むかし、笛吹(ふえふき)に三吉(さんきち)という人がいた。祝い事や仏事ごとに家々を訪ね、加勢をしてはご馳走になることを喜んだ。
この三吉がある日、浜津(はまづ)の婚礼に手伝いに行き、腹一杯ご馳走になった上、お土産のつと(※包み物・わらで作った入れ物)を貰い、夜更けの 道を帰っていた。小渕(おぶち)の石井山(いしいやま)の辺りまで来ると、裏の池から、がたろが出て来て、そのつとの中の食べ物をくれという。 ここで三吉、つとを投げ与えればよかったものを与えなかったばかりに、とうとう池の中へ引き込まれてしまった。
この池は本道より入りこんだ所にあるのに、どうして三吉がわき道に入ったのか知る由もない。
それから三吉が池といって、夜はここを通ることを恐れられていた。
長崎日大高校の
金子 裕美 さん wrote(注1)小値賀のがたろ=河童川太郎のなまりで、小値賀では「がっぱ」また「がたろ」と呼ぶ。
九州では遠賀川河童と筑後川河童が有名だが、小値賀のがたろは、水の下(※みずのしも・チリリン川の河口一帯に広がる浜)に頭領がすみ、全島に住むという。水の下がっぱは海から上りチリリン川までぞろぞろ列をなしたという。出没するのは殊に五月、雨の夜でヒュー ヒューと鳴く。身体は四歳児位。頭には摺り鉢をかぶり水を溜め、力のもととする。傾いて水がなくなれば力は抜ける。
腕はだん竹の如く荒毛が密生し、足は水かきのあるあひるの足に似る。
がたろは人に会えば必ず相撲をいどむ。この時は互いに一礼をすべし。そうすれば頭の水がこぼれて力が失せる。し かし水を補給される場所はさけて必ず水のない畑を選ぶこと。腕は毛のため滑るので、一度逆にしごき あげて急に引けば抜け落ちると。他所の河童とさほど変らない。がたろの話は数多くあるが省略する。
(注2)小値賀では祇園様の日に泳ぐと、池では「がたろ」に引き込まれ、海では「いっちょんかん」に引っ張り込まれて尻の穴から内臓を抜かれると言い伝えられ、 決して泳がなかった。また祇園団子を投げ与えて泳げばよいとも言われていたものである。
(注3)平戸藩主、松浦静山の著書「甲子夜話」には、小値賀で、河童が童女を妊ませた話が載っているが、小値賀では伝えられていない。
<小値賀町郷土誌 小値賀町郷土誌編纂委員会編纂
小値賀町教育委員会 昭和53年3月発行より>
(※は注釈を入れました。)
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