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クリフとグロウに挟まれる様にして、一矢はジェイルの前に立つ。不安気な表情の一矢を、ジェイルは満足そうに眺めた。惚れ惚れと一矢の顔や肢体を見つめ、納得したかの様に頷く。
「ふむ。確かに極上」
途端に背筋に悪寒の走った一矢は、学制服の上着を掴むと青くなった唇を噛む。キッと睨むと揶揄するような反応が返って来た。
「ふふ、これでも誉めているのだがね?」
「っ。……あなたは、誰?」
震える声にジェイルは悠然と告げる。
「私の名をお前が知る必要はない。だがそうだな、ご主人様とでも呼んでもらおうか」
唖然として一矢はジェイルを見た。
……何偉そうにぶってるんだよ、こいつは! 何が御主人様だ! 何時、僕がお前の下についた!? ロバートと似たような顔をした奴に、言われたくないわいっ!
うが〜っと、口から火でも吐きたい心境の一矢だった。が、顔にはおくびにも出さず、不安気に視線を彷徨わせる。
「あなたが僕を攫ったの?」
「そうだ。だからお前は私の物だな」
単純明快、その独特の2段論法に一矢は内心呆気にとられる。
……人を攫っておいて、所有権を主張する馬鹿がこの世の中には居たのか……。
「物?」
「そう。お前はここにいる限り私の物だ」
ジェイルは笑いながらそう言い、ソファーを立つと一矢の方へ近寄ってくる。びくっと一矢は一歩後ろへ下がった。それ以上下がろうとしたが、クリフに拘束されてしまう。
「やっ!」
短く悲鳴を上げると、ジェイルが目尻を下げ、嬉しそうに笑みを浮かべた。
……おい。こいつも変態の口か? ……ロバート、お前の親族には、まともなのはいないのか〜!?
全然関係のない事なのに、ネルソン家総帥に向かって思わず、愚痴ってしまう。
「可愛い声だ。もっと泣かせてみたくなる」
「……っ」
そう聞かされると、一矢は口をしっかり閉じ、思わずそっぽを向いた。絶対に言うものかと、反抗的な態度をとる。それを見てグロウが、ほんの少し眉を寄せたのがわかった。
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グロウが目で逆らうなという合図を送って来たので、一矢は渋々口を開く。
「ご、御主人様……」
小声で呟くとジェイルは満足したのか、優しく一矢の髪に触れた。さらさらの髪を梳いて、言い聞かせる様に告げる。
「優しくして欲しければ従順になれ。どうせ助けなど来ない。お前はこれからこの屋敷の中に、朽ちる迄居る事になるのだ」
……良く言うね。散々なぶっておいて、飽きたら売り払うつもりの癖に? 優しくして欲しければだって? それはこっちの台詞だ。調子にのるなよ、くそ爺。
内心の悪態とは別に、一矢は従順そうにコクリと頷く。伏し目がちな瞳に涙が薄ら浮かんだ。そんな思ったよりも儚い、弱々しい素振りすら浮かべた一矢に、ジェイルは大きく息を飲む。
「ほう。泣き顔も可愛いではないか」
ほくそ笑むジェイルを前に、一矢は少しやり過ぎたかと思い、咄嗟に視線を伏せた。流れ落ちた涙をジェイルの指が掬う。
自分の意志で涙を止める事は出来るのだが、怪しまれない為に、とりあえず色々面倒臭いから、泣いている振りをしておこうと、一矢は考える。一番無難な、その上それとなく、相手の心をくすぐる反応だからだ。
これだけやって、正体に気付かれたら……、僕って間抜けだよなぁ。
ふと、一矢はそんな事を思った。
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「ジェイル殿。そんな事よりも白露を」
グロウが何時迄も一矢に構うジェイルに、釘をさす様に告げた。
「クリフ白露を出せ」
そう指示すると、一矢から手を離し、命令されて嫌そうな顔をしながらも、クリフはポケットから白露を取り出し、ジェイルに手渡す。
「お約束の物はここに」
「本物の様だな」
真剣に白露を観察するジェイルの横から、グロウは口を出す。
「イミテーションでない事は確認しています」
グロウの言葉に頷くと、ジェイルはこの部屋の窓辺、テラスの方を振り返った。
「セイラ」
呼び掛けると、丁度一矢達からは死角になっていた場所から、白のドレスに身を包んだ女性が現れる。40中頃の、赤茶の髪をした女性だった。かつては美しかっただろう容貌に、今は皺が混じる。
「君の物だ」
そう言って、ジェイルはその女性に白露を渡した。
誰だ? これ?
