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指輪? 何なんだ、一体?
一矢の頭の隅で、【指輪】というキーワードに何かが引っ掛かる。が、あまりにも曖昧で朦朧とし、はっきりとは思い出せない。
昔……何かあった?
微かに小首を傾げ、一矢は顳(こめ)かみに銃を突き付けられたまま、この事態を見守る。
古びた指輪をじっと調べていた男は、ややして、苦笑いを浮かべた。
「これが本物だと、お前は言うのか?」
「……どういう意味だ?」
シドニーは震えつつも、気丈にも男に聞き返す。リーダー格の男は、皮肉な笑みをその唇に張り付かせた。
「なる程。お前自身も知らないということか」
「何?」
男はシドニーの背後に回り、背中に銃身を突き付ける。ゾクリとシドニーが震えたのが、一矢にもはっきりとわかった。
「これは偽者だよ。お坊っちゃん」
やんわりとかんで含める様に、男はシドニーの耳元で囁く。
「お前は実の父親に、囮にされたってことだ」
「……」
ある程度予想していたのか、意外と冷静にシドニーは男に向かって言葉を吐き出す。
「父は……そういう人だ」
「そのようだな」
肉親すら利用する性格なのだと、子供は言い、見ず知らずの傭兵すら、それに静かに同意する。
「さすがはネルソン」
男の紡いだ言葉には、幾重にも棘が巻き付いていた。
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男の嘲る言葉に、シドニーは黙って唇を噛む。ネルソン家の家風といえるのかどうか、ともかく、卑怯な事でも平然とやって仕舞える現総裁の性格は、一矢からみても、かなり破綻している。
この行動を見る限り、子供に対し愛情を抱いているのかどうかも怪しいものだ。
ロバート〜。お前もう少し子供を可愛がってやれよ。
他人の家の事情ながら、一矢は思わずシドニーに同情した。そんな内心の一矢の突っ込みとは裏腹に、事態はより厳しい局面を迎える。
「ではシドニー・ネルソン。我々と共に来て頂きましょうか?」
シドニーの背に当てられた銃口が、シドニーを前に押し出す。
「くっ」
よろよろとシドニーは、男と共に歩き出した。一矢もニードルガンの銃口を当てられたまま、歩く様に促される。
男達に囲まれ、逃げる事も出来ないで、五人は無言で小道を歩く。先程歩いて来た道ではなく、薄暗い人気のない方へと続く道だった。
……や、やばいな。
一矢は歩きながら、軽く息を整える。周囲を歩く男達の眼光がより一層険しくなったのを感じる。
クラブハウスから少し行った裏庭は、普段あまり整備されていない。草はぼうぼうに生え、雑草の背は膝丈もある。
殺気がひたひたと周囲に満ちて来た。
”一矢、子供達だけ回収します”
どこまでも冷静で静かなボブの声が、一矢の耳の奥に仕込んであった通信機から、聞こえて来る。
ボブの言葉に応えるかの様に、一矢は微かに頷いた。
”あとは好きになさっていいですよ”
どこか達観したボブの声音に、一矢は知れず微笑を浮かべるのだった。
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数分後、五人は雑草の生い茂る草むらに到着した。シドニーは右手に、一矢達4人は左手に移動させられる。
この二つを分かつ様に、男達は中央で壁になった。シドニーは、素早く後ろ手に縛りあげられ、リーダー格の男の側に転がされる。
「シドニー君!」
パイが小さく声を発する。ごくりとシグマとケンが息を飲んだ。この異常な状況に何かを察したのだろう。
怯えるパイ達の前で、壁になっていた男達は次々に銃を構えた。照準は目の前のパイ達に合わせられている。どれもこれもわずかのズレもなかった。
……最悪。
一矢は心の中でぼやきつつ、不測の事態に備える。もしもボブ達が間に合わず暴発した時は、自分一人で男達を押さえるつもりだった。その程度の力は有している。
「悪く思うな。これも契約だ」
リーダー格の男は肩を竦め、一矢達を見る。どこか哀れみのこもった表情で、男は続けた。
「目撃者は不要らしい」
そして続ける。
「やれ」
男の声に被さる様に、ボブの指示が飛ぶ。
”突入!”
