土煙の舞う中、アべルトは閃光の中心にあったものを見る。 
瓦礫の中には能面のような表情をした初老の男性の姿があった。 
背は高く、がっちりとした体格をしていた。男性の浮かべる無機質で無気味な表情さえなければどこにでもいる老人に見える。 
アべルトはこの男をよく知っていた。産まれた時から共に生きてきた人だった。男には、かつての威厳と誇りに満ちた姿はどこにもなかった。 
変わり果てた自分の父親の姿を、アべルトは痛ましい思いで眺める。 
「父上…」 
呟く声はもう届かない。 
魔王に乗っ取られた時点で、アべルトの父親は消滅しているのだ。ここにいるのは、父の姿を借りた魔物達の王、魔王なのだ。 
「帝王!」 
辛くも爆発に巻き込まれなかった、帝国の将軍の一人マーカスは魔王に剣を向け牽制する。 
「マーカス。あれは先帝ではない!躊躇するな!」 
叫びアべルトはきつく拳を握る。 
「御意!」 
マーカスはそう応えると、今だ動かない魔王に斬りかかった。魔王の半眼だった目が開かれる。 
そして、一方的な殺戮は始まった。 
 
帝国の騎士達は果敢にも魔王に切りつける。何人もの騎士達が魔王に打ち込むが、その刃が魔王を傷付けることはなかった。 
魔王の皮膚は鉄よりも堅く、騎士達の剣は弾かれ、ぼろぼろに欠けていった。満足に打ち込みもできず、彼らは項垂れるしかなかった。 
「駄目だ…」 
戦いの帰趨を見てとり、アべルトは呟く。 
残存していた騎士達はもう半数近くになっている。帝国の騎士達は皆勇敢に戦ってはいたが、いかんせん魔王の力は恐ろしく強大だった。ほとんど何も出来ずに彼等は殺戮される。 
 
「諦めないで下さい。帝王!間もなく援軍も来るでしょう。ですから…!」 
そう悲痛な声で叫びながらマーカスは、恐らく人生最高の太刀捌きを見せた。鉄をも弾く魔王の皮膚が微かに切り裂かれる。 
つーっと、一筋の青い血が滴った。 
「グランミアの恥はグランミアの血でそそぎましょうぞ!」 
おおおおおっ、という低い気合いの声と共に、マーカスは魔王の首筋目掛けて剣を振り降ろす。ガキンという鈍い音と共にマーカスの持つ剣は、あまりの硬度に耐えかね真っ二つに折れた。 
しかし、折れた剣の切先は、ものの見事に魔王の首を貫通していた。魔王の首の中央は青い血で染まり、マーカスの剣の切っ先がめり込んでいる。 
「!やったのか?」 
アべルトは我知らず呟く。だが…。 
 
「……痛いではないか、人間」 
「!」 
先帝の姿をした魔王から、先帝その人の声が漏れた。魔王の声は先帝のままで、彼の人がいるかの様な錯角に陥る。 
「ゼイミア帝王…」 
マーカスは息を飲む。 
「その名の人間はとうに私が喰ったわ。さがれ、人間」 
魔王はそう呟く。 
そのとたん、マーカスの体は四散した。 
バラバラと血と肉が天に舞う。数秒前まで、そこにかつて命が宿っていたとは到底思えない有り様だった。 
 
「マ、マーカス!!」 
アべルトは腹の底から声を絞り出し、叫ぶ。 
人が…吹き飛んだ。マーカスが…。 
アべルトは口元を押さえ、蹲る。吐き気が後から後から込み上げてきて止まらなかった。 
帝国の騎士達は動きを止め、呆然とそれを見ている。 
余りの事に、現実味が何一つおこらなかったのだ。 
 
