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見なれた無機質な艦橋、鋼の印象が色濃く残る場所の一段と高い部分、艦長であるしらねが座す場所に向かって一矢は歩いた。
しらねの背後の壁には大きな一つの印、桜のマークが存在を主張するかの様に壁に直接描かれている。その美しい意匠、ピンクの桜を背にしらねが一矢を見つけ微笑を浮かべた。
「お帰りなさい」
「……ただいま」
何だかおかしな会話だなと思いつつ、一矢が返す。
「御無事で何よりですが……」
言い淀み、しらねがジロジロと一矢の全身を見つめる。
「どうされました? 制服がボロボロですが?」
「ん? ああ、これか」
指摘され自分の着ていた服がボロボロの状態だった事を思い出す。上着は切り裂かれているし、ズボンはしわくちゃだし、煤だらけで全体が黒っぽい。
「色々あったんだよ」
苦笑まみれに一矢が髪をつまみ、掻きあげる。
「気にするな」
「……は」
何か言いたそうにしていたが、しらねは言葉を飲み込み押し黙る。言ったところで詮無き故だ。
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「状況は?」
「我々が優勢ですが予断は許されないかと」
しらねは視線を中央ディスプレイに移す。外部の映像、破壊された敵船のライブ映像を見ながらも、思うところあって低く呻く。
「なかなか落ちません。それに……」
チラリと一矢に視線を流し、
「おかしな現象が起こっています」
と続けた。
「ああ、……知ってる。敵船が押し潰されているんだろう?」
「御存知でしたか」
「オーディーンの手の上で確認したよ」
見たくもなかったがと心の中で悪態をつき、きつい視線をディスプレイに向ける。
「だからやばいと思って、急いで合流したんじゃないか」
そう言い放って、どう始末してくれようかと敵船を睨む一矢に、しらねが小さくこぼした。ボソリと囁かれた言葉は物凄く哀愁がこもっている。
「……やばくなくても合流して下さい」
暗にやばくなければ、太白に帰って来なかっただろう事を知っているだけに、ぼやきは嘆きに近い。
「何? 【02】(ボブ)が合流しろって五月蝿かったのか?」
「……御想像にお任せします」
吐息をこぼし、それでもしらねが姿勢を糺す。
「それで、今後の対応は?」
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「とりあえず近くにマリ機がいるはずだ。急いで退避命令を出せ」
軽く頷きしらねがロンジーに命令を繰り返す。
「了解っす」
ロンジーの軽快な声が聞こえた。
「他に友軍機の痕跡は?」
「ありません」
敵味方の識別マーカー情報を端末から読み取り、しらねが応じる。
「なら、次。電磁波ジャミング弾を撃ち込む。活きている物をシャットアウトするぞ」
「?」
やや不思議そうな顔をするしらねに、一矢が苦笑を向ける。
「逃亡阻止だよ。あの船はまだ逃げる気でいるからな」
「……は」
最後のあがきを潰すつもりなのだろうと見当をつけ、しらねが頷く。
電磁波ジャミング弾は、主に敵船の通信やレーダー機能を破壊する為に使われる。敵船の装甲に弾を打ち込み、そこから強力な電磁波を放出し通信やレーダー機器を破壊してしまうのだ。
もっとも万全の状態で破壊されるのが通信やレーダー機器なだけで、半壊した船が相手なら内部の電子機器も破壊の対象になる。
アンチジャミング装置が停止状態なら、その効果範囲は驚く程大きくなるだろう。それを見越しての指示だ。
手動でも動けないぐらい根本から破壊してやる。
一矢の冷めた目が敵船の映像を見つめる。
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「相手はデカ物だから……そうだな。10本ぐらい撃ち込んどけ」
「了解です。その後は?」
「暫く様子を見る。……というか多分ああなってこうなるから」
「はい?」
歯切れの悪い一矢の言葉にしらねが首を傾げる。いつになくおっくうそうだ。
「いや、いい。気にするな。単に僕の問題なだけで……」
物凄く嫌そうに一矢が応じる。
「まあともかくだ。作業開始」
しらねの座る艦長席の隣に立ち、一矢が発令する。途端に一矢帰還で和やかな空気を発していた艦橋は、一気に寒々とした空気を纏った空間と化した。緊迫したピリリとした緊張感が満ちる。
そんな中、何かを待つ様に一矢は虚空を睨み付けた。かなり本気モードが色濃い一矢の気配に、しらねの身も引き締まる。それが伝播したのか、ロンジーの口調からもおちゃらけた部分がいつしか消えていた。
普段一矢が押さえ、あまり表には出そうとしない桜花の気配、軍人としての気配が艦橋に濃厚に満ちる。紛う事のない英雄の気配に、しらねの背筋がゾクリとおののく。鳥肌が立ちそうな程隣に立つ一矢に圧倒されていた。まだ少年の姿をした人に……。
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こんな風に己を曝け出す一矢をしらねは久しぶりに見た。この十年側近くにあったけれども、ほんの僅かしか知らない。
しらねも最初から一矢の配下にいた訳ではないので、大戦中の一矢の事は噂程度でしか知らないが、今はその頃の一矢に戻ってしまったのではないかと思う。
濃密なのだ。纏う死の気配が。
「電磁波ジャミング弾発射準備完了。目標設定完了済」
火器担当の穂波の声でしらねは我に返った。
「全弾発射」
慌てて告げると、
「了解。全弾発射」
穂波の復唱と共に左右のポケット、電磁波ジャミング弾を格納している部分から、白い尾を引いて銀色の弾丸が飛び出した。十発の弾が一斉に敵船に突っ込む。
音は全く聞こえなかったが、電磁波ジャミング弾は敵船の厚い装甲を破り中に消えた。
「全弾、着弾確認。五秒後、ジャミング開始です」
セネアが報告し、艦橋の全員が息を飲んでそれを見守った。
着弾からきっちり五秒後、敵船の動きが突然可笑しくなる。今迄はかろうじて真直ぐ飛行していたのが、フラフラと蛇行を始めたのだ。酔っ払いの様に敵船は辺り構わず乱れ飛んだ。
「敵船の変調を確認。……っ、エンジン部分からの爆発も確認済!」
ヒュレイカが慌てて追加する。
「墜ちますな」
しらねの落ち着いた声に、一矢が短く同意する。
「そうだな。……でも」
「桜花?」
「潰れる方が先だ」
嘆息めいた一矢の声に重なる様に、敵船が一掃激しく歪みたわわんだ。ぐにゃりと制御枝が中に向かって折れ続ける。
ぐにゃ、ぐにゃ。
飴の様に、紙の様に潰れる。ふらふらと動き続ける敵船はいつの間にか骨格標本のような枝部分が無くなっており、円形になっていた。中央にあった部分のみがドロップのように浮いている。
「……終わりだ」
短く一矢は吐き捨て、目を閉じた。
しらね達が見つめる前で、敵船が恐るべき早さで縮んで行く。それは目に余る、ぞっとする光景だった。