日本にある苗字(姓)のほとんどが、地名から起こったといわれています。たとえば、新田氏の場合、源義家の孫義重が上野国新田郡新田庄に土着して、新田太郎と称したのにはじまります。義重には七子があったようで、そのうち義範が多胡郡山名に所領を得て山名三郎と名乗って、その始祖となったのに続き、以下義俊が里見氏、義季が得川氏、そして経義が額戸氏とそれぞれの所領地にちなんでその名を称しました。
 やがて、その子孫たちも領地の拡大に伴い、田中・大嶋・堀口・世良田・江田・一井・脇屋氏などと地名を称するようになり、新しい苗字が派生していったのです。
 このようにしてみれば、根尾という苗字も地名から発生した可能性が高く、その発祥地を探るため「根尾」という地名を追ってみました。
 「根尾」という地名は、山から派生する尾根の裾野辺りの土地の形状から起こったといわれ、これと類似した地形はいくらでもあると思われます。そこで、同一地名を探してみました。




 
岐阜県本巣市根尾
 
岐阜県の南西部の北部に位置し、北側は福井県に接しています。
江戸時代初期には上根尾村、下根尾村に分けて呼称され、上根尾村九三八石余、下根尾村七七一石余(元和領地改帳)の村高がありました。後、大垣藩領となって、板所、市場、神所、中、樽見、大井など二七ヶ村に分村され、根尾という地名はなくなりましたが、大垣藩では根尾筋と称していました。
 明治三七年、再び根尾村として成立しましたが、平成十六年二月一日、近隣の本巣町、真正町、糸貫町と合併して本巣市となり、根尾村の名は消えてしまうことになりました。しかしながら、従来の大字名に根尾という地名を冠することで、その名は残ることになりました。
 『根尾村史』には「根尾は嶺尾(ねお)である。白山権現を中心に一連の屏風山脈を嶺とみた平野地域の人々が、その根元とした白山権現山の広がる一帯を嶺尾と呼んだ」という地名の由来があります。

 
岐阜県揖斐郡大野町大字野字根尾
 
大野町大字野には、一〇〇を超える小字名があります。そのため、一つ一つの規模は小さく、根尾という地名がつく土地も水田地帯の中の一区画にすぎません。

 ●松江市玉湯町大字林村根尾
 宍道湖畔にある町で玉湯町というより、玉造温泉の町といった方がとおりが良いかもしれません。玉湯町大字林村には、根尾、本郷、柳井、別所の小字名があり、そのほとんどが農業地域です。そのうち根尾という集落には二十数世帯の人々が生活を営んでいます。



 
「根尾」という地名が出揃ったところで、その土地と根尾氏がどのようなかかわりを持つのか、検討を加えていきたいと思います。
 まず揖斐郡大野町内の「根尾」ですが、現状は水田でさらに範囲は狭く、苗字の発生地というより、根尾村の住人がその田を所持していたことから、その地に「根尾」という地名をつけたように思えます。
 次に松江市玉湯町の「根尾」は二十数世帯が居住しているといいますから、苗字の発祥地としての可能性は充分あるようです。
 「多くの場合、苗字の発祥地は(自己の居住地や出身地の)その郡か、隣村にあると決まっていると極言したいほど」(大田亮『家系系図の入門』といわれていますから、同地が苗字の発祥地とすれば、この付近に根尾姓の家が何軒かあるはずです。そこで電話帳により探してみましたが、島根県内には、一軒もありませんでした。よって、この地からの根尾という苗字の発生はなかったといえます。
 以上の結果から、岐阜県本巣市根尾こそが根尾氏を名乗る人々の共通の発祥地といえるでしょう。