そんな事態にいち早く我に返った数人の騎士達が、怒りをあらわに魔王に斬り掛かる。 
「このっっ!!」 
「将軍の仇!」 
「失せろ、魔王!!」 
口々にそう言い、彼等は同時に刃を振り降ろす。 
魔王は自分の首に刺さったままの刃を素手で引き抜くと、おもむろに投げ捨てた。 
カラカラと瓦礫の上を破片が転がって行く。 
「ふん。人間風情が」 
騎士達はまたもや、マーカスと同じように魔王の眼前で弾け飛んだ。 
魔王は騎士達の返り血を浴びて、愉悦を漏らす。肌に付いた深紅の血をぺろりと舌でなめとり、悠然と眼前に展開する騎士達を見回した。 
誰もが恐怖で動けなくなっていた。息をすることすら忘れてしまう。 
 
「面倒臭いが、殺しておくか」 
魔王は淡々と感情を込めずそう言いおくと、周囲へと凶暴な力を飛ばした。 
「な。何だ?」 
騎士達はいぶかしる。 
すーっと何かが通過した。 
そう理解したとたん彼等は一斉に悲鳴をあげた。身体の各部から鮮血が吹き出し、続々と地面に倒れ伏せる。 
言い様もない程のむせ返る血の匂いが、周囲にたちこめた。 
微かに動いていた騎士達は次々に絶命していく。 
 
「こんな…」 
ある程度覚悟していたとはいえ、余りの凄惨さにアべルトは悲痛な声を漏らした。 
これ程の存在か。魔王とは!我らは、我らは…… 
 
……負ける……
 
そう思い至り、自分の腕の中のユークを見つめる。自分が命じ連れてこさせた幼い隣国の執務長官を。自分と同じく国、ユーリアの場合は自治区なのだが、を治める少年を。 
ノートン・ユーク、結局お前を巻き込んでしまっただけになったな。これは帝国の問題だったのにな。だが、…お前だけは何としても救おう!ここで魔王に殺させはしない。必ず逃がしてやるぞ。 
アべルトは程なく覚悟を決めた。 
 
□□□□ 
 
 
ほわんとした明かりが空中をふよふよと漂っていた。二人の人物が歩くのに合わせて移動していく。 
明かりに照らせれた狭い地下通路を、二人は足早に歩いていた。 
 
「カイネリアか。懐かしいね」 
シェザは周囲をきょろきょろと見回しながら呟く。随分昔の懐かしい思い出が脳裏に蘇ってきていた。思い出は数千年を経ても、色褪せず鮮やかだった。 
「あ、ここ確かラゼが絵を書くってごねてた部屋だ」 
シェザは彫刻だらけの、美しい部屋を覗き込みそう指摘する。その部屋の一角には、何人もの翼ある人々の絵が生き生きと描かれていた。 
「凄い。まだ綺麗に残ってるよ!」 
時の経過を思いシェザは、驚いて声をあげる。とうに風化していてもいいはずなのだ。 
「ふふん、当然。時止めの術を施してあるからな」 
ラゼは自慢げにそう言うと、部屋の中を見もせずさっさと通過した。慌ててシェザが、とことことその後を追う。 
「時止め…、相変わらずラゼってよくわかんないことに力を使ってるよな〜」 
「…人の事言えるのか、お前…」 
ラゼはぼそりと、シェザには聞こえないようにそうぼやく。自分なんかより遥かに訳のわからない力の使い方をしていたからだ。意味のない力の持ち主と、かつてはよく人間に言われたものだ。 
 
「でも、本当に懐かしいね〜、ここ」 
ほわんとした表情でシェザはそう呟き、過去の思い出にはなを咲かす。いささかうんざり気味だったラゼは、それとなく話題をずらした。 
「そういえば天族は元気か?永らく会っていないな」 
「元気だよ。今はミシェルって言う女の子が僕の宮で働いているよ」 
「へー。女の子が?」 
「うん。凄く可愛いよ〜」 
シェザはにこにこしてそう言うと、ラゼにミシェルのイメージを流した。 
赤毛の勝ち気そうな、少女の域にようやく達したぐらいの女の子だった。目はくりくりしていて、イメージの中の少女は優しい顔をして笑っていた。 
「心が優しくてね、とっても可愛いんだよ」 
シェザはまるで自分の子供のように自慢する。 
「ふうん。今度そっちに遊びに行こうかな」 
「うん。来て、来て」 
喜んで歓迎するよと、付け加えシェザは通路を曲がる。薄暗い通路を二人は延々と歩いていくのだった。 
地上の喧噪はまだここまでは届かない。 
 
