第437回定期演奏会 <2010.4.15-16>

指揮:大植英次
ピアノ:アンドレアス・ヘフリガー

ベートーヴェン(BEETHOVEN) ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73 「皇帝」

コープランド(COPLAND) 交響曲第3番

Beethoven(1770-1827) Aaron Copland(1900-1990)

新しいシーズンをアメリカ音楽で始めるという趣向、大植英次らしくて良いことだと思います。
コープランドの交響曲をメインにおき、前半はベートーヴェンというプログラム。

ピアノ協奏曲第5番の“皇帝”をプログラムの最初に持ってくるというのは意表をついた感じで、この曲をメインに持ってくるというコンサートもあるくらいの重量級作品を最初に聴くには、ちょっとした心の準備が必要です。
モーツァルトのピアノ協奏曲に慣れて、小さな編成のオーケストラとピアノの奏でる美しい音楽が“ピアノ協奏曲”という概念を覆すのがベートーヴェンの“皇帝”。
いきなりオーケストラが和音の一撃を鳴らすと、独奏ピアノが華々しくスケールを駆け上がる−−そんな派手な音楽で始まる勇壮な協奏曲。
ベートーヴェン中期の最も充実していた時期の作品群の一つで、長大であり豪快な音楽です。
前作の第四番とは対照的な音楽で、やや外面的な効果を狙った作品といえます。
そんな“皇帝”を演奏するのはアンドレアス・ヘフリガー。
もちろん初めて聴くピアニストですが、まず最初に感じたのは、綺麗な音で丁寧な音楽作りをする人だなという印象。
豪快にテクニックを駆使して演奏するタイプでも、情緒たっぷり系でもなくて、真摯に音楽と取り組むというタイプのピアニストで、この曲をじっくり聴くにはもってこいかもしれません。
大植英次のベートーヴェンもどっちかといえば大人しく真面目な演奏なので、ソリストと指揮者の相性は良いと感じました。
でもそのまじめさがベートーヴェンの音楽を小さくすることも事実で、シンフォニーを演奏する大植英次の演奏がやや単調な印象を受けることが多かったが、ここでの演奏もその延長線上にあるといえます。
ピアノのカデンツァが終わった後オーケストラが主題を堂々と演奏するのですが、低音でしっかりリズムを刻みながら堂々とした音楽が前へ前へと進んでいくはずなのに、丁寧さが目立って推進力がやや落ちるように感じます。
朝比奈のベートーヴェンは、クライバーのような推進力は無いけど堂々たる歩みがありました。
ベートーヴェンを我々は非常にたくさんの演奏家によるいろんなアプローチを経験してるので、普通の演奏ではなかなか感心しなくなってます。
今では古楽器(奏法)による“新鮮な”響きで聴く機会も多くなってきました。
ジンマンがチューリッヒで録音した全集は、 “えっ!これがベートーヴェン?”と思うほど新鮮な響きでしたし、つい最近ではヤルヴィ/ドイツ・カンマーフィルのコンビの演奏も素敵です。
大植英次の演奏スタイルは従来型のオーソドックスなもので、耳新しいものではないし、かといって朝比奈を凌駕するようなものでもない。
チクルスをやったときも、あまり特徴のない演奏だったと記憶してるし、単発での演奏でもその傾向は変わらない。
“これが大植英次のベートーヴェンだ!”というものを早く聴かせてほしいもの。

コープランドの交響曲は全く初めて耳にする音楽で、アメリカ音楽特有の“軽さ”をイメージしていたのですが、聴いてみるとそういう感じはほとんどありません。
構成的にも従来のシンフォニーを踏襲したもので、大編成のオーケストラを駆使した響きは聴き応えのあるものでした。
中には、昔よく見た西部劇を想い起こさせるような部分もあり、ある種懐かしさを覚えます。
アメリカで生活してきた大植英次はミネソタ時代に録音もしているようで、彼のレパートリーの一つとして定着しているのでしょう。
よく訓練された大フィルの音は大変聴き応えのあるもので、ベートーヴェンを演奏しているときとは全く違って生き生きとしてます。

オーケストラの響きを堪能するなら大植英次、
音楽を楽しむなら・・・・・・・?