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……だけどこれを読み取らないと始まらない……か。
面倒臭いと真剣に思いつつも、ほとんど義務感だけで作業を続ける。両手をデータの海の中に浸し、組み込まれた物を分析した。細かいデータの破片が一矢の意識を占領する。
くっ!
信じられない程の量に脳が悲鳴を上げ、ハレーションを引き起こした。視覚など本来あるはずがないのに、目の裏が白くなった気がする。
やばい。……生身の体の方に影響が出てそうだ。現実世界の僕の体、今頃きっと痙攣してるぞ。
経験的にそう察知したが、肉体があげる悲鳴を無視し一矢はデータの海を掻き分けた。
僕が必要なのはたった一つ。この中に紛れているはず。
手をのばしそれを掴もうと試みる。一矢がのばした意識の手は、やがてゆっくりと何かを引き当てた。
……あった! これだ。
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意図的にそれを引き寄せる。圧縮されていたデータが一矢の意識上に展開された。乱数のような数値が脳内を支配する。
……時空剥離物質を用いたワープ航法の制御。
一番先に目に付いた文字を読み上げ、一矢は短く嘆息する。
ワープだって!?
理論上は可能とされている技術だ。特定の場所と場所に穴を開け空間を繋ぐ。理論的には可能とされながら、その技術はいまだ確立されてはいない。
技術の根幹となる空間を歪める事が、科学的にどうしても出来ないからだ。人類はまだ時空間を制御出来ない。そこ迄の技術はなかった。
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一矢達高位能力者と呼ばれる者にしても、時空間への働きかけは難しい。それをする為には、もう一次元先の概念を理解しなければならないからだ。
平坦な大地のみで生きてきた人間が空を知り宇宙を知り、立体的に広がる世界を知った様に、時間という概念を真に理解しなければ、空間を歪めるという技術は確立出来ないのだ。次元の壁はそれ程厚い。
次元の操作……か。
ある種の感慨を抱き、一矢はその先のデータを繰った。
一矢が胸に抱いたのは感嘆と、安堵。
空間を繋ぐ『ワープ』技術が本当に確立されていれば、極一部の能力者が個人的に行ってきた危険度の高い『転移』を行う必要もなくなる。
『ワープ』も『転移』も空間を繋ぎ、その先の場所へ移動することにかわりはないからだ。厳密には転移は空間のスライド現象を利用した物で、ワープがトンネル現象を利用した物という違いがあるにはあるのだが……。
ともあれ、生体的なテンションに影響されない『ワープ』は一矢からみても実に魅力的な技術といえた。
うわぁ、どうしよう。物凄くこの技術が欲しくなってきたかも……。
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『転移』と違って誰でも使えるっていうのが良いよな。高位能力者じゃなくても、宇宙を自在に渡れる。まだ見ぬ辺境を沢山の人が訪れる事が出来る。一定のルールさえ作れば人の生活環境はがらりと変わるだろうな。
破壊する為に選んだ物なのに、そのシステムを前に珍しくも一矢は躊躇した。
本当に壊して良いんだろうか?
ためらいが面に出る様に一矢の眉間に皺が寄る。
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だがそれでもそれを振り切る様に、一矢はそっと光に向かって指先を伸ばした。
一矢が電子の空間に浸っていた頃、現実世界のグロウと鈴はというと……。たった二人で孤軍奮闘していた。一矢が意識領域全てを電子の世界に傾けていた為、助力が得られなかったのだ。幾ら一矢でも同時に二つの事は出来ない。
銃弾が飛び交う中、グロウと鈴の二人は懸命に敵を排除し続けた。最初は高を括っていた相手も今では本気になっている。遠慮会釈もなく、レーザーが二人に注ぎ込まれていた。
心臓がバクバクと音を発て、鈴の動悸が激しくなる。1発撃てば倍になって返ってくる状況に、鈴は泣きそうだった。生身で危険に晒される事に慣れてはいないのだ。
ううっ。恐い!
涙目でグロウに訴えるが、忙しいのかあっさりと黙殺されてしまう。