ガータローの腕  下五島・福江市
 旧幕時代(※安政6年頃)に、福江に松島某という力の強い町人がいた。

 ある日の暮方岐宿(※きしく)から福江へ帰ろうと、一里川(※福江川)の石橋を渡ろうとすると、(一説には石田(※福江)城のあたりで)その橋の上で五、六疋(※ひき)の河童角力(※すもう)を取っているのに出会わした。

福江川と大正橋
福江川と大正橋

元来角力の好きな彼はその場へ飛び込んで挑戦した。  彼は相撲に勝った。そして河童の腕を抜き取って帰って来た。

 とある夜、その腕を抜かれた河童が訪れて来て、その腕を返してくれと泣きながら懇願した。そんな事が数夜続いたので、彼も遂に気の毒になって返してやった。

 すると河童は、そのお礼のしるしにといって (一説には、証拠になるものを持って来いと命じたので)十人持ち位の大青石を門の側に置いて行った。

<五島民俗圖誌 久保清・橋浦泰雄 著 一誠社 昭和9年11月発行>
(現代漢字かなに修正し、※は注釈を入れました。)


 この大青石は、昭和の初めまで、福江末広町のNTT下の三叉路の角に、移して置いてありました。
 その後、宗念寺の再建の時、霊力のある河童の大青石であるから、寺の礎石にしたほうが良いというので、宗念寺の基礎石として埋め込んでしまったそうです。

<九州の河童 純真女子短期大学国文科編 昭和61年発行>


 平成7年3月福江市より発行された「福江市史」には、河童に関する話が、「があたろ物語」として、12話も収録されています。 いかに河童の話が、五島列島に多く伝わっているかがわかります。

 ⇒福江市 水神社



長崎県の河童伝説  長崎坂づくし   対州馬   index