短い合図と共に、一矢達の足下に何かが打ち込まれる。激しい閃光を発し、それは爆発した。爆発とはいえ、飛び散るのは閃光とホワイトミストだ。
一瞬で視界は奪われる。
一矢はボブの言葉とほぼ同時に、パイ達を囲む空壁を展開する。目には見えないエネルギーのシールドは、三人をしっかりと包み込んだ。
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民間人のパイ達がこの状況に巻き込まれても、怪我をしないように、三人のいる空間にシールドを展開し終わった一矢は、ボブ達に呼応して反撃に出た。
閃光がおさまるより先に、自身に銃口を突き付けていた男を沈める。ほんの少し重心をずらし、照準からずれるや否、ニードルガンを持った男の手首を無理矢理折ったのだ。
ボキッと嫌な音がして、男は長い悲鳴を上げた。
細い手を伸ばし、悲鳴を上げ続ける男の口を塞ぎながら、一矢は男の耳元で囁く。
「ねえ、桜花部隊って知ってる?」
瞬間、男は目に恐怖の色を浮かべた。一矢は無反応のまま、男の鳩尾に拳を叩き込む。
ぐごっと音がし、男は一瞬で一矢の腕に崩れ落ちた。一矢は男を荷物の様に草むらに転がすと、シドニーのいるだろう方向に駆け出す。
視界はまだホワイトミストがおさまらず、乳白色のままだった。
「きゃぁ!」
「うわぁっ」
「ひえっ!?」
三者三様にパイ達は悲鳴を上げる。視界が真っ白に染まっているので、何も見えず、余計に混乱に拍車がかかる。慌ただしく人の動く気配や、錯綜する音だけが耳に響いてくる。
「な、何なの!?」
「どうなってるんだよ」
訳もわからず取り残され、三人はその場に立ち尽くした。
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「何がどうなっているの?」
シグマの耳元でパイの狼狽えたような声がする。どうやらすぐ近くにいるらしく、薄らと身体の輪郭が見えた。
「とりあえず、今の内に逃げよう!」
ケンのあけすけな迄の逃げ腰の声が、被さってくる。
「ケン君。そこにいるの?」
パイは方向を確かめる様に聞き返す。
「ここにいるよ、パイ。それより早く逃げよう。こんなの異常だぜ」
「そうそう、助けを呼んだ方がいいと思う」
シグマも別の観点から同意し、真っ白な空間を睨む。さっき迄聞こえていた悲鳴は、徐々に少なくなってきている。
何が起こっているのかは理解出来ないが、自分達が場違いな状況、危険な状況にいることは、三人にもはっきりとわかった。
「そうね。でも、……あれ? そういえば一矢君は?」
さっきから全然声がしないので、不信に思ったパイはシグマとケンに、近くにいないのか尋ねた。
「一矢? なら、さっきそこに……。あれ?」
「ここにいたけど……」
呟きつつ、二人はさっと青くなる。さっき迄そこにいたのに、今はもう一矢の姿がない。この状況で、その状況という事は……。
ホワイトミストをかき分ける様に、ケンとシグマは顔をつき合わせる。
「やばいって、一矢の奴……」
「うんうん。信じられないよぅ……」
二人は同時に声を発し、同時に叫んだ。
「「この状況でシドニーを助けにいくか!?」」
うがぁ、と声を発し二人はジレンマに苦しんだ。逃げたい、逃げたいのだが、シドニーを見捨ててしまっていいものかどうか。
決して正義感が強いわけではないのだが、一矢がヒーローぶって助けに行ってしまった以上、放っておく訳にもいかない。
「……うぐぅ。」
「一矢〜」
どこか恨めし気な声を二人は発し、乳白色のミストの彼方を睨んだ。