ユーリア天の扉の防人
2ユーリア騎士団
作:MUTUMI イラスト:CoolMoonより


泣きたいのに涙が出ない。悲しいのに感情がわかない。

執務長官、ノートン=ユークはぼんやりとそう思う。

今、ユークの前には一つの死体があった。先ほどまで生きていた女性の遺体である。女性はたった今帝国兵により首を落とされ殺されたのだ。ユークの目の前でユークに見せつけるために。
女性の事をユークは良く知っていた。彼女は執務官の一人だ。ユークとともに脱出を目指し、そしてともに捕らえられた仲間だった人だ。

死んでしまった。

ぼんやりとそう思う。そんなユークの耳にゼガードの声が届く。低く冷たい声だった。
「次の犠牲を出したいか?」
ユークはふっと顔をあげ平然と立っているゼガードを見る。
「天の扉はどこだ?」
「…」
ユークはそう聞かれ目を閉じる。するとようやく涙が出てくる。
「う、く…」
ユークの口から嗚咽がもれる。やがて嗚咽がおさまるとユークはゼガードに向かって叫んだ。

「なんで!殺す必要なんてないのに!」

ゼガードは平然とそれをうけ、ニヤリと笑った。
「ふむ。で、天の扉はどこだ?」
「…」
ユークはボロボロと涙を流しながらかすれた声で呟く。
「天の扉は…」

「どこだ!」

「あ…」
思わず言いかけたユークはハッとして再び口を閉じる。

言ってはいけない。これだけは、言ってはいけない!

「言うんだ!」
「嫌、嫌だ!」
ユークは叫ぶ。ゼガードは舌打ちし部下に合図を送った。部下の騎士は頷き次の犠牲者を引きずり出す。

「ユーク様!」
深みのある男の声だった。ユークはそれを聞きぎょっとして目を見張る。声の主は執務官の警備隊長レオルド=カーンであった。
「レオルド…」
「言ってはいけません。それだけを覚えておいて下さい。いいですね?」
「レオ…ルド」
ユークはかすれた小さな声で男の名を呼ぶ。
「泣かないで。ユーク様、どうか泣かないで下さい。あなたを守れなかった事だけが心残りです。死に行く事を許して下さい。ユーク様どうか希望を失わないで、きっと彼らが来ます。あなたの騎士達があなたを守ってくれるでしょう。ハリー達を信じて下さい」
「…う、うん」
ユークは泣きながらこくこくと頷く。そのたびに手足の鎖がかちゃかちゃと音をたてた。

「潔いな。」
レオルドはきっとゼガードを睨む。
「帝国兵よ。神罰が下るぞ。神はこの非道を許しはしないだろう。覚えておけ、ユーリア人民はお前達などには屈しない。我々は誇り高きユーリアの者!帝国などに支配はされない。」
レオルドは断言しゼガードを睨む。そこにあるのは敵意だけだった。ゼガードは無言で腰の剣を抜く。

「!」
ビクンとユークが目を見開いた。レオルドが笑う。
「ユーリアは屈しない」
そして…、レオルドの首は跳ね飛んだ。鮮血がユークの頬や服にもかかる。目の前で流されていく血を見ながらユークはおののき震えていた。
「あ、あ。レ…オ…ルド」

レオルド!

「あ、ああああ!」
ユークは叫び顔を覆う。

また一人死んでいった。血でユーリアは穢される。天の扉のために、それだけのために人々が死んでゆく。

「止めて、もう、止めて…」
「では言え。天の扉はどこだ!」
「…」
ユークは血でぬれた自分の服の染みを見つめ、ゼガートをうつろな表情で見た。
「どこだ?」
冷酷な声で尋ねられユークは目を閉じる。

ごめん、レオルド。もうこれ以上は耐えられない。もっと早く言えばレオルドもみんなも死ななくてすんだのに。たくさんの人を助けられたのに…。許して、みんな、ごめんなさい。

「答えるんだ!」
ユークは虚ろな瞳を向け囁いた。
「僕の中にある」
「何?」
「天の扉は僕の体内に納められている」

体内だと?

ゼガードはあっけにとられユークを見る。法螺を吹いている様子はなかった。

こんな子供の体内にあるだと?

