ユーリア天の扉の防人
13終焉
作:MUTUMI

赤く明滅した漆黒の球体、この世界に出現した最強最悪の生命体、魔王は酷く怒っていた。
先程から自分に対して平然と攻撃を加えてくる、身の程知らずな神の遣いに対してどうしようもなく苛立っていたのだ。
魔王と呼ばれる自分を恐れるでもなく、向かってくるその態度は、この世界の者にしてはとても異質だった。
元来神以外の生物は、たとえそれが神に仕える者、通称『神の使い』だとしても、魔王を恐れるものなのだ。
なのにこの目障りな者は、欠片すら恐れる様子もなかった。それどころか何故か非常に、この状況を楽しんでいる。

”キサマ、ゴトキニ、ワレヲ、ケセルモノカ!”
魔王は鋭く叫び、先程人間達を皆殺しにしたものと同じ力をふるう。
目に見えない魔王の力がラゼに迫った。
「!」
ラゼはちょっと驚いた顔をしながら、黒のオーブを戴く銀色の杖の先端を魔王へと向けた。
「面白い力だな」
そう嘯き、軽く杖を振る。
とたんに魔王の力はパキパキと砕かれる。何の光りもなく、気配すらもなく魔王の力は消された。
消滅。
魔王の力はあっさりと、ラゼに相殺されてしまったのだった。
魔王はその身に驚愕の気配を纏う。

”バ、バカナ!?”
狼狽した魔王を前に、ラゼは剣呑な表情を浮かべつつ、魔王に銀の杖の切っ先を突き付けた。
「ふふん、人間なら確かに今のは防げないな。しかし悪いな。俺はあいにくと人間じゃないんでね」
ラゼは笑い、ゆっくりと変化していく。
朧げな、空気に溶けるようなそんな感じで、身体の輪郭が透けていく。
ラゼを構成していた肉は消え、骨は溶け、銀の光にとって代えられる。
輝く銀の光。
人の形をした銀の光芒は、自ら光を発しそこにあった。
キラキラと夕陽を纏い、ラゼであったもの、今や完全に人としての肉体は失われ、人でないものに変化したものは魔王を前に優雅に会釈する。

「お初にお目にかかる。現時の魔王よ。我が名はラゼック。破壊と混乱、終焉を支配するもの」
”ハカイ、コンランダト!? マサカ・・・”
魔王はそれを聞き、ある可能性に気付いた瞬間、ほんの僅かに動きを止めた。
「その少ない記憶領域に叩き込んどけ。俺が終わりの者だよ」
言いざま、ラゼは銀の杖にありったけの力を込める。
杖の先端の銀のオーブが一瞬にして発光する。凄まじい強光に魔王は、思わず数歩引き下がった。
"オマエハ!?”
魔王のそんな声を無視し、ラゼは尚も自分の力を杖に集束させる。

ラゼの力が集束し出来た銀の光は、杖の先端、漆黒のオーブの周囲を渦巻き状に包み 込んだ。
その輝きは目で直視しようとするだけで、瞳を焼き焦がしてしまいそうな程の強さだった。
そんな銀光を前に、魔王は恐怖と絶望の感情を露にする。
この世で自分が絶対だと思っていた存在は、この時初めて悟ったのだ。
銀の光を発している目の前の存在が、自分達の天敵、『神』と呼ばれるものだということに。

かつて数百万年も前に分化した、自分達と同じ力を持つ原種の生命体だということを、魔王はようやく悟っていた。
環境に適応し異質な変化を受け入れた自分達(魔王種)とは違い、昔の姿を止め、正常なまま生き続けてきた者達なのだという事を。
”オマエハ、カミカ!?”
「正解」
ラゼは答え、溜め込んでいた力を一気に解放する。

