極東の異邦人:外国商船の太平洋戦争1941-1945
モンスーン戦隊の補給艦

 インターネットで「モンスーン戦隊 補給艦」と検索すると、艦娘の「ブラーケちゃん」が上位に来るとは、大変な時代になったもんです。(笑 
 ところで、モンスーン戦隊の補給艦は「ブラーケ」だけではありませんでした。知られざるもう一隻の補給艦とあわせてモンスーン戦隊の補給艦はどんな運命をたどってのでしょうか。

 1943年3月、大西洋におけるUボートの活動は最高潮となりましたが、それは同時に斜陽の始まりでもありました。1943年初めにはポルトガル領アゾレス諸島に連合軍基地が置かれ、レーダーを搭載した長距離哨戒機が増備されるなど、連合軍側のUボート対策も進んだため、Uボートの損害はうなぎのぼりとなりました。
 1943年6月、ドイツ海軍は大西洋に代わりそれまで遠距離であったため活動の乏しかったインド洋に注目するところとなり、「モンスーン戦隊」(Gruppe Monsun )を設立するとともに日本海軍の協力によりペナンにはUボート基地が開設され、第1陣として11隻のUボートがヨーロッパ各地から極東へと向かいました。

 ペナン基地開設後、最初に寄港したUボートはドイツから日本に譲渡されたU-511で、ドイツ人乗員により日本へ回航の途中、1943年7月16日にペナン基地に入港しました。二隻目はインド洋で活動していたU-178で、8月27日にペナンに到着しています。
 大西洋ではUボートへの補給任務に水上艦艇を使うことはもはや不可能な状況となっており、補給潜水艦がその任務を担っていました。しかしインド洋ではまだ補給艦の活動が可能であり、補給艦として「カルロッテ・シュリーマン」(Charlotte Schliemann)がアフリカ大陸南東岸で活動するUボートへの補給任務を担っていました。
 「カルロッテ・シュリーマン」は6月22日~26日の間にモーリシャス(Mauritius)の南方洋上での補給任務の後は8月に横浜に回航され、そのまま12月まで留まっていました。このため封鎖突破船として来日し神戸に寄港していた「ブラケ」(Brake)が新たに補給艦に指定され、第1陣のUボートを出迎えるため8月26日にペナンを出港しました。


1)U-200:1943年6月12日にドイツのキール(Kiel)を出航したが、6月24日にアイスランド近海でPBYカタリナ飛行艇により撃沈。U-200には南アフリカに潜入して破壊工作を行う計画のブランデンブルク隊員7名も便乗していたとのこと。
2)U-188:1943年6月30日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、7月22日にU-155から補給後インド洋に向かい、9月8日に補給艦「ブラケ」から補給を受ける。オマーン湾で活動後、10月31日にペナンへ到着。
3)U-168:1943年7月3日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、7月22日にU-155から補給後インド洋に向かい、9月12日に補給艦「ブラケ」から補給を受ける。ボンベイ沖で活動後、11月11日にペナンに到着。
4)U-509:1943年7月3日にフランスのロリエン(Lorient)を出航したが、7月15日に護衛空母「サンティー」(USS Santee)の艦載機の攻撃により撃沈。
5)U-514:1943年7月3日にフランスのロリエン(Lorient)を出航したが、7月8日にビスケー湾でイギリス空軍第224飛行隊のB-24により撃沈。
6)U-532:1943年7月3日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、7月25日~26日にU-516から補給後インド洋に向かい、9月8日補給艦「ブラケ」から補給を受ける。インドの南および西海岸で活動後、10月31日にペナンに到着。
7)U-183:1943年7月3日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、7月22日にU-155から補給後インド洋に向かい、9月10日に補給艦「ブラケ」から補給を受ける。セイシェルとアフリカ沿岸で活動後、10月27日にペナンに到着。
8)U-506:1943年7月6日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、7月12日にビスケー湾でアメリカ陸軍第1飛行隊のB-24により撃沈。
9)U-533:1943年7月5日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、7月26日にU-516から補給後インド洋に向かい、9月9日に補給艦「ブラケ」から補給を受ける。10月16日にアデン湾でイギリス空軍第244飛行隊に所属するブリストル・ブレニムにより撃沈。
10)U-516:1943年7月8日にフランスのロリエン(Lorient)を出航したが、ミルヒクー(補給潜水艦)を撃沈されたため、7月25日~26日にU-532、U-533、U-532に補給した後、8月23日にロリエンに帰投。
11)U-847:1943年7月29日にノルウェーのベルゲン(Bergen)を出航したが、デンマーク海峡で流氷と衝突して損傷し、北大西洋で8月22日~25日にU-653、U-634、U-230、U-257、U-508、U-172に補給後、8月27日に護衛空母「カード」(USS Card)の攻撃により撃沈。


