そこはまさしく戦場だった。 
かつての荘厳な城の面影はもはやない。抉れた大地、吹き飛んだ宮、そして倒れ果てた騎士達。 
あまりにも凄惨な光景が広がっていた。ほんの僅か前までは壮麗だった王城は今はもう、見る影もなかった。 
城壁の一部は崩れ落ち、魔王の繭の在った宮は土台部分を残して粉々に吹き飛んでいた。 
グランミア帝国の王アベルトは、孤立無援で魔王とたった一人対峙していた。 
魔王はユークを空中に吊り上げ、一人愉悦を浮かべている。ユークは身動きがとれず悔しげに魔王を睨むことしか出来なかった。 
アベルトは魔王、かつて自分の父親だった存在を前にどうする事も出来ないでいた。額を流れていく血が、アベルトの視界を赤く染めていく。 
「アベルト」 
ユークは擦れた声で、アベルトを呼ぶ。 
魔王の見えない手はユークの体を握り締め、一向に離さない。ユークはそれでも必死に身をよじる。少しでも、魔王から離れようとして。 
 
「面白いな、弱き者。汝それでも、刃向かうか?」 
「っ!」 
アべルトは魔王に睨まれたとたん、ガクガクと震える自分の膝を叱咤する。 
しっかりしろ!ここで恐れてどうする!? 
アべルトはそう自らに言い聞かせ、気合いを入れると剣をしっかりと握りしめ、魔王に斬り掛かった。 
「!」 
ユークははっと息を飲み、見ていられなくてぎゅっと堅く目を瞑る。 
ガキンと硬い物どうしがぶつかりあう音が耳朶に入ってくる。恐る恐る目をあけると、アべルトの剣の刃を片手で掴んだ魔王の姿があった。 
「ほう、なかなかやるな?」 
魔王は面白そうに呟き、くくくと笑うと残酷な言葉を続けた。 
「お前の父親とは、かなり違うな。あの男は我が魔王と知るとすぐに、あがなう事を放棄したものだがな」 
「!お、のれ!」 
アべルトは悔し気にそう吐き出す。 
「くくく」 
魔王は笑いながら、手に力を入れた。パキンといとも簡単にアべルトの剣は砕け散る。 
パラパラと破片が夕陽を浴び赤く反射しながら、大地に散乱した。 
「く…」 
「この帝国は、いいや世界は我が物となる。十分に遊んでから破壊してやろう。塵一つ残らないようにな!」 
魔王のこう笑はどこまでも続いた。血を吸い乾いた大地に無気味に響き渡るのだった。 
 
ああ、せめてみんながここにいてくれたら、せめて…。 
 
「ハリー、ファーン」 
ユークは擦れた声で祈るように呟く。魔王はアべルトに向かって右手を突き出した。魔王の右手の手の平に赤い光球が浮かぶ。 
「!」 
ユークはひっと声を漏らし、思わず叫んだ。 
「アべルト、逃げて!!」 
弾かれたようにアべルトは身を翻す。けれど。魔王は無慈悲にも右手を振った。とたんに魔王の右手に浮かんでいた赤い光球はアべルトに向かって飛んでいく。 
「アべルト!」 
轟音が響き、白煙が舞った。ばらばらと抉れた土が空から舞い降りて来る。 
「そん…な…」 
アべルトまでもが死んでしまった。そうユークが思った時、突然白煙の向こうから声があがった。 
「うわっ、びびったー。危うくミンチじゃんかよ」 
そう言いどこか聞き覚えのある声は、何やらぼやいている。 
白煙が綺麗に晴れた後、そこには剣を構えた鎧姿のハリーがいた。蒼色のマントが爆風にあおられ、ひらひらと舞っている。 
そんなハリーの後ろには、辛くも命を永らえたアべルトがいた。もうもうとあがる煙りにこほこほと咽せてはいたが、怪我はないようだった。 
 