黒のオーブを幾重にも取り巻いていた銀光の渦は、放たれた瞬間、真っ直ぐに魔王へと向かった。
銀の軌跡を描きながら、光は魔王を包み込む。
魔王はそれでもとっさに光を避けると、身もふたもなく逃げ出した。
空中を矢のように飛び、シェザの張った結界を無理矢理突き破ろうとする。
だが、そう簡単にはいかず、魔王は結界の端で動きを止めた。
いや、止めずにはおられなかったのだ。
魔王の得意とした能力、次元を超え攻撃を避ける力は人ならばともかく、神々に通用するはずもなく、厚いシェザの結界に阻まれては、その先に逃げる事も出来なかったのだ。

そんな魔王を追い詰め、銀の光は生き物の様にうねると、まるで投網のように広がり、あくまでも逃れようと足掻く魔王の体をすっぽりと包み込んだ。
魔王の本体、球体だけとなっていた存在は、長い長い悲鳴をあげる。
”ギャーーーーーーーーーーーーーッ!!!!”
恐ろしい声音の断末魔の悲鳴は、瓦礫の大地を駆け抜ける。
”オ、ノ、レ・・・”

そんな声が魔王から漏れた次の瞬間、パキンと何かが壊れる音がした。
音の発信源は魔王だった。
ガラスが砕ける様に、魔王であった球体は欠けていく。
パキ、パキ、パキン。
パラパラと破片となって大地に降り注ぐ。
魔王の欠片は、夕陽を浴びてキラキラと輝き、まるで空から光が降って来たかのような印象を与えた。
そんな魔王の欠片を浴びながら、ラゼは無造作に大地に降り立つ。
「ふーっ。とりあえず完了か」
そう嘯き、人間の側に佇む相棒、創始の神の異名を持つシェザルーンの側へ寄って行く。
地上ではシェザが、ふわふわとした満面の笑顔でラゼを迎えた。


□□□□


それら一連の行為を全て見届けていたハリーとファーンは、言葉もなく呆然と立ち尽くす。
いや、言葉を奪われたという方が正しいだろう。あまりの状況に脳がついていかなかったのだ。
二人がかろうじて認識出来たのはたった一つ。魔王が殺されたという、事実のみだった。

「なあ、ファーン。これって夢落ちじゃないよな? 現実だよな?」
「ほっぺを抓ろうか?」
ハりーの問いに、茫然自失状態のファーンがそれでも、すかさず言い返す。
本当にファーンが手を伸ばして実行に移しそうだったので、ハリーは慌ててそれを辞退した。
「否、いい。これは間違いなく現実だよ。ふーーっ、なあ、あの二人って神様なのか?」
「少なくとも銀に光ってる方はそうみたいだな。魔王の問いを肯定していた」
「終焉の神『ラゼック』・・・」
決して敬虔な訳ではないハリーなのだが、銀に輝いているラゼックを前に跪きたい衝動にかられていた。
無意識、ハリーが自分の心を認識する、それ以前の衝動行為だった。

「何故か無性に、跪かなきゃいけない気分になってくる・・・。これは・・・」
「強制力か? それとも神に対する原始の恐怖か・・・」
呟きつつファーンは、先程から浮かんでいた脂汗を拭き取る。
「神を前にして、恐怖にまとわりつかれるとはな」
「俺達にとっては神も魔王も、同じ様な力を持つ存在だ。恐怖しない方がおかしいぜ。いくら神が人間の守護者だからっていっても、恐いものに変わりはない・・・」
そう呟き、ファーンはぎゅっと自分の手の中の剣を握りしめる。
その刃はいまだ赤く明滅を繰り返していた。
魔王の存在に反応する、剣。『フレイムソード』。
その口伝を信じるなら、目の前の銀に輝くものも『魔王』となる。
しかし・・・。


