ユーリア天の扉の防人
12神々の宴
作:MUTUMI イラスト:イラそよより

ふるふると微かに蠢く暗黒の液体に俺達は見入っていた。
俺の目にはアメーバーの様に広がった液体、魔王の本体は怯えているように見えた。
それは異常とも言うべき光景で、先程までのあの威勢はどこにも見られない。
一体全体どうしたというのだろう?
いぶかしりながら、俺は赤い剣を構えるハリーを窺い見た。ハリーは何故かぽかんとして、あらぬ方を向いている。
…。何をやってるんだか?全く。
注意を促そうとして、俺は初めてハリーの見ているものに気付いた。
俺の同僚は小さく呟く。

「なあ、ファーン。あの扉光ってないか?」
ハリーは右前方の壁の片隅にある、錆びた鉄の扉を指し示す。
何故か鉄の扉は金と銀の光に包まれていた。
「…光ってるな…」
俺は小さく同意しながらうち震える魔王を観察する。どうも魔王はその光に恐怖しているようだった。
一体何の光なんだろうか?金と銀?グランミア帝国の兵器か何かか!?
などと思考する俺の前でその扉は、あっさりと実に見事に吹き飛んだ。蝶番が外れ、くるくると扉だった物が空中を飛んでいく。

ばこーん。バコン、コン。

巨大な音が響き、カラカラと扉が地面を転がる音がする。吹き飛んだ扉の向こうには微かな人影があった。
人数は二人。
どうやら光はその二人から出ているらしい。魔王の怯えが一層酷くなる。暗黒の液体は海の荒波のように今や波うっていた。

何者だ?グランミア帝国の援軍か!?
俺はそう思いながらも、新たな人物達を観察する。どうやら先程からの金と銀の光は、二人が各々掲げたステッキから出ているらしい。二人が手に持つ短い棒は淡くキラキラと輝いている。
それは今まで見た事もない輝きで、宝石とも松明とも違っていて、俺にはそれが何による光なのかさっぱり見当もつかなかった。
ただ何となく、違う…と思っただけだった。
これはグランミア帝国の援軍じゃない、と。

それは半分は当たっていて、半分は間違っていた。彼らはグランミア帝国ではなく、人間達の援軍だったのだ。


□□□□


鉄の扉、地下遺跡から姿を現した二人は地上の状況に、微かに眉をひそめた。
金色の長い髪を三つ編みにし、肩に小さな黄金色の竜を乗せた、どこか優美な感じのする青年が魔王にステッキを向け叫ぶ。
「あーーっ。完全に蘇ってる!!孵化した上に、媒体となった人間の体から出てる〜!!最悪!」
金に光るステッキを振り回し、青年はなおも言い募る。
「そこのお前!『天魔の条約』を忘れたのか!?ちゃんと決めた事は守ってもらわないと困るよ!ここは人間の世界なんだよ。魔王が干渉して良い世界じゃない!この世界への魔王の干渉は厳罰対象だからね!さっさと元の世界に帰りなさい!」
一気にそう言うと青年、シェザは魔王を睨んだ。
「…だとさ」
取り立てて言う事もない黒髪の青年ラゼはおざなりに同意する。

ラゼの手には銀に光るステッキが握られていた。手を腰に当て、ラゼは魔王を睥睨する。
「まあ、帰る気がないんなら強制排除するけどな」
ラゼはそう言い、のんびりと宣った。
「天魔の大戦後我々は一つの条約を成した。こちら側への魔王の不介入とそちら側への神の不介入だ。忘れたとは言わせないぞ。大人しく去れ。さもなくば殺す」
傲岸な漆黒の眼差しをラゼは魔王に向ける。
「言っておくが俺は優しくないぞ。こちらに介入してくる暇な魔王に手加減してやる程人格が出来てないんでな」
全身黒ずくめのラゼはシェザの隣に立ち、アメーバー状の魔王を睨み付けた。

