グレン・グールドとチェンバロ       / 1999.11.23


あるときから、JBLの#4343で鳴らすピアノに不満に感じるようになりました。
たとえばグレン・グールドなら、音の重なりをもっと正確に聴きたいと思うのです。
低域の響きが霞まなければ左手の音がもっと鮮やかで、演奏の純度が高まると感じたのです。
チェンバロ曲でも低域に不満があって、音の鈍さが嫌でした。

原因は、バスレフポートから漏れる音でした。
原因が判ると意識するので、空気が出入りする擦過音までが耳触りになってしまいました。
エンクロージャ表面の鳴きには気がついていたのですが、問題はそれだけではなかったのです。
そうした付帯ノイズが不快に感じられるので、私はグールドを聴かなくなりました。
やがて、エンクロージャが音を濁していはしないかと耳をそばだてるのが習慣になり、
スピーカーがエンクロージャを持つ製品である限り、たいてい欠点が見つかったのです。

チェンバロとピアノはどちらも鍵盤楽器ですが、
チェンバロはキーを押し下げる途中でツメが弦を弾くのに対して、
ピアノは一番奥でハンマーが弦を叩いて音を出します。
ハンマーにはフェルトが貼ってあるので、強い音であっても鋭利ではありません。
グールドは、チェンバロの音を「触感の即時性」と呼んで好感していました。
ハンマーからフェルトを剥がしてステップルを打ち込んだスタインウェイを作らせて、
自分がハープシコードと思っている神経症的なピアノと形容し、
ハープシピアノと名付けて演奏していたと読んだことがあります。

フレームが鉄のピアノとは異なり、チェンバロは木製の本体がフレームを兼ねているので、
音の立ち上がりが急峻でも余韻は柔らく優しい楽器です。
リュートストップを使わなければ、その余韻が重なって曲の表情が変化します。
グールドはピアノの演奏でもこれと同じことを行い、楽譜からは読み取れない音楽を紡ぎます。
そうした演奏表現を、スピーカーのエンクロージャは覆い隠してしまうのです。
私は、私の「触感の即時性」を求めて、
エンクロージャがないAPOGEEのDIVAに惹かれたのです。




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