剣戟の音が山中にこだまする。もつれあううめき声と悲鳴、激しく動く馬のひずめの音が徐々にユークに迫って来ていた。 
ゼガードと側近の数名の騎士達は、その音に追われるように馬を走らせ続ける。ジリジリと太陽が照りつける中彼らは限界ギリギリの疾走を余儀無くされていた。 
「待ちやがれ!」 
 
灰色の髪の青年が抜き身の剣を片手に、葦毛の馬に乗り迫ってくる。尋常ではないたずなさばきだった。青年は自分の行く手を阻もうとした帝国兵を、いとも簡単に斬り捨て追ってくる。 
「にゃろー、邪魔するな!」 
言い捨て、立ちふさがった若い騎士を一刀のもとに切り伏せる。騎士はザクリと腕を斬られ自分の剣を取り落とした。 
 
「うわああ!」 
苦痛の声をあげる若い騎士は、青年の後ろに続いて斬り込んで来た妙齢の女性に呆気無く昏倒させられ落馬していった。 
 
「ハリー、急いで!これ以上もたつけば帝国の増援が来るわ!いくらファーン達といえどもそう長く足留めはできないはずよ。ここの騎士達は私に任せて!あなたはユーク様をお願い!」 
「わかった!」 
ハリーはリーネに叫び返し、愛馬の腹を蹴る。 
「たのむぞ、葦毛ちゃん。やつに追いついてくれ!」 
ハリーは自分の数メートル先を走る人影を睨み付ける。小さな少年を乗せた壮年の男が、ちらちらと自分の方を気にして振り返っていた。 
 
 
「ちい、来たか、ユーリア騎士団!ダレスめまんまと取り逃がしただけでなく、奴らを侵入させてしまったのか」 
ゼガードはユーリア騎士団を追った自分の副官が任務に失敗しただけでなく、まんまと裏をかかれたことをこの時知った。 
ダレスの失策に呻きつつも、ゼガードは巧みに馬を走らせる。その馬術はハリーにもひけをとらないものだった。 
 
「くそ、追いつけねー」 
ハリーは髪を逆立てながら必死でゼガートに迫る。そのかいあってか少しずつ少しずつ両者の距離は縮まっていった。 
 
「ハリー」 
ゼガードの腕の中で、ユークは小声で自分のために必死になってくれている青年の名を呟く。ゼガードはそれを聞き取りぎょっとして舌打ちした。 
「ち。ハリー・アンダーソン、ユーリアの剣王か!」 
 
まずい。追いつかれては厄介だ。我らの他は既に交戦中。側近を含めわずかなこの人数でノートン・ユークを連れ逃げ切ることができるのか?ええい、我が帝国領内だというのに、なんたるざまだ! 
 
「ふがいない事だ」 
ゼガードは吐き捨てる。そんな様を見て何かを決意したのか、今まで従って来た側近達がゼガードに進言する。 
「将軍、我らが時間を稼ぎます。その間に先にお進み下さい。ルナビー砦まで逃げ切れれば勝算はあります!」 
「カレンツオ、お前達…」 
ゼガードは側近達を見た後、小さく頷いた。 
「頼むぞ」 
「は!」 
 
カレンツオ達側近五名は馬首を返す。ハリーはとって返してくる彼らを見、すっと剣を構えた。 
「なまいきな。だが、突破して見せる!」 
ハリーはまともに彼ら、側近達の間に突っ込んだ。 
 
「おお、おおおお!」 
ハリーの口から	凄まじい声がもれる。ガキンと剣と剣がぶつかる音が響く。瞬間血飛沫が舞い側近達の内ニ名が血を流し落馬していった。どう、と大きな音が疾走する背後から聞こえてくる。 
「おのれ!」 
カレンツオはとっさにクロスボウを取り出し、至近距離からハリーめがけて矢を打ち出す。 
ギュンと空気を切り裂く音がわずかな間混じる。 
 
「!!」 
ハリーはとっさに伏せ矢を躱すとそのまま体勢を低くし、カレンツオに馬ごと体当たりした。 
「どきやがれ!おっさん!」 
叫び、すれ違い様カレンツオの鞍を固定してあったベルトを切り裂く。 
「何っ」 
カレンツオは体勢を崩し、鞍ごと馬から振り落とされた。カレンツオの馬が突然の変化に驚き嘶く。 
 
「俺の邪魔をするんじゃねー!」 
ハリーは凄まじい殺気を放ち残りの側近達の間を走り抜ける。わずかな間に雌雄は決した。側近の騎士達は馬上にはもはやなく、馬のみが山野を疾走していく。 
「!何と。やりおるな」 
背後のやり取りを盗み見ゼガードはギリリと唇を噛む。 
「ハリー!」 
ゼガードの腕の中からユークが身を乗り出し叫ぶ。 
 
