深紅の夕陽が傾き、山々の間に沈み込み消えようとする頃、微かに二つの月が天に昇った。グランミア帝国、帝都パセータでも1日が終わろうとしていた。人々が忙し気に夕陽の中を、陽が沈む前に我が家へ帰ろうと帰路についていた。 
パセータの中心部にはこの国の中枢である城がある。荘厳な帝国の威信を示すような城は、今は重苦しい無気味な沈黙に支配されていた。
王城、正門前。
巨大な鉄の扉の前に二人の男が佇んでいた。観音開きの扉の前で、二人の男、帝国の将軍を勤めるゼガードと、その側近の一人カレンツオはじっと目の前に広がる大路を凝視していた。 
いや、正確に言えばその道を来るかもしれない者達を待っていたのだ。 
 
「将軍、騎士団は来るでしょうか?」 
何もない、誰も来ない時間に耐えかねたのかカレンツオは、ゼガードの方を見そう尋ねた。 
「ユーリアのか?」 
「はい」 
カレンツオの問いにゼガードは、腕を組み沈黙でもって応える。 
「将軍…」 
「あのようなおふれで来る馬鹿とは思えぬがな」 
ややしてゼガードはそれだけを告げる。 
「そうですね。私もそう思います。…しかし、驚きました」 
「何がだ?」 
訝し気にゼガードはカレンツオを見やる。自分の部下が何に驚いたのか、全く見当もつかなかったからだ。 
「ユーリアの執務長官が、まさか我々に協力してくれるとは思いもしませんでしたので」 
苦笑を浮かべカレンツオはそう告げると、小声でそっと付け加えた。 
「我々は侵略者ですからね」 
「……ノートン・ユークは理解している。敵である事を知っていてもなお、協力しなければならない時がある事を。聡い子だ」 
ゼガードはそう言い、胸の中に染みの様に広がる苦い感情が己の中にある事に気付く。 
 
「将軍?どうかされましたか?」 
常にないゼガードの様子に、やや驚きの表情でカレンツオは問う。 
「いや。ただ思い出しただけだ。あの子の翼はもう動かないと言っていたな」 
「…悔いておいでですか?」 
「どうかな。後悔はしまいと思うが、飛んでいる所を見てみたかった気がするよ」 
そう言うとゼガードは組んでいた腕を外し、いつも内ポケットに忍ばせてある短刀を取り出した。 
その短刀はユークの翼を傷つけた物だった。 
何を考えているのか外部からは伺えないが、ゼガードはじっと短刀を見つめる。 
「将軍…」 
それを後悔と言うのでは?そう告げようとしてカレンツオは思い留まる。何よりそんな事は将軍自身が気付いていることだと思ったからだ。けれど、立場上ゼガードはそれを表に現すことは出来ない。 
 
そんな中、東門の警備に当たっていた当直が二人に駆け寄って来た。 
「何事だ?そちらに現われたか?」 
カレンツオはそう問い、護衛官を見た。 
「報告します。ユーリア騎士団の件ではありません。先刻怪しい二人組が城を窺っておりました」 
若い護衛官は緊張した面もちで報告する。 
「?ユーリアの手の者ではないのか?」 
「いえ。騎士団とは違う気が致します。二人組の片方が何やら城を睨みながら、ブツブツと呪いを唱えている様子でした」 
「?それだけか?」 
「は」 
若い護衛官はこんな些細な報告をしに来た自分を恥じた。 
カレンツオがどうやら呆れた表情をしていたからだ。隣に立つゼガード将軍は終始難しい顔をしている。 
 
「将軍」 
「…捨ておけ。実害はないだろう。そんな事より来たぞ」 
ゼガードは言い、大路の方を示すと、短刀を再び内ポケットに仕舞った。 
カレンツオと若い護衛官もハッとして大路を振り返る。そこには粛々と隊列を組み、歩いてくる50人余りの騎士達がいた。 
騎士達は同じ黒を基調とする服を着、その上から鈍く光る鎧を身に着け薄い蒼色のマントを羽織っていた。 
鎧の胸元には皆同じ二重十字の意匠が描かれている。 
それはユーリア騎士団の印だった。 
 
 
 
重苦しい沈黙の中、ゼガードは列の先頭を歩いてくる、灰色の髪の青年と金の髪の青年を見つめる。灰色の髪の騎士は知っていた。かつて剣を交えたユーリアの剣王、ハリー・アンダーソンだ。 
その傍らの金髪の男は恐らく自分の副官ダレスを足留めにした騎士だろう。 
ゼガードはかつて敵としてあいまみえた騎士達と対峙する。 
ユーリアの騎士達はゼガードの眼前で挑むように立ち止まった。 
 
「通してもらおうか」 
ハリーはゼガードを睨み付けふてぶてしく要求する。 
それに対し怒るでもなく、ゼガードは無言できびすを返すと歩き出した。 
「…おい」 
慌ててハリーはその背に向って声をかける。 
「ついて来い。ユーリアの騎士達。我が帝王とノートン・ユークが待っている」 
「…」 
ユーリアの騎士達は無言で互いに顔を見合わせた。罠ではないらしいが、この言葉では全く意味が掴めない。 
「……、ち。行くぞ」 
ゼガードの様子にも物おじせず、舌打ちするとハリーは後を追い歩き出した。ファーンがそれに続き、他のユーリアの騎士達も二人に倣って帝国の城門をくぐった。 
 
 
□□□□ 
 
 
薄暗い闇の中、石像達の中心で魔王の繭は激しい鼓動を繰り返していた。 
ドクン、ドクンと脈打つ音がはっきりと聞こえてくる。 
繭は徐々に孵化に向かっていた。 
かつては人間であった、石となった騎士達だけが物言わずそれを見つめていた。 
 