 
□□□□ 
 
 
地上、破壊された大地の上には殺戮の嵐があった。 
血の匂いが風に乗って鼻孔をくすぐる。投げ出された幾つもの人の体。ばらばらになった破片が散乱していた。 
とても、正視に耐え得るものでは無い。 
 
「う。…ん」 
そんな中アべルトが殺戮の現場から離れようとしていた時、微かな声が腕の中からあがった。アベルトは足を止め、はっとして幼い子供を見つめる。ゆっくりとユークの瞳がアべルトの前で開いた。 
「…アべルト?」 
ユークは不思議そうな声でアべルトの名を呼ぶ。 
「大丈夫か?」 
「は、い。…あの…」 
何かを言いかけユークは、周囲を包む濃厚な血の匂いに顔をしかめる。嫌な予感がしてユークはアべルトの腕の中から半身を起こし、周囲を見回した。とたんに、辺りの惨状が目に飛び込んで来る。 
「見るな!」 
慌ててアべルトはユークの視界を遮るが、それは遅きに失した。 
 
「あ。あ、ああ!?」 
ユークは呆然と声を漏らし、硬直する。ぶるぶると震える手が、アべルトの腕を無意識に掴む。 
「ア、ベル、ト。これは…」 
「魔王が孵化した」 
問われ、アべルトは淡々と事実を告げる。 
「!」 
びくりと一つ震えた後、ユークは遥か彼方の小さな人影を発見した。騎士達の屍を踏み越え、しつこく取り囲む騎士達を切り刻みながら初老の男性は進んで来る。 
「あれが、魔王…」 
「そうだ。今の内にお前は逃げるんだ」 
アべルトはユークの肩を荒々しく掴み、必死な顔で告げる。 
「!?」 
ユークはいきなりの事に驚き目を丸くした。 
 
どうして?一緒に戦うんじゃないの? 
 
アべルトはそんなユークの感情を無視し、急いで話し続ける。 
「我らは負ける。頼む、お前は生き延びてくれ…」 
「アべルト…?」 
ユークは悲痛な帝王の顔を前に、呆然と呟く。 
 
負ける?帝国がやぶれる? 
 
「いいか、良く聞け。帝国には最早魔王を倒す事は不可能だ。その力は無い」 
「!」 
「お前はユーリアの人間だ。この国に殉じる必要は無い。さあ、早く行け」 
「でも…」 
ユークは必死に首を振る。 
「僕も残ります」 
「駄目だ」 
アべルトはきっぱり言い切ると、さっさとユークの手を引いた。 
「さあ、早く。魔王に見つからないうちに行くんだ」 
「アべルト…でも、もうすぐユーリアの騎士達もやって来ます。だから…」 
ユークはアべルトを押しとどめようと言い募った。しかし、アべルトは聞く耳も持たない。 
「知っている。だから、急ぐんだ。彼等と共にユーリアに帰れ」 
「アべルト!もう、僕の話をちゃんと聞いて下さい!僕が、今ここで逃げても一緒でしょう!?」 
ユークはアべルトの手を振り切り、自分を逃がそうとする彼と向き合った。 
 
「今逃げても同じです。いつか魔王はユーリアにやって来る。ここで倒さなくてどうやって倒すんですか!?」 
「ノートン・ユーク」 
「ここで倒さない限り勝てません!もう機会は無いんです!」 
ユークは、切迫した自分の中の気持ちを告げる。 
「僕の中の天の扉が教えてくれています。魔王を逃がすなと。魔王を逃したのなら、もう二度と倒す機会はないって!」 
「!」 
アべルトはユークの気迫に押される。 
「お願い。ここで倒しましょう。魔王を!」 
「…私だって倒したいさ。だが、もう戦力がない。援軍程度では魔王は倒れまい」 
悲痛な顔でアべルトは答える。ユークはそっと落ち込むアべルトの手を握った。 
「でも、まだ望みはあります。ハリー達が来てくれたら…」 
「…しかし。魔王の肌は剣を通さない。通ったとしても剣は粉々になる。これではいくらユーリア騎士団とはいえ、…戦えまい」 
うなだれるアべルトを前に、ユークは微笑んである事を告げる。ユーリアが今まで外部との接触を極力断ってきたその理由の一端を。ユーリアが神の足下の地と呼ばれている、その訳を。 
 
