第431回定期演奏会 <2009.9.17-18>
指揮:ヤクブ・フルシュ
トランペット:マティアス・ヘフス
スーク作曲 |
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組曲「おとぎ話」作品16 |
サン・サーンス作曲 |
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トランペット協奏曲 変イ長調 |
ドヴォルザーク作曲 |
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交響曲第7番ニ短調作品70 |
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DVORSAK |
JOSEF SUK |
大阪クラシックが終わってちょうど2週間、室内楽をたくさん聴いてそろそろ大オーケストラの音が恋しくなってきたころです。
今回はチェコの新進気鋭の指揮者、ヤコブ・フルシャの演奏で、チェコの音楽がメイン。
まだ20代の若者ということで、期待と不安が交錯します。
ドヴォルザークの交響曲第7番をメインに持ってくるのは好感度大です。
8番や9番「新世界から」という定番ではなくて、もっと若々しさあふれる、それでいて懐かしさや郷愁の漂う佳曲の7番が聴けるのは嬉しいこと。
1曲目は、スーク作曲組曲「おとぎ話」。
ヨゼフ・スークというと、この作曲家よりも、この人の孫で同じ名前のヴァイオリニストである<Josef Suk>を思い浮かべるのは、われわれ世代の音楽ファンの多くに共通してる事実でしょう。
チェコの演奏家の代表は、チェコ・フィルでありスメタナ弦楽四重奏団でありヴァイオリニストのヨゼフ・スークでした。
今回はこのヴァイオリニストのお祖父さんである作曲家、スークの作品です。
これはレコードもCDも持ってないので、たぶん一度も聴いたことのない作品だと思います。
話の内容もまったく知らないので、予備知識ゼロで聴いてみることに。
聴きながら、ああ良い曲だなと思いました。佳曲と言えばいいのでしょうか?
チェコの音楽は独特のリズムを持ったものが多く、特にドヴォルザークのスラブ舞曲集に代表される民族舞曲がその源のように思います。
そのドヴォルザークの弟子でもあり娘婿でもあるスークの作品に民族舞曲のリズムが色濃く出てくるのも当然のこと。
単にリズミカルな音楽だけではなく、非常に哀愁のあるやさしい音楽もあって、ヴァイオリン独奏で奏でられる旋律は非常に美しい。
幸太クンのソロ、はじめはちょっとビブラートのかけすぎで、せっかくの美しさがやや後退気味だったけど、後半では持ち直していた。
フルシャの指揮は、リズムのはっきりしたもので、この曲に合ってました。
スーク20代のこの作品、大変好感の持てる音楽でいっぺんに気に入りました。
二曲目は、アルメニアの作曲家アルチュニアンのトランペット協奏曲。
1950年の作品というと、戦後間もないころのもので、音楽史的に考えればまさに20世紀音楽で、まさに「現代音楽」。
でも実際聴いてみるとそういう難解な音はほとんど無くて、どちらかと言えば、「民族音楽」の範疇に入るかもしれない。
考えてみれば、ハチャトゥーリアンの“ガイーヌ”(「剣の舞」で有名)が作曲されたのが1942年だから、聴きやすい民族音楽がこの時期にあっても不思議は無いのかもしれない。
それはともかく、20世紀の音楽としては大変聴きやすい音楽だと思います。
柔らかなトランペットの響きは心地のいいもので、金管楽器という硬いイメージは全く無くて、ヘフスという奏者の腕前のすごさに聞き入ってしまう。楽器の違いもあるのかもしれませんが、通常オーケストラで聞く音よりはるかに柔らかい。
アンコールに「ホラ・スタッカート」を軽々と吹いてましたが、こういうショー・ピースを聞くのも楽しいけれど、協奏曲のイメージがどこかに行ってしまうようで、痛し痒しという気分。
後半はメインのドヴォルザーク作曲交響曲第7番。
8番・9番ほどには知られてないかもしれませんが、それらよりも<土俗的>な音楽で一度聴いたらその魅力に取り付かれると思います。
20代の若者の指揮なので、歯切れよく思い切った演奏を期待してました。
静かな序奏で始まり、歯切れのいい第1主題はその通りの演奏ですが、第2主題もあまり表情に変化が無くてただ流れに乗っていくだけの演奏といえば語弊がありますが、もっとはっきり対比させた方がよかったのでは?
全体に大人しいというか表情の変化がやや乏しいので、音楽がやや窮屈な印象を受けました。
オーケストラのコントロールには気配りしていたようで、音楽的にはきちっとまとまっていました。
見るからに理知的な雰囲気のする指揮者なので、彼の音楽性がそういう方向なのかもしれません。
わたくし的にはそこがやや不満で、若い人はその若さを前面に出した演奏をしてほしいのです。
多少の不満はありましたが、ボヘミアの音楽をたっぷり聴けたこと、とりわけスークの音楽を初めて本格的に聴けたことは大きな収穫でした。