この地方では、河童のことを「カワッポ」、または「ガワ太郎」とか「ガタンボ」などといい、海や川に住んでいる。むかし、瀬戸の白浜部落の浜辺ちかくの一軒家に、からだが大きくて力もちの、権八という爺さんが住んでいた。
ある夜のこと、権八爺さんが、夜中にふと目をさますと、話し声が家の外でしていて、耳ざわりになって寝つかれずに、仕方なく起きて外にでて、声のする方を見たら誰か相撲をとっているので、わからないように、近くに行ってみたらなんと河童達だった。
権八爺さんは、びっくりしたが、河童の相撲があまりにもおもしろいので、だまって見ていたら、どうしたことか、河童に見つけられてしまった。
白浜の海岸 そこで、河童たちは、権八爺さんに、「どうや爺さん、相漢ばとらんや」といわれたが、「いや、おらあ−とらんばい」といって相手にしなかったが、河童たちが、なんどもなんどもいうので、とうとうとることにした。
やがて、たがいに向かいあってかまえたが、そこで権八爺さんは、「なんでも河童は頭のくぽみの水がなくなると力が弱くなる」と聞いたことを思い出し、河童に、「あのな−相撲ばとるときゃあ−、こぎゃんしてからとるもんたい」といって、さかだちをして見せ、河童にもさかだちをさせてからとりくんだ。
ところが、頭の水がなくなった河童は、だんだん力がなくなり、この力の強い権八爺さんには、さすがの河童もなげとばされ、他の河童もつぎからつぎにと相手にな るが、権八爺さんはかわるたびに、はじめのようにしきりをして、とりくんでは次々になげとばし、河童を負かしてしまった。
そこで、権八爺さんは、もうこれから「いたずらをしたり、相漢ばとろうや」といわんようにこらしめてやろうと、最後にとった河童の腕を折って、わが家にもち帰ったという。
夢みる河童・濱脇晴美 作陶
(ころこ庵・外海町神浦678)ところが、それからというものは、毎夜、毎夜権八爺さんの家の外に河童がやってきて、「腕を返してくれ、腕を返してくれ」とたのむので、かわいそうになった権八爺さんが、外に出て河童たちに、「腕は返してやるが、おれが今からいうことを約束せんばいかんぞ。それはな−、いまから、あの長瀬の沖にある十字岩が、波にあらわれてなくなるまでと、この白浜の砂が一粒もなくなるまでは、この白浜の海で、人にいたずらしてはならんぞ」と、 大声でいいながら、「さあーもっていけ」と腕をわたしてやったら、いままでいた河童たちが、いつのまにかいなくなってしまったという。
このことがあってからというものは、この白浜の海辺では、河童のいたずらもなくなり、おぽれかかった人はいたが、おぽれて死んだ人は一人もいなかったといわれ る。
<大瀬戸町郷土誌 町制施行40周年記念事業 平成8年7月発行より>
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