オーディオ機器と国籍             / 2000.04.02

オーディオ専門店で展示されている機器に、音響的な欠陥はないでしょう。
にもかかわらず、それぞれの人にひいきのブランドがあるのは製品の個性を問題にしているからで、
少なくとも上級クラスのモデルなら、ブランドを特徴付ける個性をもっています。
オーディオ機器の音の個性は回路設計で決まるものではなく、
電子部品のメーカー選定や、筐体なら構造や材質の修正を経て生み出されます。
つまり音決めは極めて意図的で帰納法的な作業であり、
ブランドの伝統的な味わいを添加することで、主宰者の嗜好を提供することができるのです。
従って、音楽のどういった要素をどのように鳴らすかといった審美眼と無縁ではなく、
最終段階の音決めを担当した人のセンスが強く表れることになります。
消費者は、このセンスを選んでいると言えなくもありません。

込み入った話しを解りやすく整理できる才能を持っている人がいたら、
その人をリスペクトすることがありますが、
これに似た気持ちを、海外のオーディオ製品に感じています。
私は、日本の伝統音楽や最近の音楽のリズムの不連続性が苦手で、
洋楽ばかり聴くようになったのですが、
その洋楽で、オーディオ装置を良くするにつれて演奏者の気持ちが伝わってくるようになると、
演奏者の人格を育んだ欧米の文化とか地域に興味を持つようになりました。
個人と、自由と権利といった価値観をもつ社会で育った演奏者の音楽からは、
私には希薄な、自覚とか向上心が伝わってくる気がしたのです。
演奏に宿る、日本ではあまり優先度が高くないこうしたニュアンスが、
輸入オーディオが備えている音のセンスを借りると、苦労なく感じ取ることができたのです。

国産オーディオが劣っているわけではなく、音決めを担当した人が育った文化の違いでしょう。
私見ですが、国産オーディオに共通するのは、曲全体の調和を大切にした行儀がいい音です。
ボーカル物なら、メインボーカルを引き立てたまとまりの良い鳴り方になります。
情報が欠落しているわけではないのに、秩序を乱す音を絶妙に間引いているように感じます。
聴きやすいと言えば聴きやすいし、日本的と言えば日本的で、
日本ならではの価値観を映しているのだろうと思います。
けれども、日本的な価値観なら日本人の私は自分の中に既に持っているわけで、
改めて日本的な解釈で聴かされると、
それを求めて聴いているわけではない私は、くどさが先に立って音楽が楽しめないのですね。

輸入オーディオは、私の、感性のアンテナに喩えられるでしょう。
音楽に表れる感情や人格の背景には社会観とか倫理観がありますが、
私自身がもつアンテナは、どうしたって生まれ育ったこの国の帯域での受信感度がもっとも高く、
欧米の帯域での受信感度は低いものになります。
帯域がずれていると受信強度が低いので、耳を凝らして聴き取る努力をしなければなりません。
別のアンテナを併用して、自前のアンテナでは鈍感だった帯域を補うことができれば、
聴き手の努力が軽減されます。
私の場合、この別の感性のアンテナが輸入オーディオだったのですね。
私には手放せない道具です。




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