ユーリア天の扉の防人
5グランミア帝国
作:MUTUMI

パセータはグランミア帝国の首都である。その人口は百万人とも言われ、地平線まで広がる城塞都市はイサーク随一の規模を誇っていた。
帝都パセータ、その中央には荘厳な王城がそびえたっている。

ユークがユーリアより連れ出されすでに一ヶ月が経とうとしていた。ユーリア騎士団は幾度か護送中のユークを取り戻そうと、襲撃してきていたがいまだ本懐を遂げてはいない。
帝国の守りは厚く、ユーリアの兵力はあまりにも薄弱だったのだ。
そして、今ユークはパセータの王城奥深く幽閉されていた。

何日たったのだろう?パセータに入って、一月は過ぎているはず。ユーリアは大丈夫だろうか?あんなに破壊されたのにみんなどうしているんだろう?
ハリー達は大丈夫なのかな?何度も助けに来てくれた。それなのに、僕は翼を傷つけられてまともに動けなかった。

「翼…」
僕の行方不明のお父さんと同じもの。たった一つのお父さんとのつながりだったのに、傷つけられた。もう、右の翼は動かない。…空も飛べない。
ユークの両目からぽろぽろと涙が溢れ出る。

僕はどうしたらいいんだろう?一人じゃ何も出来ないよ。
「…っ、う、ひっく。みんなどこ?帰りたいよ。ユーリアに帰りたい…」
ユークは囁き、嗚咽をもらす。
「ハリー、ファーン。…帰りたいよ」
ユーリアに帰りたいっ!
ぽろぽろとユークは涙を流し続ける。涙は枯れ果てることもなく流れ続けた。

□□□□

数十分後、流す涙もなくなった頃、ユークが閉じ込められていた部屋の扉が重い音をたてて開いた。ユークはびくりとして扉の方を向く。
涼しい風がその扉から吹き込み、バサバサと重いカーテンがあおられ音をたてた。
扉を開け入ってきたのは、背の高い端正な顔立ちをした黒髪の青年だった。両脇にはユーリア侵攻の指揮をとったゼガード将軍と、その副官ダレスが従っている。

「二人はここで待て。ここから先は私一人でよい」
青年は扉の前で立ち止まるとゼガードとダレスの二人に命じた。
「しかし…護衛としては席を外すわけにはいきません」
ゼガードは青年に反論しかけ、ふと室内のユークが自分を見ているのに気付くと、口をつぐんみ視線を避けた。その横顔にはかすかに罪悪感が浮かんでいる。
青年はそんなゼガードをちらりと一瞥すると、憂いを秘めた声でなおも告げた。
「ゼガード。さがれ」
「!はっ」
なおも何か言いたそうなゼガードだったが、ダレスと共に扉の両脇に立ち、青年が室内に入っていくのを見送る。

この部屋に入ってきた青年の名を、アべルト・ディース・グランミアと言う。グランミア帝王その人であった。

「また、泣いていたのか?」
アべルトはユークに近付き、泣きつかれかすかに腫れはじめた目の縁をなぞる。
「目が赤い。薬師がいるかな?」
ユークは悲し気に瞳をアべルトに向ける。
「そんな目をするな。私はただお前の中の『天の扉』が欲しいだけだ。お前の中から天の扉を取り出すことができたなら、ユーリアに戻してやろう」
「天の扉…」
「そう、私は神が欲しいのだ」
アべルトは低い声音で言い切る。
「帝王…」
「グランミアを守るためには、たとえユーリアであろうとも踏みにじる。何を犠牲にしようともお前の中の『天の扉』は貰い受ける」
「!」

この人は本気だ。本気で言ってる。でも何故そこまで『天の扉』に固執するのだろう?どうして、グランミアはユーリアを侵略したんだろう?
気付きたくもない、根本的な問題にユークは気付き自問する。
『天の扉』を使い神を手に入れたとして、神に何をさせたいんだろう?
もしかすると、神を手に入れなければならない事があった?この国で?

「教えて下さい。…この国で何が起きているのですか?」
帝王はじっとユークを見る。
「なぜお前がそんなことを気にする?」
「僕は…」
そうだよ。僕が気にかける必要なんて何一つない。なぜユーリアを蹂躙した帝国を、気にかけなくてはいけないのか?なのに…僕は。
「僕は…、あなたを怨めない」
僕には、こんなにも悲しい瞳をした人を怨めない。
「だから、…知りたいんです」
ユークは言い、アべルトを凝視する。
「おかしなことを言う!私はグランミアの帝王だ。ユーリアの敵だ!」
「わかっています」
この人の命令でユーリアの住民が何百人も殺された。レオルドだって…。
「死んでしまった人達の事は一生忘れない!グランミアがユーリアに侵略してきたことも。でも…。いいえ、だからこそ知りたい。あなたは神に何をさせたいのですか?」
帝王、あなたには生気がない。あなたの瞳には絶望しか見えない!

