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鈍く輝く金属の上で半ばよろけそうになりながら、一矢は右手を巨大な指にかけていた。安定感の悪い足場なので、ずり落ちそうになって仕方がない。
何しろ一矢が今居るのは、戦闘兵器の手の上だ。普通は人間が居て良い場所ではない。でこぼこの手はあくまでも作業用の物で、人を乗せる為に造られた訳ではないのだ。
ヨロヨロとした足取りで、一矢はまだましな平坦な方へと進む。この不安定な状況を少しでも良くしようと思ったからだ。一矢一人なら別に落ちても気にはしないが、今は大きな荷物を抱えている。荷物の為にも安全の確保が急務だった。
一矢が左手で抱える男は、ぐったりしていてピクリとも動かない。どうやら気絶しているらしい。
大丈夫かな?
チラリと不安そうな視線を投げかけつつも、一矢は男を引き摺った。何しろ一矢より体格が良いのだ。運ぶのも一苦労である。
「……ううっ。グロウってば重いっ」
何を食ってこんなにでかくなったんだ!と、埒もない事を頭の隅で考える。昔、負傷したボブを引き摺る事があったが、それとかわらない重労働に思えた。
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基本的に華奢な体格の一矢は、重労働が苦手だ。重い物を持つ事も少なくはないが、何時も押し潰されそうな気がする。
「もう、限界……っ!」
ズルズルとした足取りで手の中央へ辿り着いた一矢は、そのまま倒れる様に座り込んだ。ドサリとグロウの体が一矢の手から離れる。一矢はグロウに傷がついていない事を再度確認すると、安堵したのか体から力を抜いた。
「はぁ……」
大きく息を吐き出し、近くの窪みに足を投げ出す。
「まいった……」
呟く様に漏らし、ガシガシと髪を掻き揚げる。夜風が心地良く吹き抜けていった。潮の香りが鼻孔をくすぐる。
「まさか乗っていた船を撃ち落とすとはね。……予測が甘かったか」
自戒を込めて呟き、一矢は空を見上げた。もう肉眼では見えないが、その辺りに敵の宇宙船があるはずだ。爆発する敵船から逃げ出す時にチラリと見えただけだが、異様な形をした宇宙船だった。ガリガリの骨格標本の様な船。見たことのない形だった。
「あれ、本当に船だったのか?」
その辺りも情報が少ないので、一矢にはわからない。だが何にしろ、最悪の状況は脱したようだ。何故なら味方が直ぐそこに居る。一矢の目の前に、オーディーンという形を伴って。
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侵入した宇宙船が爆発する間際、本当にギリギリだったが二人は船を脱出した。一矢が両耳につけていたピアスを用い側壁を爆破し、グロウを抱えて飛び降りたのだ。
ただ途中で、スカイダイビング的な状況を予測していなかったグロウが失神した為、一矢は大きな荷物を抱えることになったのだが……。
ともあれ、飛び降りた一矢は近くにオーディーンが居る事に気付き、自由落下する中でオーディーンの操縦系統を無理矢理奪った。
人工知能ユニットを導入している機体なら、まず不可能なことだったが、幸い近くを飛行していたオーディーンにはそんなユニットはなかった。その為、比較的安易に誘導が進んだ。
自由落下する自分達を手で掬うよう、一矢は機体を遠隔操作した。さぞかし中のパイロットは驚いた事だろう。まさか操縦不能になるとは思いもしなかったに違いない。
悪いなとは思うが、自己の生存本能が優先する。パイロットから状況を問い詰められても、そこは摩訶不思議な現象として、かたずけておくのが無難だろう。
胸の中でそんな事を考えていた時、ふいにオーディーンから声が聞こえて来た。喜びの滲んだ女性の声だった。
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明るい弾んだ声でコードネームを呼ばれ、一矢は訝しく思いながらも顔をあげた。半ば睨む様にオーディーンを凝視する。
誰だ?
女性パイロットのようだが、誰かが特定出来ない。くぐもったスピーカー音では、そこまでは判らなかった。何も言わない一矢に焦れたのか、オーディーンの胸部ハッチが中から開いて行く。
「桜花! 私よ!」
その声と共に、一人の女性が勢い良くコックピットから顔を出した。真直ぐな眼差しをした、勝ち気な女性だった。
「……鈴……ちゃん?」
瞬きと共に一矢は呆然と呟く。
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「ええっ!? なんで鈴ちゃんがここにいるの? どうなってるんだよ?」
どこか狼狽した調子で、一矢は聞き返した。鈴は胸を張って答える。
「仕事よ。ムーサ指揮官の下にいるの」
その言葉に一矢はピクリと反応した。
「ムーサだって?」
「そうよ。ほら、うちの隊長は怪しいお仕事が大好きでしょ。なんか今回もそっち系で頼まれたみたいで……」
唖然とした表情を浮かべ、一矢は鈴を見上げる。
「……また闇の仕事?」
「多分ね。ねえ、ねえ。それより桜花はどうしてここに居るの? そっちも仕事だったの?」
「ん。……まあね、潜入捜査中だったんだけど」
言いながら足下のグロウを見、一矢は苦笑を口元にのせた。
「色々あって見事に失敗。敵の親玉に逃げられたとこだよ」