□□□□


「お帰り。上手くいったね」
ふわんとした表情でシェザは、ラゼを地上で迎えた。いまだ銀に輝いたまま本性丸出し、擬態を解いたままのラゼは軽く頷く。
「ああ、これで退治完了だ」
「一件落着っと。良かった。被害がこれぐらいですんで」
シェザは肩の上のシーズの頭を撫でながら、少し哀しそうに微笑む。
「嘆いてるのか、喜んでるのかどっちだ」
「喜んでるけど、・・・少し遅かったなと思ってるんだ」
シェザのそんな言い方に、ラゼはそっと吐息をつく。
俺に言わせれば、この程度の被害で万々歳だぞ。まあ、死んだ人間は生き返らないが・・・。

「くよくよするな。やるべき事はやった。それがこの結果なら、仕方ない」
「・・・うん」
シェザは呟き、ほんの少し同情的な眼差しをユークやアベルトに向ける。暫くそうしていたが、やがて意を決すると、金の杖の先端を破壊され血で染まった大地に向けた。
シェザの杖の先端の白いオーブは、淡く輝き、金の光を大地に降らせる。
シャワーの様に次々と降ってくる恵みの光を受けて、血の染み付いた大地から真っ白な光が幾つも舞い上がる。
真っ白な光達は、ゆらゆらと揺れながら次々と天に昇っていった。
それはとても異様で、幻想的な光景だった。

魂の昇天。
大地にしがみついていた魔王に殺された者達の怨念は、無惨な魂達は、シェザによって癒される。
自分の死を認識する事なく殺され、死んでいった者達は、次々と大地から解放されていった。
数百、数千の数多の光が天に舞う。
空へと還っていった。


□□□□


無数の光の乱舞を前に、ユークは無意識に両手を組んでいた。
誰に言われるでもなく、ユークは知っていた。この光、一つ一つがさっき死んでいった人達の思いなのだという事を。
だからユークは両手を胸で組み、そっと祈る。
安らぎと安息を彼らが得る事を願って。皆が恨みを持つ事なく昇天できる事を願って。

どうか、皆が天に還れますように。皆の心に幸福がありますように。
どうか・・・こちらを気にせず、安心して眠って下さい。もう魔王はいません。
だから・・・。

ユークは彼らの安息を願い、一心に祈った。
帝国の死んでいった騎士達の為に。

そんなユークを見、満身創痍状態のアベルトはそっと肩に手を置く。
「アべルト」
「ありがとう。彼らの為に祈ってくれるのか?」
ユークは小さく頷く。
「きっと大丈夫ですよね? 皆天に還れますよね?」
「ああ。大丈夫だ」
アべルトは微笑みながらユークにそう告げる。
父上、マーカス。帝国は魔王から救われた。魔王は跡形もなく消滅してしまった。ユーリア騎士団と彼らによって・・・。
アべルトはそう思い、人外の二人に視線を向ける。
銀と金の杖を持つ二人、片方は完全に人外の姿をし、もう片方はかろうじて人の姿をしてはいるが、どう考えても普通ではない者達を視界の端に留める。
人外の二人は、天に還っていく光をじっと見送っていた。
そう、いつまでも、いつまでも・・・。

「つっ」
じっと彼らを見ていたアベルトは、微かに頭を押さえ蹲る。
「帝王!」
はっとした様に、慌ててゼガードがアベルトに駆け寄り、その体を支える。
「しっかりなさって下さい! カレンツオ、侍医を呼べ!」
アベルトの負傷具合を確かめながら、ゼガードはカレンツオに命じる。
「は」
短く答え返すと、カレンツオは侍医、薬師達を呼びに本館の方に駆けて行った。
そこにはいざという時の為に、待機させていた薬師達がいるはずなのだ。
魔王が消滅した今、最も必要とされるのは怪我を診る薬師達だった。
魔王の攻撃から辛くも生き残った者達も、大小様々な傷を負っている。それこそ、リーネのように擦りむいただけとか、アベルの様に切り傷を負ったもの。アベルトの様に満身創痍の重傷者まで様々だった。
これから先は、騎士達ではなく薬師達の戦場だ。