「優しいな。ユーリアは良い指導者を得た。グランミアと違ってな」
え?それは一体どう言う意味?
「帝王?」
アベルトは迷うようなそぶりをした後、ユークに告げる。心の中の苦渋を吐き出すかのように。
「率直に言おう。天の扉を取り出すにはお前の協力が不可欠だと思われるからな。グランミアの学者ですら扉の取り出し方は、今だわからない」
「…僕だって知りません。それはゼガード将軍にも話したはずです」
「承知している。だが、もう時間がない」
え?時間?
ユークは小首をかしげる。アベルトは畳み込むように言った。

「心して聞いてくれ。この城には魔物の繭がある」
「ま、も、の?」
「そうだ。魔王と呼ばれる種のものだ」
「!!!!!な、に?どうしてそんなものがここに!!」
ユークは叫びゾッとして身を震わせる。

魔物。イサークに於いては別段珍しくもない外敵の一つだ。魔物は人の血を肉を啜り喰う。イサークに住まう人々にとって、最も身近な恐怖として語られていた。なぜなら毎年のように魔物に襲われ、消滅してしまう村や町があるからだ。
そんな魔物達の頂点、最上位種が魔王と呼ばれる種族だった。人の姿をし、魔物の力を持った恐るべき種族。人を自らの快楽のために道具のように殺戮する種族として知られていた。
「嘘でしょう?」
ユークは呟く。
魔王なんて、そんな伝説上の魔物がどうしてここにいるの!

「私の父、先代グランミア帝が魔王に付け入られた」
アベルトは淡々とユークに告げる。恐らくは帝国の機密であることをユーリアの執務長官に告げていく。
「我が父は魔王に体を乗っ取られたのだ。そして、城の奥で繭になった。あとわずかで孵化するそうだ」
「!?」
ユークはごくりと息を飲む。呼吸すら忘れそうな恐怖が背中を這いあがってくる。
「…私はグランミアを滅ぼすわけにはいかない。このパセータだけでも百万人の住人がいるのだ!」
「本当に?魔王がこのお城にいるの?」
「ああ」
ユークの問いにアベルトはあっさり肯定を返す。

なんて事だろう。魔王がこんなところにいるなんて!

「我らは繭の間に殺そうとした。…だが、近付くだけで魔王の呪いがかかり、多数の騎士達が石と化した。今では誰も近付かん。さすがに騎士といえど石にはなりたくないらしい」
自嘲を浮かべアべルトはそう言い放った。
「…」
「もはや人の手ではどうにもなるまい。だからこそ神が必要なのだ」
アべルトはそう言い、ショックを受けているユークの瞳を真摯に見つめる。

「もしもここで魔王が目覚めれば、帝都パセータは灰燼とかすだろう。そして我が帝国に陸接するユーリアも、ただでは済むまい」
「!あ」
ユークはそう指摘され初めてそのことに気付く。
魔王が本当に孵化したとしたら、ユーリアだって灰燼になってしまう!
…無事でいられる保証は、どこにもない。いいや、無事で済むわけがない!
「ユーリアも滅んでしまう?」
アべルトは呆然と呟くユークを見つめる。

どうしたらいいの?僕にはユーリアを守る義務がある!だけど、その為に僕に何ができるというんだろう?僕にできることなんて、たかが知れているじゃないか!
「…わかるだろう?人の力では限界がある。だからこそ神が必要だったのだ」
確かにそうかもしれない。魔王が相手では人なんて、何も出来ないのかもしれない。

…この人はこの人で必死なんだ。グランミアを、パセータを救おうと必死になって、タブーを破ってでも天の扉が欲しかった。

「我らには他に方法がなかった」
アべルトは悲し気に瞳を細めユークを見つめる。
「…頼む。協力してくれ。ユーリアを蹂躙した罪は私にある。魔王が滅びた後は私を罪人と断ずるのもよい。 お前の好きにしろ」

「!」
その時ユークは気付いた。目の前のこの青年が全ての罪を背負う気なのだということに。
「帝王。いいえ、アべルト。少なくともグランミア帝国にとってはあなたが帝王だったことは救いだと思います。あなたでなければこの国はもっと早く滅びたでしょうから。あなたがいることがこの国のたった一つの幸運です」
「ノートン・ユーク」
「天の扉の取り出し方は僕にもわかりません。でも、努力してみます。僕は僕としてできることを、力の及ぶ限りしてみようと思います」
アべルトは無言でユークを見つめた後、そっとその小さな体を抱き締めた。

「感謝する。そして…、すまない」

それは懺悔をするような、本当に小さな声だった。



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