国内盤と輸入盤とモンキーズ
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/ 2018.10.01
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中学に通っていたとき、帰宅する時間帯に放映されていたモンキーズ・ショー。
その頃すでに、和製音楽全般にリズムの違和感を感じていた私は、もっぱら欧米のポップスを聴いていました。
洋楽のTV番組なんてない時代だから、本篇のコメディーより最後のビデオクリップが目当て。
演奏は口パクで、自宅のTVの音はチープでも、中学生の頭の中で鳴る音楽は輝いていたのです。
たまたまモンキーズのCDを見つけて、昔のことを懐かしく想い出したので、何十年振りかで聴いてみました。
2013年リマスターの国内盤は、古さを感じさせない聴きやすい音でしたが、まったり穏やかで音楽が弾みません。
お行儀が良くて、何かが足りない感じ。
後日、米国RHINO盤で聴き直したら、ちゃんと音が輝いているし音楽が弾むではありませんか。
高域にシャリ感のある、シンプルでガチャガチャした音色だけれど、1960年代のポップ感満載の賑やかさ。
当時も、ティーン向けのTVシリーズの雰囲気とマッチする音にミキシングしていたんだろうなあと、うがったことを考えたりしました。
RHINO盤で、リマスターの出来映えに感心したのは、そんなテイストを残しながら、今風の解像度と両立させていることで、たとえば、ギターのエフェクターの特徴が聞き分けられるのには嬉しくなりました。
モンキーズのサウンドは、メンバーのボーカルを作曲家とスタジオミュージシャンが支える形で創り出されたもの。
多彩な個性が参加していたおかげで独特の華やかさが醸成されたことを、ギターの音色に想ったのです。
ところが国内盤は、ボーカルを前面に出したバランスで、耳当たりのよさを優先して演奏の装飾音は抑え気味。
その代償として情報の幾ばくかが失われ、繊細な音は埋没しているので、注意して聴いてもギターのエフェクターを識別することはできません。
程度の差はあっても、音を丸めるのは国内盤でしばしば見られる特徴だから、日本という文化圏での音の嗜好と関係しているような気がします。
但し、例外も少なからずあることから、レコード会社が明確な意図を持って音作りしているわけでもなさそう。
CDのスタンパーを製作する工程で、マスターリングを担当するエンジニアの技術と感性で決まってしまうというのが実相ではないかと想像しているのですが、本当のところは分かりません。
国内盤と輸入盤の違いはレコードでも存在していたし、ポップスに限らずクラシックでも事情は同じです。
私は、可能であれば欧州盤か米国盤を購め、無理ならとりあえず国内盤を買うことにしています。
CDの音質より音楽が大切なのは言うまでもないし、国内盤を除外するほど偏屈でもありません。
たまに、国内盤の方が明らかに鮮度が高くて空気感に勝るCDが存在するから、気に入ったアルバムについては、新しいプレスが出れば実際に聴いて音のいい方を手元に残す習慣があるくらい。
とは言え、意識しているつもりでも、国内盤だけ聴いてつまらない音楽だと早計に判断してしまうことがあるのですね。
これは勿体ない話しです。
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