「アベルト・・・」
半分涙目でユークはアべルトを見つめる。
「どうした? 泣きそうな顔だな? 大丈夫だよ。それ程の傷ではない」
「でも・・・」
尚も不安そうなユークにアべルトは微笑みかける。それは清々しい、柔らかい笑みだった。
「私の事より、彼らをねぎらってやりなさい」
アべルトはそう言い、ユーリアの騎士達を示す。
「感謝すると伝えてくれるか? 帝国はこの恩を忘れないと」
「帝王・・・」
ゼガードは呟き、アべルトの意を汲むと、激しい苦痛から話し難そうなアべルトに代わって、ユークにその意志を告げる。
「行きなさい。君はもう自由だ。君はユーリアに帰りなさい」
「アべルト、ゼガード将軍・・・」
ユークは二人を見、しばし逡巡する。
こんな怪我人のアべルトを無視して、さっさと帰れる訳がないではないか。そもそも、この城だってこんなに破壊されているのに。
命を落とした騎士達もいるというのに・・・。
こんなに色々関わっておいて、今さらもう帰れだなんて・・・。

そんなユークの心情を思い、アべルトは苦笑を浮かべる。
「我らの事は心配はいらぬ。ユーリアには関係なき事」
「でも・・・」
何かを言いたそうにしていたユークは、側に控えていたリーネにそっと手を引かれる。
「ユーク様。帰りましょう。懐かしいユーリアに」
「リーネ」
ユークはリーネを見上げる。
「魔王は滅びました。もう全て終わったのですわ」
リーネはユークに言い含めるような物言いをし、そっと小さな体を抱き寄せる。
「もう何も心配する事はありません。帝国にしても、この程度の被害なら大丈夫です。この国は巨大な富を持っているのですから。きっとすぐに復興しますわ」
「う、ん」
少々納得のいかないユークを前に、アべルトは優しい笑みを浮かべ諭す。
「我らは生きている。それだけで十分じゃないか?」
アべルトはそう呟き、ユークに再度ユーリアへの帰還を促した。

「アべルト、本当にいいの? 僕達が帰っても大丈夫?」
ユーリアの騎士達を少し残していこうか? また魔王が現れたらどうするの?
そんなユークの言葉にならない思いを読み取り、アべルトはちらりとゼガードを見た。ゼガードは頷き、ユークに告げる。
「帝国の騎士団は確かにほぼ壊滅した。けれど、まだまだ人材は豊富だ。退役していた騎士達も多いし、帝制の騎士養成所には多くの見習い達がいる。彼らがいればとりあえずの任務に支障はない。それから魔王の事だが、次に現れた時はすぐさまユーリアに援軍を求める」
「!」
ユークは驚いてゼガードを見つめる。
「我らと共にまた戦ってくれるか?」
ゼガードにそう問われ、ユークはこくりと頷く。そして何度も、何度も力強く頷いた。
「はい、勿論です!」
「そうか。よろしく頼む」
ゼガードはユークに微笑み返す。それはユークが初めて見る、本当に幸せそうな男の顔だった。
・・・凄く嬉しそう。こんな風に笑う人なんだよな。

恐い人だとずっと思っていた。レオルドを殺した人だったし。
でも、この人は必死だっただけだ。帝国とこの国の人達を守ろうとしただけ。アべルトの為に必死に対処しようとしただけ・・・。
だけどどんな理由があろうと、ユーリアの人達は帝国を決して許さないだろう。あれはそれ程の事だったから。
ユーリアが侵略を受けたのはあれが最初だから。他国の人達に殺された者がでたのはあれが初めてだったから。
きっとこの事は、・・・ずっとずっと語り継がれる。
ユーリアの歴史として後世に語られていく。