「大丈夫です。ユーリアの特定の武器には魔王を倒す力があります」 
「!」 
ユークの発言にアべルトは思わず顔をあげる。 
「何だと?」 
「昔から伝わっている剣が二つあるんです。神々が残した遺物だと言われています」 
ユークはそっと自分の胸を押さえる。 
「天の扉と共にずっと、ユーリアにあるものです。今はユーリア騎士団のハリーとファーンが受け継いでいます」 
囁くようにユークは告げ、悪戯っぽくアべルトを見た。 
「だから、…きっと勝てます。ハリー達が来ればきっと、勝てます」 
ユークは呟く。そうすればそれが真実になるかのように。 
 
「何とな…」 
アべルトはその話に、思わず苦笑を浮かべた。 
自分の知らなかった事実に驚き、隣国の幼い執務長官をほれぼれと見直す。 
 
この子は他にどんな秘密を、胸に秘めているのか…。大したものだ。 
なる程、ユーリアは確かに 
 
……神の足下の地……禁断の地…… 
 
 
そう、呼ばれるわけだ。神々の奇跡が脈々と今も伝わっているのだからな。 
「アべルト」 
ユークはじっとアべルトを見つめる。ややして、アべルトは諦めて吐息を吐き出した。 
「…わかった。しかし、ユーリアの騎士達が間に合うかどうか…」 
アべルトは眉間に皺を寄せながら、そう思わし気に呟いていた。 
 
そんな事を話していた次の瞬間、二人は何かの気配を背後に感じた。どっと冷水を浴びながら、とっさにアべルトはユークを抱えると地面の上を転がった。 
「!?」 
ひゅんという音と共に見えない刃が虚空を突き抜けて行く。遥か彼方にある城壁の一部が、ぐわんという音と共に一瞬で崩れ去った。 
凄まじいその有り様に二人は、思わずごくりと息を飲む。 
二人の背後には何時の間にか魔王が立っていた。帝国の騎士達は最早、誰もその場には生きてはいなかった。 
数多の騎士を惨殺し、殺戮を終えたばかりの魔王はぎょろりとした目で、二人を見る。 
 
「そこな子供。お前、面白い物を体の中に抱えているな?」 
魔王はアべルトの父親の声でそうユークに問いかける。 
「ふむ。神の息がかかっているようだな、お前」 
魔王は独り納得すると、すっとユークに向って手を伸ばした。とたんに、ユークはきりきりと空中に釣り上げられる。 
「あ!?」 
見えない手が空中でユークを無造作に掴んでいた。 
「う…」 
息苦しさにユークは悲鳴を漏らす。それを見、 
「止めろ!」 
アべルトは叫ぶと同時に剣を抜き、無謀にも魔王に斬りかかった。魔王はやすやすとかわし、片手をアべルトに向かって振る。 
 
ごおうっっ。 
風の唸る音がし、アべルトはあっと言う間に数十メートルを吹き飛ばされる。地面の上を木の葉の様に二転三転し、魔王に破壊された宮の、壊れた岩壁に大きな物音と共にぶつかった。その衝撃でもうもうと土煙がたち込める。 
「アべ、ル、ト!!」 
ユークは悔しさに哭き、必死に身をよじる。けれど魔王の見えない手からは逃れられなかった。 
一方容赦なく壁に叩き付けられたアべルトは、それでもなお剣を杖にし立ち上がろうとしていた。 
「…ぐ。く、そ」 
痛みがアべルトの体を襲った。わずかに動くだけで激痛が全身に走っていた。その痛みを押さえ、アべルトは魔王を睨み付ける。 
かつては自分の父親だった人の欠片を。 
 
父上… 
 
様々な思いを断ち切り、アべルトはかしゃんと音をたて、剣を魔王に向けた。 
そんなアべルトの額には、うっすらと赤い血がにじんでいた。 
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