「たばかるな!」
ゼガードはユークに向かって一喝する。
「嘘じゃない、本当なんだ。天の扉とは本来天と地を繋ぐ意味がある。だから天と地の子供である人間の体内に納められる」
「…では、どうやってそれを取り出す?」
聞かれユークは押し黙る。
「言え。」
「…わからない、知らないんだ」
ユークは首を振って答える。
「たわけたことを。知らぬはずがあるまい?」
「本当なんだ!天の扉が人間の側から使用された事は一度もない。だから、取り出し方や使い方は伝えられていない」
ユークはそこまで言うと下を向き俯いてしまった。ゼガードはそんなユークの様子を見て小さく舌打ちをする。将軍という位に就くものとしてはどことなく子供っぽいしぐさだった。

嘘や偽りの様子はない。ということは、この子供の中に我らの求める物はある。しかし、使い方がわからないとは…。まさか、故意にその伝承を風化させた者が歴代の執務長官の中にいたのか?どちらにしろ、今は天の扉の確保に重点をおくしかないか。

「では過去に天の扉が、神々の方から使用されたことはあるのか?」
「え、それは…」
ユークは呟き、小声で答える。
「確かにあります。でも、僕達の生きる時代においてはありません」
「詳しく話せ。これ以上の血を見たくはあるまい?」
ユークは諭すように言うゼガードを見、諦めたように話し出す。それは本来誰にも言ってはならない秘密の一つであった。

「過去三度天の扉は使用されています。一度目は天魔の戦いにおいて。二度目は大海平定で、三度目はウェゼール動乱の時です」
「全て神話の時代か」
ゼガードは唸るように言う。

最も近いウェゼール動乱の時ですら一千年前か。天魔の戦いなど優に二億年は遡る。そんな昔の記録など存在するのか?まず普通に探しても何もありはしまい。

「扉について他に伝承は?」
「…天の扉は神の園へと続くもの。扉開かれし時光の神降りる。天の扉と対となるは地の扉。扉開かれし時闇の神降りる。天動けば地もまた動く、天の扉を守護する者地の扉をも守護し得ん」
「それは何だ?」
「わかりません。代々伝わっていますからきっと意味があるのだと思いますが…」
「そうか」
ゼガードは呟く。

やっかいなことになった。天の扉とは呪器のようなものだと思っていたが、まさか人の内に封じられているとはな。しかも使い方がわからないときた。まったく、やられたよ。予想もしていなかった。
こうなっては仕方がない。

「帝国に来てもらおうか」
「え?」
ゼガードは両手でユークの頬を挟み込むようにして、自分の方を向けさせると再び告げた。
「お前を帝王へ捧げることとする。お前は天の扉なのであろう?」

テイコクヘイク?

「ユーリアを離れるの?」
ユークは驚いてゼガードを見つめる。
執務長官がユーリアを離れることなど、まずめったにないのだ。ユークの前代などその生涯を通して、とうとう一度も自治区を離れたことなどなかった。
「そうだ。そのかわりもうこれ以上この地では血を流さぬ。ユーリアの人民も傷つけない、約束しよう」
ユークはじっと帝国の指揮官を見つめる、その言葉が真実なのか見抜こうとして。

嘘をついている感じはしない。ユーリアの人民はこれで本当に救われる?もう誰も殺されることはない?そうなんだろうか?でも今は、それを信じることしかできない。
僕は無力だ。

「みんなの解放のかわりに僕を連れていくんだね」
「そうだ」


”あなたの騎士達があなたを守ってくれるでしょう”


ユークの耳に殺されたレオルドの言葉がまざまざと蘇る。

ああ、でもレオルド。帝国に入ればいくらハリー達でも何もできない。彼らは間に合わないかもしれない。
もう僕には、天の扉を守ることなんて出来ないかもしれないよ。

ユークは悲し気に瞳を細める。
「拒否は許されないものと思われよ」
ゼガードはユークの耳元で囁く。
「あなたが逃げれば、また誰かが死ぬだけだ。覚えておくがいい」

…そんなことわかってる。言われるまでもないことだ。

ユークは諦めたように目を閉じ体の力を抜く。ゼガードはそっとユークを抱え上げると、背後に控える騎士達に向かって命令を下した。
「ユーリア撤退の準備を開始しろ。ユーリアの人民は退去直前全員を解放する。故なき殺しは罪になることを全軍に通達しておけ」
「は」
騎士達は駆け出て行く。ゼガードは腕の中の小さな子供に声をかけ続けた。
「希望など持たぬことだ。もはや誰にもどうすることもできまい」
ユークは何も言わず、ただぎゅっとゼガードの服を掴んだ。 その様にかすかな哀れみを感じつつも、己の任務を達成しつつあることにゼガードは安堵を覚えたのだった。


□□□□


執務館を見下ろす高台のうっそうとした密林の中、ユーリアの騎士達は静かに身を潜めていた。
執務長官の奪還を誓いあった前回の偵察から、はや数時間が過ぎていた。その間に騎士達は地の利をいかし、帝国騎士団の目を盗みながら奪還の準備を整えていった。