でも皆が絶対に帝国を、アべルトやゼガード将軍を許せなくても、僕は・・・。
彼らが成そうとした事を知っている。魔王を相手に戦おうとした事。決して退かなかった事。最後まで魔王にあがなおうとしていた事を。
だから、もういいよね? レオルド・・・。
赦してもいいよね?
いつかどこかで赦し合わなくてはいけないんだから。ずっと憎んだり、恨んだりするのはおかしいもの。
例えそれが個人的には恨みを引きずったものでも、国家としては赦さなくてはいけない事だもの。
隣国をずっと憎むなんておかしいよ。
皆同じ人間なのに・・・。同じ種族なのに。
・・・僕は間違っている? この判断はおかしい? 帝国の人達の思いに引き摺られているのかな?
でも、たぶん僕は間違ってないと思うんだ。
・・・きっと皆もわかってくれると思うんだ。だから・・・。

「リーネ。帰ろう、ユーリアに・・・」
「ユーク様」
「懐かしい故郷に戻ろう」
ユークはリーネの手を取る。
「ここにいても僕ができる事はないもの。僕はユーリアの執務長官だから、ユーリアの人達の為に尽くす義務があるんだ。だから、もう帰るよ」
そう言い、ユークはアべルトやゼガードを見る。二人は微かに微笑んでいた。行く末の楽しみな若者の決断を尊重するかの様に。

「ノートン・ユーク」
リーネと共に背を向け立ち去ろうとしていたユークに、アべルトは一際堅い声音で呼び掛ける。
「アべルト?」
ユークは訝し気にアべルトを振り返る。
「君がユーリア自治区に帰還したのを見届け、グランミア帝国は正式にユーリアに和睦を申し込む。君は、いや、ユーリアは受けてくれるだろうか?」
幾分か緊張気味のアべルトに対し、ユークはあっさりと頷く。
「はい。必ず」
和睦を結びます。
そんなユークの、はつらつとした声が聞こえそうな答えだった。

安心し、アべルトは微笑む。安堵と、脱力の入り交じった微笑みだった。
「では、行きなさい」
「アべルト。・・・お元気で」
「ああ。勿論だとも」
満身創痍、下手をするとこのまま一生を過ごす事になるかも知れない青年は、そんな事を表には出さずそう答える。
安心したのかユークはリーネの手を取って、ユーリアの騎士達の方に駆けて行く。
ユーリアの騎士達は歓声をあげて、ユークを取り囲んだ。

「いい子だな。あの子はきっといい為政者になる。いや、もう十分なっているか」
「帝王、あまりお話になるな。傷に触ります故」
ゼガードのそんな心配ぶりにアべルトは苦笑を漏らす。
「大丈夫だ。見た目程酷くないんだ」
アべルトのやせ我慢に、ゼガードはやれやれと溜め息をつく。
「なあ、ゼガード。帝国はこれでユーリアに決して返しきれない借りを作った。これから先どうなるのかはわからないが、あの子がユーリアを治める限り、帝国はユーリアを裏切らない。もう決して、かの自治区を攻める事はない」
「アベルト様」
ゼガードは神妙な面もちでアべルトを見つめる。
「ユーリアへの賠償に何が必要なのか探ってくれないか? 文官に任せるとすぐに費用を抑えようとするからな。お前の目で見、耳で聞き、私に教えてくれ。ノートン・ユークが何を必要としているのかを」
ゼガードは真剣な表情で堅く頷く。
それはユーリアへの賠償の話に他ならなかったから。
帝国はユーリア侵攻の責任を取ろうとしていた。たとえどのような理由があろうとも侵略は侵略なのだ。その損害を弁償するのは帝国の義務でもある。


□□□□


ユーリア騎士団に囲まれ歓声を浴びるユークを目の端に入れながら、ハリーは深紅に輝く剣をシェザとラゼに向けていた。
ファーンは緊張した面もちで三人を見つめている。その手は青く輝く剣にかけられ、何かあればいつでも臨戦体制をとれるようにしている。
「あんた達は何者なんだ? 神? それとも魔王か?」
ハリーの声は緊迫感を帯び、常にない真剣な表情を浮かべている。返答次第ではこの二人と戦う事になるかも知れないのだ。それは無理もない事だった。

