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長崎名勝圖絵(ずえ)によると江戸時代の中期、享保の末(1735年頃)のころ、中島川にはゴミや汚物が捨てられ、水の流れがふさがれ川が汚れたことが、記述されています。 河童は怒り、夜ごと水神神社の裏門をたたいたり石を投げました。
そこで水神神社の宮司さんは、長崎奉行所に願い出て「みだりに物を川に捨てないように」とのおふれを出してもらいました。
河童たちは喜び、その後中島川と水神神社を守っていきました。私たちも、川や自然を大切にし守っていきましょう。
長崎名勝圖絵 【 川立~祠(かわだちのかみのやしろ) 】の原文 ・・・享保の末(1735年頃)のころ、河太郎(河童のこと)夜毎に出でて社頭の後門を叩(たた)き、礫(つぶて)を放ちてやまず。 時の社司考へ計(はか)りて彼(河童)が潜居(せんきょ=住居)の渓流草芥(そうかい=草やあくた・ごみくず)濁壊(ごくね)の物の為に塞(ふさ)げらるることを知り、これを禁じて棄(すつ)る莫(なか)らんことを願ひ請ふて許しを得たり。これよりいよいよ此邊(このへん)すべての守護をなさんことを告げてしづまれり・・・
※長崎名勝圖絵
長崎奉行筒井和泉守政憲が文政年間(1820年頃)から、儒学者の饒田喩義(にぎたゆぎ)に編纂させたもの。
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