レッド・ツェッペリン            / 2000.01.04

私がレッド・ツェッペリンを初めて聴いたのは、
1969年にポリドール提供のFM番組で、デビューアルバムの発売が告げられたとき。
これはと思うバンドの多くがブルース寄りで地味なのが、若い私には不満でした。
ところが、レッド・ツェッペリンはグルーヴ全開で演奏のパワーが桁外れ。
これこそ聴きたかった音楽だと興奮して、
真空管式のテープレコーダーを廻しながら、高校1年生の私は感激していました。

番組の解説は、説明が丁寧でわりやすい湯川礼子氏で、
オンエアされたのはGood Times Bad Timesを含む2曲。
このときは、「赤い(Red)ツェッペリン号」と紹介されました。
レコード会社から提供された資料が、おそらくカタカナ表記だったのでしょう。
「本国のライブでも、歌詞が聞き取れないところがあるらしい」と言い添えられたのも、
同じ資料に書かれていた逸話のような気がします。
翌週に、「率いていた(Led) ツェッペリン号」と訂正されるのですが、
Ledが鉛の意味だったと日本で広く知られるのは、もっとあとの、情報が溢れてからですね。
今では微笑ましい、懐かしい想い出です。

私はレッド・ツェッペリンをハードロックに分類していません。
バンドの音をひと塊にしたようなミキシングで力強さを演出していても、
重ね録りした音の配置は巧みで、
その構成に、クラシックの交響曲を聴くような感覚を私は覚えていました。
雑誌によっては、ヘビーロックやヘビーメタルとして紹介されていましたが、
それは特定の曲を採りあげて、演奏様式から、始祖に祭り上げる文脈でのことでしょう。
いろいろな音楽を取り込み、生み出しましたが、どれも多様性の一部で、
レッド・ツェッペリンの本質は、演奏様式とは別のところあると考えていました。
だから私の中では、ロックと言うだけで十分だったのです。

音色でそれと判るジミー・ペイジのギターの音運びはドラマチックで、
ギターと掛け合いを繰り広げるジョン・ボーナムのドラムスは驚異的。
ロバート・プラントの卓越した歌唱の世界観は秀逸だし、
重厚な曲であろうと軽快な曲であろうと、
洗練された楽曲に整えるジョン・ポール・ジョーンズのセンスは出色でした。
それらが併存してレッド・ツェッペリンらしさが醸成されていたので、
誰が欠けてもレッド・ツェッペリンではなくなります。
演奏とは別に、私が感心したのは、
圧倒的なエネルギーが、綿密に組み立てられた構成と両立しているところでした。
その冷静な計算に、知性を印象するのですね。
ファーストアルバムでは、ギターソロの多重録音に片鱗を見る程度ですが、
アルバムを出すごとに副旋律の適用範囲が広がって、複層的で精密になり、
音楽のスケールが増して行きます。
ジミー・ペイジがこれをプロデュースしていたのだから、
私にとって最も輝いていたのは、ジミー・ペイジでした。

そのレッド・ツェッペリンは、最近リマスター盤のリリースが頻繁です。
リマスターは、オリジナル・マスターテープからCD製造用のマスターテープを作り直す作業。
ジミー・ペイジは、レコードでは、バンド全体のまとまりを大切にした音を作ったのに、
1986年に初めてCD化されたときは、伸びがなく冴えない音でした。
1992年のディジタル・リマスターでは、ジミー・ペイジ本人が監修した、いわばリベンジ版。
他界したジョン・ボーナムへの敬意で、ドラムスを引き立てたと解釈する記事もありましたが、
レコードの場合、低域ほど溝を大きく刻まなければならない原理上の都合から、
低音はモノラルに近づけてカッティングし、それがレコードの味わいを作っていたはずで、
その効果に代わるマスターリングのノウハウが、やっと適用されたというのが実際でしょう。
定位と分離が改善し、楽曲の構造的な魅力も分かりやすくなりました。

余談ですが、
ヘルベルト・フォン・カラヤン氏が、評価するロックに「天国への階段」を挙げていました。
他意のない感想だったとしても、クラシック界の巨匠の言葉であり、
レッド・ツェッペリンをクラシック音楽と重ねて見ていた私としては嬉しいトピックでした。




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