河童の文使い   天草島民俗誌より
 ある時、上島と下島の間の瀬戸を一隻の船が有明海の方へ抜けようとしていた。すると岸から一人の男が、
船頭さん、その船はどちらへ行きますか」と呼びかけた。
 見れば立派な男で、傍に一挺の樽を置いている。船頭は、柳河(やながわ)に行く由を応えた。
 するとその男は、
「それは誠に幸いでした。それではこのを柳河の問屋まで届けてください。至急を要する品物ですから。この手紙に書いてある問屋にすぐに届けてください」と言って、高すぎると思う程の賃金を渡した。それからいよいよまた船が出るとき、その男は、「この樽はまことに大事な物が入っていますから、途中で決して開けて見てはなりません。もし開けたら大変な事になりますから」
と繰り返し繰り返し言ってどこかへ去ってしまった。

青芽作 河童
青芽(中村信夫)作

 船は順風に帆をあげて柳河見かけて走っている。灘中に来たとき、舟子が、あれ程あけて見るなと言った樽の中のものは何だろうと、中が見たくてたまらなくなり、船頭に向かって中をあけて見ようと言い出した。

 船頭は出来ないと言ってしきりに止めたが、遂に聞き入れず、樽の中を開けて見ると、中にはかつて見たことの無い、ど黒い色のべらべらした物が、大小ぎっしり詰まっていた。何という物であるかさっばり見当がつかぬ。

 すると船頭が、
「この手紙は送り状に違いない。これを見たら何か判るだろう」
 とその手紙を見ると、これは驚いた。二人とも腰をぬかして蒼白になってしまった。なぜかと言えば、それは、天草の河童が、柳河の河童の王様に納める年貢のための人間の肝が99詰めてあるのであったから。

青芽作 河童
青芽(中村信夫)作

 しかもなお手紙の中には、
「今年は人間どもが要心をして、なかなか肝をとることが出来ずお定めの100だけ納めることが出来ませんので、99送ります。そこで不足の分の一つはこの船頭の肝をとって100にしてください」とあった。
 そこで船頭は驚いてそれを捨ててしまった

 昔は、九州を支配する河童の王様は、柳河に住んでいて、各地の河童から人間の肝の年貢を取り立てていた。天草の河童は100納めることになっていた(安田暢君報)。

<天草島民俗誌 濱田 隆一 著 郷土研究社 昭和7年6月発行より>



 1998/9/15 NHK福岡放送局から、「筑前民話、語り部(べ)の四季・蒲原(かもはら)タツエの世界」が放映されました。
 蒲原さんは佐賀県塩田町にお住まいですが、この「河童の文使い」の話がその中では「有明海の千潟の泥(がたどろ)ができた由来」の話になっています。
 船頭が驚いて捨ててしまった「人間の肝」が、「人間の肝っ玉のような、有明海の千潟の泥(がたどろ)になってしまった」という。 

長崎県の「河童の文使い」に戻る



長崎県の河童伝説  長崎坂づくし   対州馬