一矢は意外な成り行きに、思わず目を見張る。まさかジェイルが誰か、第三者の為に白露を欲しがっていたとは思わなかったからだ。白露を手にした女性はうっとりと瞳を細め、喜色を上げた。
「まあ! 本物ね? とても嬉しいわ」
そっと細い指で白露の、鉱石部分を撫で、女性は邪悪に微笑む。
「これで出来るわ」
「そうか、それは良かった」
ジェイルもまた、満足そうに応じた。
出来る? ……何が、だ?
話の読めない一矢は、思わず眉間に皺を寄せる。何か自分の知らない何かが、影で進行している、そんな予感がした。
ふとグロウを見ると、彼は真剣な顔をしてセイラと呼ばれた女性を見ていた。グロウの横顔には、明らかな殺意が宿っている。
グロウ?
一矢が訝しんだ次の瞬間、グロウから殺気は綺麗さっぱり消え失せる。そこには何時もの、何を考えているかわからない傭兵、グロウがいた。
……ふうん。何かあるね、あんたにも。
一矢は敏感にその匂いを嗅ぎとる。
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「では、グロウ。この子供は何時ものように閉じ込めておいてくれ」
一矢の髪を最後にひと撫でし、ジェイルは無表情を装おうグロウに命じた。グロウは淡々と頷く。
……何時ものように? ……だって?
うんざりというよりも、呆れた感情で一矢はジェイルを見た。一体どれだけの犯罪を、この男がしているのかと、ふと気になる。
一矢達が掴んでいたのは、ウンザーグループの母体一族、ネルソン家の異端児、ジェイルがブラックマーケットを持っていて、膨大な数の人間がそこでやり取りされているという事だけだった。
それだけでも十分な犯罪には違いないのだが、一矢の見る限り、どうもそれで済む相手ではなさそうだった。何となく、もっと大きな事を隠している気がするのだ。そんな顔付きと雰囲気を、ジェイルは持っている。画像では判別出来なかった、危険な感覚を一矢は本能的に抱く。
……単なる売人じゃないような気がする。売人にしては、度胸が良過ぎる。もっと酷い犯罪に、加担しているような感じを受けるんだが……。
チラリと知らない女性、セイラとジェイルが呼んでいた人物を一矢は流し見た。白のドレスを着用し、豪華な宝飾品を纏った女性は、どこからどう見ても上流階級の婦人だ。
恐らく緋色の共和国の、権力者。
そう思い、増々嫌な予感を抱く。白露をこの女性がどう使うのかも気になったが、この女性が一矢を前にしても、何の感情の起伏も起こさない事も気に触った。普通はなんらかの感情が動くものなのだ。それが喜怒哀楽、どれであれ。なのに、この女性は何の興味も示さない。
冷血女っていうより、僕がここに居ること事態に興味がないってことか。……攫われた子供を前にして、この無反応。ある意味、とんでもない性格をしているな。
敵その4として認識しながら、一矢はセイラの様子に注意を向けた。自分が手にした白露を眺める間、セイラは満面に笑顔を浮かべている。
……それ程白露が欲しかったのか。だが、何の為に?
「さて、行くか。ついて来い」
グロウに命じられ、一矢は渋々歩き出す。けれど、どうしてもセイラと白露が気になって、後ろ髪がひかれて仕方がなかった。
やばい気がする。……あの女に白露を持たせてはいかなかった気がする!
一矢はかなり本気で、今からでも白露を破壊しようかと考えた。恐らく潜入はここで終わるだろうから、ブラックマーケットの壊滅は完全には出来ないだろう。だがそれでも、これから起こるであろう何かを防げるはずだ。
……どうする!? どっちを取る!?
