水神渕と河童   大村市の郡川(こおりがわ)
 郡川の荒瀬郷と原口郷との境目に水神渕と呼ばれる深い河のよどみがありました。今はそのすぐ上流にコンクリートの井せきが出来て、川の流れも変化して渕も失われてしまいましたが、昔は非常に深く昼なお暗い場所で、魔物が住むような無気味な所でした。

 その水神渕の右側の岸辺に水神神社がありました。後ろには大きな数百年もたつ松が枝を広げてそびえていました。
御神体は大石に十一面観音が刻みこまれ、その昔はいささかの境内らしいものがありましたが、洪水のたびに破壊されて、永い間に御神体の大石も位置を変えました。他に建てられていた石仏なども今は行方不明です。

郡川 98/10/18 撮影
鬼橋から見た郡川・矢印が水神渕

 ここは昔から河童の住む渕として有名でした。

 河童は形は人間と同じようなかっこうをしているが、人間より小型で足と手には水かきの膜があって、頭の上には髪は丸く周囲に生え、平たい頂には、水をたたえた容器を持っていて水中で主に生活しましたが、地上に上がっても、もし頭の水をなくすと、全く体の力がなくなると言われていました。

この水神渕の河童は少なくとも十数匹はいたというのです。河童は水神様のお使いで、そのためにここに住みついていたのです。水神様は下荒瀬の渋江家の祭り神でした。

大村ライオンズクラブ H9/5/25 建立 98/10/18 撮影
鬼橋の上流南岸にある河童像

 渋江家はその昔、源平藤橘と呼ばれた貴族の流れの一つ橘氏の出で、中世時代の佐賀武雄にあった潮見の庄の領主から、戦国武将となり、戦国時代の戦乱で城と領土を失いました。回復をはかりましたが、元和二年の大阪夏の陣にも豊臣方に参加して戦いに敗れ、後に大村に来て荒瀬に住みついたのでした。
 その渋江家の先祖が、ある戦いの折に「水神様のお加護によって河童共が手を貸し、危機一髪のときを逃れる事ができた」と言うゆかりで、渋江家では水神様を祭り、河童を大切にしたと伝えられているのです。

 どこの渋江家でも必ず水神様を祭りました。

 その一族の中でも特に荒瀬の水神はその中心をなしました。(大村藩の)殿様が居られる玖島の城でも、水神信仰が厚く、角堀の北の隅に水神社がありましたし、その神職をしたのも荒瀬の渋江家の二男でした。
 郡川は大村地方第一の川でしたから、久原分、池田分それに波佐見などの渋江家も昔は荒瀬水神ぶちに一族が集まって祭ったのでした。

 祭日は毎年九月二十九日で、その日は荒瀬と原口郷の家庭用水、水田に至るまでおよそ水に縁がある者は、全部が水神様の神事に参列する習わしがありました。儀式の後には餅撒き相撲があって、にぎわうのが常で有名でした。

 荒瀬原口の住民はその日はそれぞれの家庭の井戸や洗い場それに田んぼの水口に、御幣(ごへい)と竹の筒に御神酒を上げ、その一年の無事息災と豊作を祈りました。

大村ライオンズクラブ H6/11 建立 98/10/18 撮影
竹松小学校区青少年健全育成協議会と
大村ライオンズクラブが設置した河童像

 さて、水神社で神事を済ませた渋江家では、今度は自宅に座を移し、床の間には観音と河童の掛け軸を飾り、三方(さんぼう)に米、菓子、果物、野菜を供え、十余人分のごちそうの御ぜんを並べて、河童が水神ぶちから十余匹きて着席するの見届け、それぞれ渋江家の一族も座について、渋江家の当主よりあいさつがあって酒宴となりました。

上の案内板の河童 他家の者がこれを見て、「姿が見えないではないか」と言うと、ひとしきり酒宴が済んで、河童が座を立ったあとを指さして、「ほれ、ごらんなさい。河童の座った跡には濡れた跡があるではないか」と言われて見ると、座席の跡には河童のお尻の形をした跡が見られたと言います。

 この河童共へのごちそうには、必ずなすぴとヒュウナのみそあえが一皿つけられるしきたりでした。 その後は夕暮れになると、近所に必ず水神様の餅を配りました。

 荒瀬の渋江家は水神様の御加護で大変に栄え、自分の屋敷の周囲には十町歩余の田や畑や山を所有し、門口から往還(大村古街道)まで百余間は他人の土地は通らないと言われる程でしたが、今は渋江家もすでにありません。

大村市鬼橋町の葛城橋の下
青色の矢印の所に水神神社があった(木がはえている所)
十一面観音を刻んだ大石がある竹藪(白の矢印)

 そして河童の水神ぶちも消え、わずかに十一面観音を刻んだ大石だけが、郡川の中に転がっているにすぎません。河童の子孫がまだそこにいっぱい居るのかも知れませんが、渋江家以外の人には見えないので、残念ながら確かめようがないのです。
 河童もきっと寂しく泣いているかもしれませんね。

 そう言えば昔から親の言うことをきかない子、また悪いことを平気でする子が泳ぎに来たら、よく「しり」を抜き取ってそんな子は殺されると言われました。
河童を大事にすれば功徳があり、水難事故がないと古老から聞かされました。こんな事もそこらで河童がこっそり聞いているかもしれないな。

<大村の民話と伝説 上巻 大村史談会長 河野 忠博 著
大村史談会 昭和60年2月発行より>

 水神渕の十一面観音を刻んだ大石は、河川敷の竹藪の中にありますが、毎年4月26日に村の人々が出て、周囲を整備しておられます。
 また、大村市の竹松小学校区青少年健全育成協議会では、毎年5月に「郡川の自然に親しむ会」を実施し、「鮎(あゆ)」の放流などのを活動を続けておられます。


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