 
□□□□ 
 
 
王城、魔王の繭のある宮の前。 
不安げな眼差しをした少年が、青白い顔をして佇んでいた。少年の前には完全武装した帝国の騎士達が魔王の繭のある宮を包囲している。 
騎士達は皆、緊張した顔をして宮を見ている。彼等の顔には騎士としての誇りと魔王に対する恐怖心が色濃く出ていた。 
側には帝国筆頭博士の老婆、メイアとゼガードの副官ダレス、そして帝国の王アベルトの姿があった。 
 
「大丈夫か?顔色が悪いみたいだが」 
アベルトは青い顔をして立っている少年、ユークを気遣い尋ねる。 
青白い顔のユークは胸を押さえながら、紫色の唇で苦し気に答えた。 
「…はい。何だか凄く気分が悪くて…」 
「しっかりしろ」 
アべルトは言いながらユークを抱きかかえる。ユークの体は冷たく、微かにぶるぶると震えていた。 
アベルトはそれに気付き、瞠目する。 
「ダレス、薬師を」 
「は。すぐに」 
騎士ダレスは短く応えると、薬師を呼びに慌てて本宮に駆けて行く。 
それを見送りながら、メイアは優しくユークに質問をした。 
 
「何時から気分が悪くなったのじゃ?」 
「…ついさっきからです。体が痺れてきて、だるくなって…」 
呟きながらユークはぎゅっと目を閉じる。 
胸の奥の何かが引きつるような感覚が襲って来る。 
ユークの冷たい体はアべルトの腕の中で、時間が経過するごとにますます冷たくなっていった。 
アべルトは焦り、帝国の筆頭博士を見やる。メイアは首を振りアべルトの言いたい事を否定する。 
「石化の呪いではないでしょう。しかし…」 
深く思慮を滲ませ、メイアは言葉に詰まる。 
「メイア?」 
一拍後老婆は眼鏡を押し上げると、魔王の繭のある宮を見、告げる。 
「恐らく少年の中の『天の扉』が魔王に何らかの反応をしているのではないかと。あるいは魔王の影響を受けているのかも知れません」 
「!」 
そう言われ、アベルトも魔王の方を窺い見る。 
「誠か?」 
「推測ですが」 
メイアは、どうする事も出来ないのだと言いたげに瞳を伏せる。 
 
「ノートン・ユーク…」 
「だ、大丈夫です」 
震えながらユークは気丈にもそう言い切る。 
ユークの体は今やはっきりとわかる程ガクガクと震えていた。 
「!しっかりしろ」 
アべルトは必死な面もちでユークを見る。 
ユークは自分の中の何かが、酷く激しい警告を発している事にその時気付いた。 
 
何だろう?この感覚は?ねえ、今僕に訴えているのは『天の扉』なの? 
僕の中の『天の扉』なの? 
 
気分が悪い。吐きそう…だよ 
これは『天の扉』のせいなの?僕に警告を出しているの?? 
 
「アべルト…。ア、ベ…」 
「何だ?すぐに薬師が来るぞ」 
アベルトはユークを覗き込む。 
「に、逃げて…」 
ユークは青い顔をして、薄れゆく意識の中呟く。 
「魔王の繭が…孵化す…る。恐い…。僕の中の『天の扉』が…怯えてる…」 
「!!」 
目を見張り、アべルトとメイアは息を飲んだ。 
「ああ、駄目だ。もう…扉が…。魔王の力…に…飲ま…れ…る…」 
ユークはそう呟くとかくんと気を失った。アベルトは驚いてユークを抱く腕に力を込めると、魔王の繭のある宮を振り仰ぐ。 
 
その瞬間アべルトは見た。繭のある宮が閃光を発し消滅するのを。 
周囲にいた宮に近かった騎士達も何人か巻き込まれ、溶けるように消滅する。 
そして爆風が上がり、騎士達を次々に吹き飛ばした。 
「うっ!」 
その爆風にアべルトもメイアも巻き込まれ、吹き飛ぶ。 
「うっ、く」 
背中から地面に叩き落とされ、アべルトは苦痛の声を漏らしながら、爆風から守るように抱え込んでいたユークを見た。幸いなことにユークに怪我をした様子はない。 
ほっと息を付きアべルトは自分と同じように吹き飛ばされたメイアを捜した。 
帝国の筆頭博士メイアはすぐに見つかった。だがメイアは首があらぬ方角を向き、既に事切れていた。それはどこをどう見ても即死だった。 
宮のあった周囲を見渡してみれば、何十人もの騎士達がメイアと同じように動かなくなっていた。 
「!!」 
アベルトは呆然として息を飲む。 
 
 
□□□□ 
 
 
どこかで何かの爆発の音がした。鈍く低い音が周囲に響き渡る。 
無気味なあってはならない爆発音にゼガードは、はっとして呟く。 
「これは…まさか?」 
ごくりと一つ息を飲むと、ゼガードはユーリア騎士団を放置し独り走り出した。 
そんなゼガードの焦る理由を知っていたカレンツオも、慌てて後を追う。ただならぬ二人の様子に、ユーリアの騎士達は困惑し顔を見合わせた。 
 
が、次の瞬間彼等と同じように走り出した。 
カチャカチャと剣と鎧の当たる音が、周囲の壁に反射し木霊する。 
「ハリー!」 
リーネが切羽詰まった声音でハリーを呼んだ。 
「わかってる!多分魔物に関して何かあったんだ!」 
叫び返し、ハリーはゼガードを見失わないように必死に追いかけた。 
「急げ、みんな!」 
ファーンもそう声をかけつつ、先を行くハリーの後を追った。 
 
ユーリアの騎士達はまだ知らない。魔物ではなく、魔王がこの先に待ち受けているのだということを。 
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