ゴールドベルク変奏曲のリマスター / 2019.01.04


Glenn Gould Digital  グレン・グールドが弾いた1982年のゴールドベルク変奏曲を初めて聴いたとき、宗教や歴史の香りがしないのに謙虚な気持ちになるのが不思議でした。 180gの高音質レコードではあったけれど、PCM方式のデジタル録音機で録った音質は上等で、プロ用機材に関してはデジタルを嫌う理由はないと認識するきっかけになりました。
 ところが、同じ音源で数年後に発売されたCDも、その後にハイビットでマスターリングされた別プレスも、レコードで味わった特別な気分を呼び覚ましてくれることはなく、EU盤が繊細さで僅かに上回る程度で大差ありません。
 内外新旧どのCDも音の傾向が似ていることから、そもそも最初のCD製作用のオリジナルマスターが拙いのにそれを更新できない事情があって、仕方なく使い続けた結果、どれもこれもレコードの音質に届かなかったのではないかと、私は勝手な想像を巡らせていました。

Glenn Gould Remastered  歳月が流れて、レコードの記憶が美化される一方で私の感受性は鈍り、正確な比較ができるか怪しくなりましたが、2015年に出たGlenn Gould Remasteredというボックスセットで、CDとしては初めて、世俗を感じない気高さを湛えたゴールドベルク変奏曲が聴けました。
 ボックスセットは、グールドが生前にCOLUMBIAに発売を承諾していた78枚のアルバムに3枚のインタビューCDを加えた内容で、劣化が進むアナログマスターテープから音楽を救済するためにDSD方式によるデジタル化を図り、リマスターリングを施しています。
 1982年のゴールドベルク変奏曲も、従来のPCM音源ではなく、同時録りしていたアナログテープから生成したDSDデータをCD製造に使っているのが目玉のひとつ。 ただし、レコード会社が今そのアナログテープを持ち出したのは、他のアルバムと同じプロセスでDSDに置き換えた方が音質を揃え易いし、いずれDSD化するなら併せて作業しておくのが合理的だからでしょう。
 私見ですが、アナログテープをDSD化しただけでは、30年前に感銘を受けたPCM音源によるレコードの音を越えることができるとは思いません。 DSD方式はトレンドのデジタル信号化技術ではあるけれど、有り体に言えば音楽の容れ物で、容れ物は性能が良くても音に色を付ける手段ではないから、本来、聴き手にはあまり関係ない話しです。
 我々が本来の音を聴くには、オリジナルマスターの刷新しかないはずで、従って、リマスターリング企画こそ待ち望んでいたもの。 音楽を分解して再構築する作業は、エンジニアが耳で判断しながら試行錯誤で仕上げる、いわば職人による芸術作品の修復で、今までとは違う生まれ変わった音が聴けると私は期待したのですね。

Glenn Gould Boxset  ボックスセットのもうひとつの恩恵は、収められた全てのアルバムに一定の音質基調が与えられたことでした。 実は、それまで私は、製作年が大きく離れたアルバム間の音質差に慣れることができず、感興を殺がれるので、連続して聴かないようにしていたのですが、その違和感が解消しています。
 たとえば、デビューアルバムの1955年のゴールドベルク変奏曲は、多少くすんだ音と遠景風の録音が釣り合ってはいるものの、音色の古さが私には心理的な介在物になっていました。 それが、鮮度が向上してタッチが明瞭になり、特に弱音での繊細さが聴き取れるよう見直されることで、演奏の臨場感が1982年のゴールドベルク変奏曲に近づいています。 ボックスセットのリマスターリングに、コンサート活動を見限って、スタジオ録音で完璧な演奏を創ることに専念したグールドの志向を感じるのは、後期のアルバムでの録り方を想わせる音に平準化されているからで、私には好ましい修整でした。
 この文脈で、1982年のゴールドベルク変奏曲が初めてCD化されたときのマスターリングを臆測すると、聴きやすさを狙う余り、録音された精緻な音を手なずけようと弄りすぎて演奏の機微が埋もれ、ピアノを弾くグールドの姿は見えても、観念的な表現を感じ取ることが難しくなったのではないか。 そんな妄想が頭をよぎるのでした。




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