白露の破壊か、潜入捜査か。悩む一矢の耳元に、クリフとジェイルの楽しそうな声が響いて来た。
「ジェイル殿。あの子供の名前はどうします?」
「ああ、適当でよい。何なら記号でも。どうせ直ぐに自分がわからなくなる。直ぐに、人に支配される事に慣れる」
「くく。そうですな」
……っ! 何勝手な事言ってんだよ!
キッと一矢は眦を釣り上げた。
『覚えておいて一矢。忘れないでね。……人は自由な生き物なのよ。誰にも何にも束縛されない心を持った、生き物なの。そしてそれを侵害する事は、誰にも許されない事だわ。私も、一矢、……あなたもしてはいけない事なのよ。だから誓って。誰をも侵害しないと、この私に』
唐突に一矢は星間連合総代表、イクサー・ランダム女史の言葉を思い出す。一矢にとって、敬愛を抱く存在の人の言葉を。
イクサー! 僕は……!
一矢は唇を噛み締めると、思いを振り切るかの様にグロウの背を追った。起こるであろう未来よりも、今ここにある現状を、一矢は選択したのだ。今ある犯罪に背を向ける事は出来ない。
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音もなく開いた白磁の扉を抜け、一矢とグロウは来た道を戻る。塔に囲まれた中庭は、まだ多少混乱しているらしく、大きな興奮した声が聞こえた。グロウはちらりと視線を向けたが、直ぐに興味なさ気に、冷めた目を戻す。基本的に自分の仕事の範疇でなければ、どうでもいいようだ。
これでよかったんだろうか? 白露を放置していても、平気だろうか? あの女……何を企んでいるんだ?
思い悩み考え込んだ一矢に、何を思ったのか横を歩くグロウが話しかけた。長い毛足の絨毯の上を、独特の歩き方で進みながら、一矢にしか聞こえない程度の小声でグロウは囁く。
「暫く……我慢していろ」
「え?」
一矢はきょとんとグロウを仰ぎ見る。
「直ぐに……何もかも終わる」
終わる? 何? え!? どういう意味?
「あ、あの?」
慌てる一矢とは対照的に、グロウは冷めた目線を庭に落とした。暮れた中庭を睨み、どこか馬鹿にした口調で呟く。
「ふん。……たいした牢獄だ」
あ、あのう? あなた……何者? ジェイルに雇われた傭兵じゃないんですか? 先刻のセイラって人を見た時の殺気といい、……何を狙っているの?
一矢はじっとグロウを見つめる。だがグロウはその後、何も言わず黙々と足を運び続けた。一矢も仕方なく、気にはなるものの、後をつける様にグロウに付き従う。
グロウは廊下の途中で右に折れ、地下へと続く石造りの階段を降りた。ヒヤリとした冷気が立ち上がる。
地下……か。嫌だな。
地下は逃げるにしても、暴れるにしても色々と制約がある。一矢にしてもやり難いこと、この上もない。
地下の空間は決して薄暗くはないのだが、どちらかというと室内と同程度には明るいのだが、どこか陰鬱な気配が漂っていた。濃密な程の荒(すさ)んだ臭いが立ち篭めていた。やがて二人は頑丈な扉に突き当たる。
銀色のどうみても、チタン製の扉だった。その上、認証コード体系を持っているようだ。グロウは扉の中央部分にあるシステムに、自分の知るコードを入力する。ややして、扉は中央部分から二つに別れ、上下に格納された。扉の向こうには長い通路が伸びている。
「……!?」
息を飲む一矢を促し、グロウは歩き出す。一矢も規模に圧倒されながらも、そっと足を踏み入れた。
鈴の様に天井には発光装置が並んでいた。地下という空間を忘れさせるような、趣向を凝らしたインテリアが配置されている。警備装置もちらほら目についたが、何と言っても圧倒されたのは、飾られた絵画や美術品だった。
うわっ。あれ確か3ヶ月前にセントラルの美術館から盗まれた奴じゃないか! ああっ!? あの絵もそうだ!
ここにあった物の、ほとんど総てが盗品だったのだ。
盗品倉庫?
そう思ってしまうぐらい、膨大な数の美術品が揃っていた。どうやらジェイルは人だけではなく、物も扱っているらしい。王侯貴族のような優雅な室内は見かけとは裏腹に、一矢の目を通してみれば、犯罪の証拠の山としか見えなかった。