「ハ、リー?」 
ユークの驚く声には応えず、ハリーは無言のまま何の感情も伺えない顔をして、あっさりと魔王との距離を詰める。 
そして、閃光一過。剣を振り降ろした。 
ハリーの剣の刃は魔王の右腕を、大根の様にスパンと切り落としていた。今まではかすり傷しか負わせられなかったのにだ。 
魔王の右手はくるくると舞って大地に落ちた。青い血が滲み出る。魔王は初めて苦痛を感じたかの様に、悲鳴をあげた。 
「がああああ!!が、は!な、何だと!」 
叫び己の無くなった腕を見る。 
「お、おのれ!」 
魔王は声を張り上げると、残った左手をハリーに向けた。ぼうっと赤い光球が幾つも浮かぶ。 
「人間風情が!」 
ひゅん、そんな音と共に赤い光球はハリーに肉迫する。 
「悪い。俺、ミンチは好物じゃないんだ。ちょっと遠慮するぜ」 
言うや否、ハリーは自分の持つ剣で赤い光球をことごとく叩き斬った。赤い光球の叩き潰される音と、幾つもの閃光が空間に満ちる。 
魔王から飛ばされた赤の光球は、ことごとくハリーに切り捨てられていた。 
閃光の後には、何事もなかったかのようなハリーが悠然と立っていた。 
ハリーの持つ剣の刀身は、これまで見た事のないような赤い輝きを放っている。まるで第二の太陽が現われたかのようだ。赤い刀身は空気を焦がし、大気を染めた。ゆらり、赤い輝きは魔王の存在に呼応するかのように大きく揺れた。 
 
「ハリー!」 
ユークは喜色満面で呼びかける。 
「ちょい待ってろよ、ユーク。すぐに助けるからさ」 
ハリーは魔王に赤い輝きを放つ刀身を向ける。 
「僕は大丈夫だよ。それよりハリー、気をつけて!敵は…」 
「魔王か…?」 
ぽつりとそう言うと、ようやく追い付いてきたファーンもハリーの横に並んだ。 
「遅いぞ」 
「お前が早いんだ」 
ファーンは苦笑しながら、そう返すと魔王を前に自身の剣を抜く。ファーンの持つ剣の刀身は青く輝いている。まるで澄んだ湖の様に。冴えわたる夜空のように。ぽうっと灯った青の輝きはファーンの手の中でより一層鮮やかに輝いた。 
「まさか、刀身が輝く日が来るとはな…」 
ファーンはそうぼやき、剣を受け継ぐ時に伝え聞かされた口伝を思いおこす。 
 
”魔王現れし時、剣は己を取り戻す。その刀身が青く輝きし時、この世に魔王蘇りし証し也”
 
あながち、的外れでもなかったか。 
そう思いながらもファーンは、魔王に一人斬り込む。すかさずハリーも後に続いた。 
「リーネ、そこの倒れてる奴を頼む!みんな相手は魔王だ!接近するな!遠隔攻撃に集中しろ!」 
そう言い残し、ハリーも魔王に斬り込んだ。 
青と赤の刀身が陽炎の様に尾を引き、目に焼き付く。二振りの剣と、その使い手は魔王を挟み込むように剣を振るった。 
 
 
□□□□ 
 
 
ごほごほと咳き込んでいたアべルトは、駆け寄ってきたリーネに助け起こされる。 
「大丈夫?しっかりするのよ!」 
妙齢の女剣士リーネはアベルトの負傷具合をすばやく見た。 
かなり、やられてるわね。骨が何本か折れてる。でも、さし当たって命に別状はないようね。 
そう判断し、アべルトの額の血を拭ってやる。 
「…すまない」 
複雑な心境でアべルトは彼女に礼を述べる。本来ならば、助けられるどころか断罪されてもおかしくはないのだから。 
 
「帝王!?何というお姿に…」 
あまりにもなアべルトの惨状を見て、帝国の将軍ゼガードは声を失う。 
何ということだ。この有り様は!我が国の騎士達は…全滅したのか!? 
「ゼガードか。ああ、何とか無事だ…」 
アべルトはゼガードを認めると安堵したかの様にひとつ息をつき、ふらつく体を起こそうとした。 
けれどとたんに、目眩が起こりがくっと膝をつく。くらくらと大地が回っていた。 
「帝王!」 
慌ててゼガードはアべルトを支える。 
「大丈夫だ」 
言い、再び流れ出した額の血を服の袖で拭った。 
 
「構うな、それよりも…」 
アべルトはゼガードの腕を掴むと、空中に捕らえられたままのユークを指差す。 
「あの子を頼む」 
「帝王…」 
「帝国の犠牲にはできない」 
再度そう言い、アべルトはゼガードを仰ぎ見た。 
「助けてやってくれ」 
「…御意!」 
ゼガードは小さく頷き、軽く微笑むとそう応えた。 
静かに歯車は回り出す。魔王を前にして。 
 
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