イワノヴィチ・ロッシ(1777−1849)の設計・建築によるもの。
 宮殿は、もとはパーヴェル1世とその二番目の妻ゾフィーとの間にできた四番目の息子ミハイル・パーヴロヴィチがその持ち主であった。宮殿は彼の名前からミハイロフ宮殿という名前がついている。パーヴェル1世はこの宮殿のため生まれたての息子に貯金を命じ、その額は1819年の時点で900万ルーブルに達した(今のルーブル価値(1ルーブル≒4円)で考えてはいけない)。宮殿は1819〜25年にかけて建設された。もちろん宮殿は修理・改築を経て、現在に至っている。
 この宮殿にまつわる数多くのエピソードの一つには、1849年以降の社交サークル発足後に、ロシアで最初の音楽院基礎となる音楽のクラスが開設されたというものもある。そこではあのチャイコフスキーが音楽教育を始めたとか。
 建物自体は本当にきれいで、ずっと眺めていたくなった。写真にもあるように、たぶん芸術鑑賞の授業か課題で、ロシア人の多くの子供たちが開館前の列を作っていた。後日、私は美術館の中に入ったので、宮殿や美術館についてまた改めて書きたいと思う。
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ロシア帝国の紋章
双頭の鷲
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 双頭の鷲≠ヘロシア帝国の紋章だが、この紋章が用いられだしたのは意外と古く、なんとイワン3世(大帝)の時代に遡る。
 まだイワン3世が大帝でなく、大公と呼ばれていたころ、大公は最初の妻を亡くした6年後に、二番目の妻を娶った。二番目の妻は最後のビザンツ帝国皇帝コンスタンティノス11世の姪ゾエ・パレオローグ(ロシア語でソフィヤ・パレオローグ)といい、大公と彼女は1472年に結婚した。(史料によればソフィヤは、恐ろしく太った醜い女性で、ズル賢かったというし、また彼女がモスクワですごした最初の夜に、彼女の体の重みで巨大なベッドが壊れたと伝えられている……)
 大公はそれ以後に、ビザンツ皇帝の象徴である双頭の鷲≠大公の紋章に加えた。だから皇帝史のある部分では、ロシアはビザンツ帝国のあとを引き継いでいたことになるのだ。
 双頭の鷲はロシア美術館の前の門でも、キラリと光っていた。宮殿の写真でも右の方で光っているのが分かると思う。
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この柱の案もロッシが?  上のロシア美術館の写真の項で、宮殿の設計者はロッシと書いたが、なんとロッシは宮殿だけでなく、この芸術広場を幾何学的に整った設計で完成させるという、特殊な都市計画図をもつくりあげている。
 ちなみに今は芸術広場として親しまれているこの広場も、過去にはミハイル・パーヴロヴィチやミハイロフ宮殿にちなんで、ミハイル広場と呼ばれていた時期もあり、現在もその呼称が通じることも珍しくない。

← は広場の端にあった切り取られたデザインの柱。

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 芸術広場という名称は詩や美術だけでなく、音楽の広場の意味も包括している。広場の西にムソルグスキー・オペラ・バレエ劇場(現地ではマールイ劇場(小劇場)といわれることもある)、東に国立フィルハーモニー(ショスタコーヴィチ記念フィルハーモニー・大ホール(ボリショイ・ホール))、ミュージカル・コメディー劇場など、まさに芸術を象徴するような建物が集中しているからだ。
 → の写真は、ムソルグスキー・オペラ・バレエ劇場(マールイ劇場)の入口。下の方が切れてしまっているが、それは左のほうの今夜の演目を大きめに入れたかったからだ。

今夜、ヴェルディの『レクイエム』

とある。ポスターを見た時、私の胸は躍り上がった。疲れがあろうが、今夜は絶対出掛けるべし!
劇場には一度は足を運びたいものだ
ムソルグスキー・オペラ・バレエ劇場
 広場を歩いていると、ヴァイオリンかビオラの弦楽器の練習する音が、かすかに聞こえてくることがある。まさに芸術広場なんだなぁ〜♪と思えた。

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