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「まさか! そんなことは望んでません!」
ヒュレイカは即座にしらねに叫び返した。
「私が言いたいのは、ただ……」
唇を噛み、ヒュレイカは呟く。
「ただ、星間の人達が何も知らないから……。私達の苦労も、桜花の苦痛も……、何も知らないから」
「【66ー20】」
しらねは呼びかけ、暗い話題を切りあげる様に、優しい眼差しでヒュレイカを見つめた。
「君が心配する必要はない。世界は常に動いているものだ。我々が既に闇の部隊ではないように、時代が全てを変える。統合本部や委員会が幾ら隠蔽工作をしようとも、そのうち出来なくなる」
「【08】」
いつになく思いきった事を述べるしらねに、クルー達は目を丸くする。しらねからこういった発言があるとは、思ってもみなかったからだ。
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「【08】がそんな事を言うなんて、明日は雨ですかね?」
茶化すロンジーに、しらねは苦笑を向けた。
「さあ、どうかな? それよりも、【30ー30】動きがあったようだぞ」
その声にロンジーは我に返って、慌ててヘッドホンを耳につけた。途端に、フリーダムスターから緊迫した通信が聞こえて来る。
『こちらフリーダムスター。桜花部隊応答せよ!』
切迫感を伴った男性の声が、繰り返し、しきりにそう呼びかけていた。世程、桜花部隊という名称が効いたらしい。
「……だから桜花部隊じゃないっての。それは解散済みなんだよ」
独りで相手に突っ込みつつ、ロンジーは回線を開く。そしていつになく生真面目な口調で、声を張り上げた。
「こちらは星間軍情報部所属第19番艦隊、旗艦太白。貴艦の所属と目的を明らかにせよ」
ロンジーの声は凛とした響きを伴って電波にのる。普段のロンジーのぼけっとした声とは違い、そこにはある種の厳しさが漂っていた。
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『……こちらはフリーダムスター。音声通信ではなく、映像通信を求める。可能か?』
問いかけに、ロンジーは背後のしらねを振り仰ぐ。短く頷くしらねに目で合図だけを返し、ロンジーは答えた。
「了解した。接触はこちらから行う。現状にて待機せよ」
『了解』
それを最後にフリーダムスターからの通信は途絶えた。ロンジーはヘッドホンを耳からずらし首にかけると、テキパキと作業を開始する。端末を叩く軽快な音がブリッジに響いた。
「【08】対応しますか?」
準備が終わったのか、ロンジーがしらねに確認をとる。普段の通信はロンジーが全て対応しているのだが、今回ばかりはしらねに任せた方が良い。そう判断しての事だ。
「ああ、そうしよう」
しらねは総責任者らしく答え、制服の襟を糺した。
「繋ぎます」
ロンジーのやや緊張した声が、短く告げた。
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ジリ、ジリと微かに画像が歪んだ後、太白のメインディスプレイに中年の男の顔が映った。その顔には深く皺が刻まれていたが、どことなく愛嬌の滲み出る眼差しをしていた。薄い唇を開いて男は告げる。
『私がフリーダムスターの責任者だ。……久しぶりだな【08】』
男は落ち着いた声で、しらねを認めてそう声をかけた。
「ムーサ!?」
対してしらねは、思ってもいなかった人物が目の前に現れた事に動揺し、思わず声を荒げた。
「お前だったのか!?」
『……皮肉かそれは?』
ムーサと呼ばれた中年の男は、しらねに気安くそう返した。
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「皮肉でも何でも良い。お前、ここで一体何をしている!?」
『何と言われても……命令された仕事だな』
その瞬間、何とも言えない表情でしらねはムーサを見た。同情しているような、怒っている様な……。
「空軍が、宇宙軍のオーディーンを運用してか!?」
剣の切っ先を突き付ける様な鋭さで、しらねはムーサこと、空軍中将ムーサ・レナンディに問うた。
星間軍は4軍に分別される。陸、海、空、宇宙だ。ムーサはその中でも空軍所属だった。本来は惑星上の航空兵器の運用が職務で、宇宙船の操船や、ましてや機動兵器の展開などは職務外に当たる。
「お前ならやって出来ない事はないだろうが、……完全に職務を逸脱しているぞ」
『……し、仕方なかろうが! そう言われたんだから』
ブチブチと、のの字でも書きそうな程廃退的に、ムーサは自己防衛を展開する。
『私だって嫌だったさ。だけど断ると左遷するって言いやがるし。所詮公務員、我が身が可愛くてどこが悪い?』
しらねはそれには一切同情せず、さっさと会話を続けた。どうやらムーサの自己防衛展開論はいつもの事のようだ。
「……お前の事情はこの際どうでも良い。で、一体どこの誰だ? お前の後ろにいらっしゃるのは?」
『うぐっ』
「ついでに何を狙ってる?」
しらねは獲物をいたぶる猫の様にムーサに聞いた。かつて同じ戦場に立っていた時から、この両者の力関係は変わらない。
同じ星間軍所属とはいえ、ムーサは空軍、しらねは宇宙軍。接点などない様に思えるが、しらねが何でも屋の様な性格を有する部隊にいた為、割と頻繁にあちこちで遭遇している。
「一つ面白い情報をやろうか?」
『何だ?』
幾分か警戒心を浮かべながら、ムーサはしらねに聞く。笑み一つ浮かべず、しらねは爆弾を落とした。
「桜花がこの下に居る。オーディーンが踏み付けなきゃいいがな」
『!? ちょ、ちょ。ちょっと待てー!!』
途端にムーサの悲鳴が上がった。
『い、居るのか!? この下に!?』
しらねにすれば、何を今更と思う話だ。自分達が乗せて、ここに連れて来ておいて、それを言うかと思った。
「居るも居ないも……。乗せて来たじゃないか。ディアーナからここ迄」
『嘘……』
その情報に絶句し、ムーサは頭を掻きむしる。
『ああ!? あの子供!! 奴が閉じ込めたって言ってた餓鬼! あれがまさか……!』
「それだな」
何だか良くわからないが、どうやらムーサは船内で顔をあわせなかったらしい。いっそ会っていれば、話はもっと簡単だったのにと、何やら不穏な感想をしらねは抱いた。
「理解したところで、さっさと吐け。どんな目的か知らないが、桜花に知らせておかないと、お前の方の作戦自体が潰されるぞ」
『ぐっ』
ピクピクと引き攣った頬を見ながら、しらねは心の中で両手を合わせる。
成仏しろ、ムーサ。俺達とかち合ったのが不運なのだ。
思わず、しらねはそう思った。