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紫竹 鳴海餅について

滋賀県産羽二重糯(甲賀産)

「羽二重もち」は、「はぶたえもち」と読みます。
東日本の方にはなじみのない品種かと思いますが、もち米の品種 約30銘柄の中で最も高い評価を受けているお米(もち米)です。
他のもち米と比べて病気に弱く、栽培も難し いために生産地域が少なく、全国的にあまり 流通されておらず、主に西日本の和菓子屋 さんなどで利用されています。
当店では、創業以来このもち米にこだわり 使用し続けております。


琵琶湖周辺の肥沃(ひよく)な土壌(どじょう)と 忍者の里で有名な滋賀県甲賀(こうか)地域で 栽培された、
「滋賀県産羽二重もち」は、おもち の「柔らかさと伸びのよさ」が特長です。
甲賀地域は「3百万年前の昔は琵琶湖の湖底だった」といわれている。 湖底に堆積した粘土層は地元では
「ズニン」と呼ばれ,青みのある特殊な重粘土の水田は農作業に苦労を強いられたが, 「滋賀羽二重糯」
の栽培には相性がよく,甘みと粘りのあるこの地域特有のもちが生産され「小佐治のもち」は有名である。
平成15年度から「滋賀県環境こだわり認証制度」を受けて栽培が行われている。
収穫された米はJAの「もち専用乾燥調製 施設」で火力を使わない脱水分離装置で自然乾燥され大切に
冷蔵保管されている。


丹波大納言小豆(氷上春日大納言)

波産小豆の歴史は古く、幕府や京都御所にも献上されました。

「大納言は殿中で抜刀しても切腹しないですむ」と、煮ても腹
の割れないこの小豆を「大納言小豆」と名付けられたといわれ
ています。

大納言小豆は表皮が薄くて光沢が美しく、 煮詰めても形がこわれないのが特長です。 また糖分を多く含み、長期の保存にも耐えます。


当店は、高級素材である丹波大納言の中でも、本場と言われる丹波大納言小豆発祥の地丹波市春日町でとれた大納言小豆にこだわって 使用しております。


丹波黒さや大納言小豆の歴史

春日大納言小豆(黒さや)
●寛永2年(西暦1625年 約380年前) 丹波の国亀山藩主(青山下野守)は、庄屋に丹波の国、国領村東中(現在の兵庫県丹波市春日町東中)で 生産された小豆150㎏を納めさせた。
 150㎏の中から15㎏を精選して幕府に献上した。幕府はその中の幾分を京都御所に献納した。  是が小豆献納の起源となった。
《大納言は殿中で抜刀しても切腹しなくても済むことから、煮ても腹の割れないこの小豆を大納言小豆 との称号が 与えられた。》
●寛延元年 青山候が篠山に移封後も、同様にして東中から小豆を購入して、小豆献納は続けられた。 ●小豆献納は明治維新まで続けられた。
●明治28年 大納言小豆の共同販売組合が設置された。
●明治29年12月 合資会社となる。しかし、小豆は綿花の間作として栽培されていたため、綿花の 栽培が衰退  するのと時を同じくして、小豆の栽培も衰退する。
●明治31年12月 合資会社を解散する。
●大納言小豆は、東中の一部地域でしか栽培出来ないため、量産が出来ない。その為に(黒さや)を基 に量産を目的  とした品種に改良され、現在の春日大納言小豆になっている。  
 ※ 原種(黒さや)は栽培面積が限られているため量産出来ない。
 その為、質より量が求められる時代には適合せず、生産者は激減する。
 しかし、品質の良さを知る農家では、自家用として作り続けていた。
●量より質を求める時代背景に後押しされ、大納言小豆(黒さや)を復活させるべく《黒さや会》を結 成し、春日大納言  小豆(黒さや)として特産品の生産に励む。
●平成14年8月6日 「黒さや」商標登録取得。
●市町村合併により、春日町は丹波市となる。この事により「春日大納言小豆(黒さや)」を「丹波黒 さや大納言小豆」と称する。
●平成18年12月吉日 秋篠宮悠仁様ご誕生祝いに献上

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