金洗石(かなあらい・かならい)    島原市洗切町(あらいきりちょう)金洗 
 三会(みえ)一帯は、県下有数の農業地帯であり、かつては馬の産地としても名を知られていました。 古代から栄えていたと思われ、銅剣や勾玉、カメ棺などが出土しています。
 畑の真ん中に、3.2×2.5メートル、厚さ80センチの大石が横たわっていますが、これは墓の蓋石(ふたいし)で、 当時の豪族の勢力がうかがえます。

 この大石を「金洗石」といい、「洗切の大金持と、隣村の三の沢村・一野(いちの)の大金持の財力比べ」の民話が語り継がれてきた。
 審判者は油堀のカッパ、ということになっていたがカッパが登場する前に、この案件は解決した。

金洗石 98/10/2 撮影
にんじん畑の金洗石(背景は眉山)

 洗切の大金持と一野の大金持は、ふとしたいきさつから財産くらべになってしまったが、どちらも自信はなかっ た。どちらも「おれのが多い。おれのが多い」と思っているばかりであった。

 さて満月が頭上に登ったころを時刻と定め、油堀のカッパを立合として財産比べが開始されることになって いたが、洗切の大金持はどうも気が気でない。どうやら自分が負けになるようで気をもんだ。

河童のお手玉 そこで定刻になると油堀のカッパがあらわれる。その前に探索しておかねばならぬ。と考えた洗切の大金持は、 持っているだけの財貨を俵に詰めて運び、一野の大金持の屋敷の塀の外に置き、それに乗って中のようすをうかがった。

 一野の大金持の家では、あかりがついていてあわただしい。娘に良か着物を着せたり、オシロイを塗ったり紅(べに) をつけたり。娘の結婚式だという話は聞いてもいなかったのに、これはなにごとだろうかと、洗切の大金持がい ぶかしく思っているうち話声が聞えた。一野の大金持と家族の対話。

 さあ、これでよし。そろそろ月が頭の上にくる。油堀のカッパどんもくるころだ。

 変な約束ごとば、なされましたな。
 うん、変なことから、変になった。しかし約束は約束だ。

 これでは洗切どんを、だますことになる。

河童のお手玉 うん、洗切どんの方が金持ちうことは知っていたが、負けられんもんだから、つい財産比べになってしもた。

 月が頭ん上にきて、油堀のカッパどんがきたら、どうなさる。

 うん、おれの全財産は、この娘だ。どうだ。全国一のベッピンぢゃろが、これがおれの財産だ。というてやる。

 対話を聞いた洗切の大金持は、乗っていた財貨の俵から飛びおりると、それをかついで急いで帰り、財貨の上に 乗ったのは相すまぬことぢゃったとて、俵から出して一枚一枚、川水で洗って石の上に並べて乾かしたげな。

 それから、この石を金洗石といい、金洗という地名になったという話。

<島原秘話 渋江鉄郎著 昭和堂印刷出版事業部 昭和54年12月発行より>


 著者の渋江鉄郎氏は、島原市のご出身で数々の郷土誌を発行されています。
神官ではありませんが、水神を祭っている渋江家の家系で、代々境内社として水神を祀っておられ、渋江氏の家には昭和37年頃まで「河童の手」があったという。
 渋江氏は、「獺の手であったろうと思った」と、記述されています。(島原じゃんば 渋江鉄郎著 昭和堂印刷総合企画 昭和51年7月発行)


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