三輪神社記によれば、紐差(ひもさし)村にはかって河童住みて、おおいに住民を悩ませし事ありとかや。ある時三輪家の祖先たる飛弾正の屋敷内に、小馬をつなぎ置きたりしに、例の河童は家人の油断をうかがいて、小馬を川の中へと引入んとぞする。
三輪神社がある「沖の島」 この物音に驚きたる正、さっそく馳せいで、この体ながめて、くわっと怒りやにわに河童と組打ちをなしついにこれを引っ捕らえ、三日三夜ひしひしと縛りたりしに、河童おおいに弱り「今日このあと決して決して当紐差の氏神のものには毛頭仇(あだ)をつかまつらず(恩を仇で返すことはしない)。」とわびたり。
正も満足して「しからば差し許す。いかなる者にも危害を加えべからず、断じてまかりかなわぬ。
そのかわり汝の為にはこれなる大石を、鐘を叩きて祭るであろう」とようやく助命の沙汰ありしかば、河童おおいに喜び(心)妙なる手振りをして立ち去りしという。
河童の箸置き 一説には飛弾正はこの河童が引き入れんとする時、そのせつな音響を発すべく、馬の尻に薬罐(やかん)と笄(こうがい・髪をかきあげる箸に似た道具)を結びつけて置きしに、その後まもなく異様の音響を発せしかば、ただちに引っ捕らえしと。
この河童の去らんとするにいどみ
「紐差の代官様の尻は石尻、金尻、包下尻、薬罐のふた尻、笄尻」と駄洒落を残したとやら。 今もなお一つの笑い話として残れり。<北松浦郡紐差村郷土誌 昭和34年2月発行より>
(括弧)は注釈を入れました
河童が馬を川に引き込む、という話は、「河童駒引き」と言われ全国にあります。
⇒壱岐にも、「河童塔」の話として、伝えられています。
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