 出撃した11隻中無事インド洋に到着したのは半分以下の5隻のみで、5隻が大西洋で撃沈され、1隻はフランスに引き返しました。この時期には大西洋に出撃すること自体がいかに困難な航海であったかがわかります。Uボートのインド洋回航には2回の海上給油が必要でしたが、インド洋に到達した5隻は1943年9月11日~13日に、モーリシャスの南方450マイルの海域で補給艦「ブラケ」(Brake)から燃料補給を受け、5隻は海域を分担して早速インド洋での哨戒活動を開始しました。

・U-168:ボンベイ沖
・U-183:セイシェルとアフリカ沿岸
・U-188:オマーン湾
・U-532:インドの南および西海岸
・U-533:アデン湾(10月16日にブリストル・ブレニムにより撃沈)

 第1陣として出発した11隻のうち無事インド洋に到着したのは5隻のみという状況でしたが、ドイツ海軍はその損害を補うためさらに5隻のUボートを追加としてペナンに派遣しました。


12)U-219:1943年10月22日にノルウェーのベルゲン(Bergen)を出航し、ケープタウンとコロンボ沖での機雷敷設の任を帯びていたが、北大西洋で11月6日~12月11日にU-91、U-170、U-510、U-103、U-172に補給後、1944年1月1日、フランスのボルドー(Bordeaux)に帰投。
13)U-510:1943年11月3日にフランスのロリエン(Lorient)を出航し、11月30日にU219から補給後インド洋に向かい、1944年1月27日に「カルロッテ・シュリーマン」から補給を受ける。アデン湾で活動後、4月5日にペナン(Penang)に到着。
14)U-848:1943年9月18日にドイツのキール(Kiel)を出航したが、11月5日に南大西洋でアメリカ海軍のPB4Y哨戒機の攻撃により撃沈。
15)U-849:1943年10月2日にドイツのキール(Kiel)を出航したが、11月25日に南大西洋でアメリカ海軍のPB4Y哨戒機の攻撃により撃沈。
16)U-850:1943年11月18日にドイツのキール(Kiel)を出航したが、12月20日に護衛空母「ボーグ」(USS Bogue)の艦載機の攻撃により撃沈。


 しかし、この5隻も無事インド洋に到着できたのはU-510のみという惨状で、U-510はモーリシャス(Mauritius)の西南西550マイルの海域で1944年1月27日~28日に補給艦「カルロッテ・シュリーマン」(Charlotte Schliemann)から燃料補給を受けた後、アデン湾で活動しました。またこの時はペナンからヨーロッパへ向かうU-178も同時に補給を受けており、U-510からはエニグマの新しい暗号キーがU-178に引き渡されました。U-178は「カルロッテ・シュリーマン」が撃沈されたために2月26日にU-532に燃料を補給し、5月24日にボルドーへの帰還に成功しましたが、資材不足のため再び出撃することはなく、8月25日に爆破処分されました。

 それでは「モンスーン戦隊」のこの2隻の補給艦の運命をたどってみましょう。

ブラケ(Brake)
カルロッテ・シュリーマン(Charlotte Schliemann)


2019.11.10 新規作成
2019.11.26 一部修正

泡沫戦史研究所http://www.eonet.ne.jp/~noricks/