わなわなと波の様にうねり震えていた魔王は、ここでようやく二人の存在に苛立ち叫んだ。
魔王にはこの二人が何者なのか、大凡の見当がついていたからだ。金と銀の光を身に帯びた者、それは魔王の天敵ともいえるこの世界を守る神々の御使い、魔王はそう推測していた。
”カエレダト?カミノツカイガ、ワレニメイレイスルキカ!?”
「する気だよ。失せろ。俺らが本気で怒る前にな。こちらの世界をお前に蹂躙させるつもりは、さらさらないんだよ」
その声は冷ややかで、ラゼの怒りがはっきりとシェザにも伝わる程だった。
ラゼってば、意外と怒ってたのか…。
ラゼを横目で見ながら呑気にもシェザはそんな事を思う。
まあ、この状況は普通怒るよな。一体何人殺したんだ?数百人?いや、ここに染み付いた怨念の数はもっとあるな…。

”…ホンモノノ、カミガミナラ、シタガッタダロウ!ダガ、タカダカ、カミノツカイニ、シジサレルオボエハナイ!カミガアタエタ、ソノヒカルモノサエ、トリアゲレバ、オマエタチナド…オソレルコトハ、ナイ”

魔王はそう結論付け、二人から金と銀に淡く輝くステッキを取り上げようと迫った。アメーバーの様に体を広げ、一瞬で二人を包み込む。
「阿呆だな」
ぼそり、ラゼはそう呟くと暗黒の液体に呑まれる前に、とんと地面を蹴った。ふわりと三つ編みにした長い金の髪をなびかせ、シェザも続いて天空へと舞い上がる。
二人は重力に反して、空中を漂った。
「同情の余地なしだな。消しちゃおう!」
無情にもそんな事を言い放ち、シェザは肩に留まっていた黄金色の小さな竜を見つめる。
黄金竜、シーズは小さな翼を広げシェザの肩からスルリと舞い降りた。
シェザから離れたとたんに、その体はぐんぐんと大きくなる。あれよあれよと言う間にシーズの体長は数十メートルに達した。

巨大な体を持つ黄金色の竜、黄金竜シーズはドシンと地上に降り立つと、カッと鋭い牙の生えた巨大な口を開いた。その口から高濃度のエネルギーの塊、オレンジ色のドラゴンブレスが吐き出される。
巨大なエネルギーはまともに暗黒の液体に吸い込まれていった。一瞬にして液体の一部が蒸発し、抉れて無くなる。
凄まじい衝撃と、轟音はその後から来た。シーズのドラゴンブレスは魔王と共に大地をも深く抉っていた。この攻撃で抉れた大地の穴は、もしも雨が降れば間違いなく池ができる程の深さだった。

「…効率悪いな。大地も抉れたぞ」
突風や砂埃から目を庇いながら、ラゼはそうぼやく。
「仕方ないよ。竜だもん。シーズにそこまで求めるのは酷だよ」
「だが、大地を抉り続けるわけにはいかないだろう?……やっぱり、直接戦うか…」
ふうと、邪魔くさそうに一つ吐息をつくと、ラゼは銀のステッキに自分の力を込めた。輝く棒はスルスルと伸び、銀色の長い杖になった。杖の先端には漆黒のオーブがはめ込まれている。
ラゼは軽く杖を魔王に向ける。
「レベル1。とりあえずその体を縮める」
言葉と共に杖から伸びた銀の光が、アメーバー状の魔王の暗黒の液体の体をクルクルと丸め巻き上げていく。

”ギャッ!?”
銀の光に触れた魔王は引きつった悲鳴を発する。そんな声を無視し、ラゼは淡々と作業を続けた。
「レベル2、核を残して余計な物は削ぎ落とす!」
叫びと共に、緑の結晶が空中から魔王に降り注いだ。結晶は丸くロール状になった魔王をずたずたに切り刻む。
緑の結晶に削ぎ落とされた暗黒の液体は分離し、それぞれ勝手に統制を外れ、うようよと蠢いた。
「ち。分離しても各々生きてるか」
「じゃあ、そっちは任せて。綺麗に溶かしてあげる」
にっこりと物騒な事を言い放ち、シェザは金のステッキにそっと力を込めた。
一瞬で完成した金の杖、先端には輝く白のオーブがある、を分離した魔王の液体状の体に向ける。瞬間、金色の流砂が地上に撒かれた。キラキラと輝き砂は大地に降り注ぐ。
暗黒の液体は砂に埋もれ、溶けて無くなった。それはあっという間のほんの僅かな時間の事だった。