「この剣は魔王が現れたら赤く輝くようになっている。・・・魔王は滅びたのに、俺の剣はまだ赤いままだ」
「・・・」
シェザは無言でハリーを見つめる。
「どういう事なんだ? あんた達も魔王なのか?」
その問いを発したとたん、銀に輝くもの、ラゼはくすくすと笑い出した。
「ラゼ」
たしなめるシェザを無視し、ラゼは実にあっさりと人の知り得ない事実を告げる。

「ああ、同じ者だ。同じ存在から分化した生命体だよ。あちらの次元に住んでいて人を餌食にするのが『魔王』、この世界に住んでいて人を守るのが『神』。だが共に同じ次元生物である事に変わりはない」
「・・・」
ハリーは無言でラゼを睨み付ける。
「とはいえ、魔王は元々の存在から変異してしまっている。彼らが人を弄ぶのは、変異した性質によるんだろうな」
「じゃあ、あんた達はそうじゃないと言うのか?」
人に危害を加えないと言い切れるのか?
そんなハリーの問いにシェザは、物憂気に頷き呟く。

「僕らは魔王とは違うから。変異を拒み、自らを保った。でも、そのために・・・、もう僕らは残っていない。『神』と最初に呼んだのは、産まれたばかりの人間達。今も人はそう呼ぶけど、・・・僕らはいずれ消えて行く。滅びを迎えて」
「・・・」
ハリーはやや困惑に顔をゆがめた。
えーっと、・・・という事はやっぱり俺らの敵じゃなくて、味方? でもって、神様? なのか?
「うん。敵じゃない。人を迫害しようとは思わない」
シェザは呟き、ふとユークやアべルト達の方を見つめる。
「だってこんなにも輝いている。その眩しさにいつも目を奪われる。人はいつだって真剣に生きているから」

「あなたは・・・。あの、名を聞いてもよろしいか?」
ファーンはふとそう思い、シェザに問いかける。シェザは微かに苦笑を浮かべると二人にそっと告げた。
「僕はシェザルーン。創始を司るもの。神々の王にして、滅びを決めたもの」
「・・・俺はラゼック。破壊と終焉を支配するもの。こいつの相方だ」
銀に輝く存在はそう言い、無造作にシェザルーンを指差す。
ハリーとファーンは二人の返答を聞き、各々息を飲んだ。その事実はあまりにも重かった。
「始まりと、終わりの神・・・」
「神々の中の王者か!? まさか・・・、そんな」
その目で見ている事、聞いている事が信じられず、ハリーとファーンは目を見張った。
互いに視線を巡らし、夢ではなく現実だという事を確認する。

「夢じゃない・・・」
「まじ、現実じゃん」
ハリーは呟き、呆然としたまま剣を鞘に収めた。
この人外の存在達が、決して敵にはならない事を確信したからだ。
始まりと、終わりの神が人を害する事はありえない。何故なら、彼らは人と共にあるもの達だから。
「ユーリアの騎士達。君達は凄いね。魔王を相手に戦った。決して勝った訳ではないけど、その勇気には敬白する」
「・・・そうだな。人として凄いよ。お前達は勇者になる素質がある」
ラゼックは言い、しげしげと二人を観察する。
「だが、少々若いな。もう少し修練をつまないとな」
「ゆ、勇者って・・・。いや、俺はいいよ。そんな鬱陶しいものいらないわ」
ハリーはとんでもないとばかりに首を振った。