「ユーク!…ユーク、跳べ!受け止める!」 
凄まじいスピードで走りながらハリーは叫んでいた。ユークなら出来ること。いや、ユークにしか出来ないことを知らせるために。 
「来い!」 
ハリーは凛として叫ぶ。 
 
ユークはとたんにハッとした表情をし、無意識の内に体を浮かす。 
「死ぬきか?」 
ゼガードはとっさにユークの腕を掴みなおすと諭すように告げた。 
「この速度で落ちればただではすまないぞ」 
「ふざけんな!受け止める!飛べ」 
ハリーは言い、剣を鞘に納め両手を前に突き出しユークをさそう。 
 
「来い、ユーク!」 
 
「ハリー、…ハリー!」 
その瞬間信じられないことに、ユークの背に純白の翼が広がった。四枚の翼はばさりと、風をおこす。
 
 
 
 
 
 
 
 
「何だと?」 
ゼガードは目を丸くし、わずかな間惚ける。 
ユークの背の四枚の翼が大きく羽ばたき引力に逆らうかのように、ふわりと浮き上がった。 
 
「その翼は…、まさか。そうなのか?お前は神々血を引きし古の種族、天族の末裔か!」 
ゼガードは叫ぶと同時に、飛び去ろうとしたユークを掴む手に力を込め、力任せに引きずり降ろした。 
「あっ」 
ユークが小さく声をあげる中ゼガードはたずなを離し、内ポケットに忍ばせておいた短刀を引き抜く。そして何の躊躇もなくユークの右の翼の根元に突き立てた。 
 
「キャアアア!」 
 
ユークの目が見開かれ、ガクガクと体を震わせた後、コトリとゼガードの腕の中に倒れ込む。 
「何、お前…、ユークに何をした!」 
ハリーはかっとして絶叫すると再び剣を鞘から引き抜く。 
ゼガードはそんなハリーに構わず、馬に鞭を入れる。腕の中のユークはピクリとも動かない。ユークの流す鮮血が純白の翼を赤く染めていく。 
 
「許さん!」 
 
ハリーは絶叫し、完全に理性を放棄した。そして、ゼガードに襲いかかった。ゼガードはユークをしっかりと抱えつつ応戦する。 
「く…」 
 
さすがに強い! 
 
ハリーの剣戟を受けながらゼガードはそう認識する。仮にも将軍と呼ばれるゼガードであればこそ、かろうじて防げる程の剣の使い手だった。 
 
この年でこの実力とは。さすがはユーリアの剣王!しかし。 
 
「負けるわけにはいかんのだよ!」 
ゼガードの中からハリーに劣らない程の殺気が溢れ出す。ユークを抱えてなお恐ろしく厳しい太刀筋がハリーに迫る。 
 
キイン、ギン。キン。 
二人の巻き起こす剣戟の音が山野に響き渡る。何度切りあっただろうか。気がつくと遠方より新たな馬の蹄の音が迫って来ていた。 
「何?新手か?」 
 
ユーリアじゃねー。あれは帝国兵!ファーンのやつ突破されたのかよ! 
 
「畜生」 
独り毒付きそれでもなお、ゼガードに斬りかかる。 
 
「将軍!今まいります!」 
「ダレスか?」 
ユーリア騎士団を追跡していたはずのダレス達一隊が馳せ参じていた。彼らを足留めしていた別働隊のファーン達が突破されたのだ。 
 
冗談じゃない。一人でこんだけも相手にできるか。ユーク…ごめん。今回は逃げる。だけど次は必ず助けるから! 
 
ハリーは瞬時にそう判断するとダレス達とは逆方向へ逃げ出した。文字道理脱兎のごとく逃げ出す。途中リーネを拾い、他のユーリア騎士団も拾い一丸となって逃走した。 
ゼガードはその様を見、ようやくホッと肩の力を抜いた。 
「どう。どう」 
いまだ興奮している馬をなだめ、足を止める。 
 
「将軍」 
ようやく合流できたダレスは呼びかける。ゼガードは厳しい表情で告げた。 
「追え。今度こそ逃がすな!」 
「は!皆続け」 
ダレス達は再びユーリアの騎士達を追い駆けていく。その姿が木々の中に消えたのちゼガードは呟く。 
 
「何とか騎士団を振り切ったか。さて、急ぐとするか。我が帝王がお待ちだ。」 
 
カツカツとゼガードは馬を進める。ユークは純白の翼を血で染めながらゼガードの腕の中で気絶したままだった。力ない腕と足ががゆらゆらと揺れ続ける。流れる血は止まることを知らずゼガードの服を赤く染めていった。 
  |