だが、いざ出撃という時に帝国騎士団を監視していた騎士から報告が入ったのだ。

帝国騎士団に異変ありと。

そのためファーンをはじめ、主だった騎士達が再び様子を見に集まったのだった。
眼下では慌ただしく帝国兵達が動き回っている。陣地をたたみ、接収した家屋を解放し、人質となっていた人々が次々に解放されていく。
どこをどう見ても撤収の準備に見えた。

「本当だ!おおっ。やつら撤収していくぞ。どうなってるんだ?」
灰色の髪の青年は疑問符を顔に張り付け、隣にいるファーンに声をかける。ファーンは難しい顔で腕を組んでいた。先程から微動だにしない。
「なあ、てば」
ハリーは動かないファーンに焦れて彼の体をガクガクと揺さぶった。
「こら、やめろハリー」
ファーンに冷たくあしらわれ、ハリーは少しばかりむくれる。

そんな時、リーネが「あっ」と小さく呟いた。
「ユーク様!」
そう叫び、ハッとして皆にユークのいる場所を示す。
「え?」
「どこだ?」
騎士達は口々に言い、リーネの指差す方向を凝視する。ユークは指揮官と思われる帝国の騎士とともにいた。壮年の男はユークの体を抱きかかえている。

「あの男は確かゼガード将軍!」
アベルは叫びぎりぎりと唇を噛み締める。
ユーリアの騎士達が見守る中、ゼガートは漆黒の愛馬にまたがりユークを自分の前に乗せた。
「おい、馬に乗せたぞ。…まさか」
「ああ!…行ってしまう!」
悲痛な声をあげたのは誰だったか…。そんな幾つもの声が密林に響き渡る。

そうとは知らず帝国の騎士達は後詰めの者を残し、隊列を組み移動しはじめた。馬の巻き上げる砂塵が風に流れてくる。
「…やられたな。こっちが仕掛ける前に撤収するとは」
騎士の一人ルジェがぼやき、どうする?とファーンを見る。

ファーンはしばらく黙考していたが、やおら顔をあげ言った。
「放っておく。このままユーリアから出そう」
「え?いいのか?それで?」
アベルは不安げに、ファーンに聞き返す。
「ああ。やつらがユーリアから完全に出たら攻撃する」
「げ。帝国の領内でやる気か?」
ハリーはファーンのやろうとしている事に気付き、眉をひそめる。

「仕方ないだろう。今仕掛けてもこの状況ではこちらが損害をうけるだけだ。絶対的にこちらは兵力が不足している。不意をつくしか勝機はない。」
それはその場にいる誰もがわかっていたことなので、皆黙したまま何も言わなかった。
ファーンはなおも言いつのる。

「それに実際別の心配もしている。大量の血が流された後に必ず現れる魔物のことだ。ユーリアは既に大量の血を大地に流している。これ以上この地を血で穢すのは避けたい。血は穢れだ。魔物が臭いを嗅いでやってくるかもしれない」
ファーンの言葉を聞き騎士達は青くなる。

「ひー。やめろー。これ以上やること増えたら死んじまう」
「冗談じゃない。今魔物に襲われたらユーリアは全滅だ。完全に滅ぶ!」
騎士達は血を求めユーリアをさすらう魔物の群れを想像し、ぞっと身を震わせる。残数五十の騎士団ではどうあがいても、ユーリアの人々を魔物の脅威から守り切ることなど不可能だからだ。

「魔物に襲われるのはできるだけさけたい」
ファーンは苦渋の表情で呟く。
「だったら、やはり帝国領で攻撃を仕掛けるしかないじゃないか。」
「ファーン…」
「俺だって早くユークを助け出したい。だが、今はまだ駄目だ。まだ出来ない。今飛び出しても何も変わらない」
ファーンの怒りを押さえた声に、ハリーはそっと肩を叩いた。

「力むな。時間はまだある。ユークは必ず助け出す」
だから間に合わなかったからといって、自分を責めるな。ハリーの聞こえない声はそう語っていた。

「…追うぞ、ハリー」
「あたぼうよ!行くぜみんな!」
ハリーは自分の剣をぎゅっと握りしめ、仲間を振り返って言う。騎士達は皆真剣な顔でハリーに向かって頷くのであった。

ユーク、待ってろよ。すぐに行くからな!

ハリーは遠ざかるユークに向かってそう声をかける。
砂塵とともに遠ざかる帝国兵達を前に、騎士達はそれぞれかたくユークの救出を胸に誓うのであった。



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