ラゼにいとも簡単に体を切り刻まれ、液状の体のほぼ全てを失った魔王は長い悲鳴を放つ。
”オ、オノレ!!ヨクモ!”
「へえ、まだ何かするの?お前?」
瞳を細めラゼは魔王の核、漆黒の球体だけとなった魔王を見つめる。球体は怒りを現すかの様に赤く明滅していた。
「面白い。やってみな」
口の端をもちあげ、ラゼは挑発する。魔王の攻撃をはね除ける自信がラゼにはあった。
それを見ていたシェザは肩を竦めながら、巨大な黄金竜に呼びかける。

「シーズ。戻って」
”よろしいんですか?”
「構わないよ。ラゼがやる気だしてるから。後は任せよう」
すっと片手を出し、シーズを促す。
”わかりました”
苦笑しながらシーズは再び小さく縮み、パタパタとなめらかな2枚の金色の翼を動かすと、シェザの腕に鳥の様に器用にとまる。



”本気と言う事は、擬態を解くつもりですか?”
「そのつもりじゃないかな」
小首を傾げながら、ふわりと何でもない仕種でシェザは、数メートル上空から地上に降り立つ。
「とりあえず僕はついでだから『エデンの扉』の回収と、地上の警護に徹するよ。ラゼの攻撃が外れたら洒落にならないもんね」
”ですね〜”
小さな首をコクコク揺らし、シーズも同意する。
くるり、180度方向転換するとシェザはシーズを従え人間達が集まる方へと歩き出した。
ふわふわと金色の三つ編みの長い髪が揺れる。


□□□□


これら一連の成り行きを見ていたユークは、自分達の方へ見知らぬ二人組の片方、金色の髪の青年が歩いて来るのに気付き息を止めた。
大きくなったり小さくなったりする見た事もない黄金竜を従え、魔王をもほぼ一撃であっさりと仕留めていくその尋常でない力に、ユークはただただ驚いていた。

凄い、この人達。物凄く強い!
尊敬と言うよりはどこか、恐れを含む感情をユークは抱く。
そんなユークを察してか、庇うようにユーリア騎士団のリーネがそっとユークの眼前に立った。
「リーネ…」
「はい。大丈夫です、彼に敵意はないようです」
薄く微笑みながら、リーネは不安そうなユークにそう告げる。
リーネの言う通り、金色の髪の青年に敵意はないようだった。優しい笑みを浮かべながら、青年はゆっくりとユークの前に立つ。

「やあ、こんにちは。『エデンの扉』の持ち主は君だね?」
「!」
ユークはビクンとして青年を見る。
エデンの扉って、天の扉の事?このひとは…誰?
ユークは疑問を抱えじっと青年を見つめる。
「うん?そうだよ。君達は『天の扉』って呼んでるんだね。ああ、僕はシェザ。この世界を彷徨う古の者の生き残りだよ」
古の者?
「まあね。そう呼んでくれる人はいないけど」
些か苦笑を浮かべ、金の髪の青年シェザは、そっとユークに杖を持っていない方の片手を掲げる。
「御免ね。僕らのせいで巻き込まれたみたいだね。君の中の『エデンの扉』は僕が回収しておくよ」
「え!?あ、あの!?」
言われた事に驚きユークは狼狽して声を出し、ここで始めて先程から自分が声に出して喋っていない事に気付く。
う、嘘!?喋ってないのに、僕の言いたい事がわかるの??どうして?

「君の心の中の声が聞こえるんだ。僕らはちょっと特殊だから」
どことなく哀しそうな表情で、シェザはこたえる。気のせいではなく幾分か声も低く、くぐもって聞こえた。
「まあ、おかげで2万年前の様に、魔王を撃退できるんだけどね」
「!」
ユークはシェザのその一言にはっとして、金の髪の青年をまじまじと見つめた。そして、恐れと共に、信じられないある可能性にユークは気付いた。
「あなたは…まさか?」
シェザ、ルーン様?創始の神様?はじまりの神様ですか??
「駄目だよ、言っては」
くすりと笑うのみでシェザはユークの問いに、否定も肯定もしない。

だがユークはこの青年と向かい合っているだけで、何かが自分の中からするりと離れていき、青年の中に還っていくのを感じた。それは何とも不思議な感覚だった。
「!?」
何かが無くなった。僕の中にあったものがたった今消えた。ぽっかりと胸に穴が開いたみたいだ。
間違いなく僕の中の天の扉が消えた…。
この時ユークは自分の前に立つ優し気な金の髪の青年こそが、自分達が創始の神と呼ぶシェザルーンであることを確信するのであった。



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