ハリーのそんな、慌てたような固辞には意味がある。
この世界における勇者とは、世界中に跋扈する魔物を退治し、生きる剣士達の事だ。
勇者と呼ばれる事は、この世界の騎士達にとっては、夢にまで見る程の憧れだった。いずれそうなりたいと望む者も多い。
だが彼ら、勇者達には国家に対する忠誠心はない。彼らが忠誠を誓うのは『神』だ。
勇者達は神の啓示を受け、戦うと言われている。
彼らには国家も権力も、名誉も意味を持たない。ただただ、人の為に、神の為に剣を振い続ける。

とてもじゃないが、柄じゃないよな。絶対無理だって。
そもそも、神の啓示を受けるって事は、要するにこの二人に忠誠を尽くせって事だろう? 俺にはそんな事・・・。
「やっぱり、いい。俺は勇者になんかなりたくない」
憧れがないとは言い切れない。だけどさ・・・。
ハリーの返答にシェザルーンは少し以外そうな顔をする。
「おや、珍しいね」
勇者と呼ばれたくはないのかい?
そう目で問うシェザルーンを、ハリーはあっさりと笑いとばした。

「俺は勇者より、ユーリアの騎士でいたい。世の為人の為じゃなくて、ユークの為に働きたい。ユークの騎士でいいんだ」
きっぱりとそう言い、傍らのファーンを見る。
「俺も同じだ。勇者にはならない。俺達はユーリアの騎士だから」
ユークに仕える者だから。
ファーンのそんな心の声を聞き、シェザルーンはふわりと微笑む。
「大事なんだね、あの子が」
「・・・」
ハリーは無言でシェザルーンを見つめ返す。

「あの子はたぶんこの地上で最後の天族だ。僕の宮にはあの子と同じ種族の者がいるけど、・・・あの子を連れてはいかないから安心して。あの子はここにいる方がいいと思うから・・・」
そう言い、シェザルーンは長い金の髪を縛っていた紐をほどく。黄金色の髪が、ふぁさっと広がった。
「だって、あの子は幸せそうだもの」
「え? えーっと?」
脈絡のないシェザルーンの言葉に、いぶかしるハリーやファーンに微笑み返すと、シェザルーンはラゼックの手を掴んだ。
「何でもないよ。じゃあ、ね」
そう言うと、ふわっとシェザルーンの長い髪が空に翻った。肩の上に小さな竜を乗せたまま、淡い金の光になりシェザルーンは天へ昇って行く。傍らには寄り添うような銀の光があった。
金と銀の光は戯れるように、空に消えて行く。
天へと還って行った。

「あーーーっ。ま、まだ聞きたい事があるのにーーーっ」
「・・・」
ハリーの叫びをファーンは肩を竦めながら聞く。
「こらー、ちょっと待て〜〜」
ハリーは天に向かって手を振り上げ、叫ぶ。けれど答える声はなく、その場で地団駄(じたんだ)を踏むしかなかった。
仮にも神を呼び止めるか? というより、よくもまあ、そんな感想を抱けるな。
半ば呆れ気味に、心臓にかなり毛の生えたハリーを羨ましく思いつつ、ファーンはそんな拉致のない感想を抱く。
なにはともあれ、ハリーの何時もの様子にほっと安堵を覚えた。
神を恐れるつもりも、神に従う気もなかった相棒を心底頼もしく思ったのだった。
最もそんな事を言おうものなら、この相棒は増長する事間違いなしなので、本人には告げる気は全くなかったが。

「ちっ。まあ、いいや。魔王も滅んだし、一件落着だな」
「ああ」
「ユークを連れて、さっさとこんな国はおさらばするぜ」
ハリーは言い、う〜んと一つ背伸びをすると、仲間の所へ向かって歩き出す。
その横を同じように歩きながら、ファーンは密かに笑みをこぼしていた。
いつもの呑気なハリーの姿を見て、仲間、ユーリアの騎士達が嬉しそうにユークを取り囲み、自分達を急かすように手を振るのを見て。

もう、終わったんだな。

肩の力を抜き、ファーンは晴れ晴れと笑った。
ユークを取り戻せた事を心底、誇りに思った。



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