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    日吉神社参道
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    桃原城址
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    阿弥陀ヶ峰遠景

忘れられた山城桃原城

「近江を制する者は天下を制する。」と言われるように「京の都」を目指す「天下取り」たちにとって、 「近江」は攻め落とさねばならぬ最後の砦であり「京都」から見れば守りぬかねばならぬ最大の砦であった。

滋賀県教育委員会の調査によると滋賀県下には1,300ヶ所の城跡の存在が確認されるという。桃原城は不便な場所にあり、注目されることもなかったが、脇街道を抑える位置にあり、規模の大きさを考えると見直すべき城と思える。

桃原城について

  • 桃原城は集落の南方、「阿弥陀ヶ峰」にあるが、多賀方面から見ると杉坂山の頂上辺り、極めて見晴らしのよい場所にある。古来、脇街道として利用されてきた「五僧越え」を抑える軍事拠点であった。戦国前期、京極氏の城と言われている。しかし戦いはあったのだろうか?城跡には、触れるとたたりのある塚が存在するという。
  • 佐々木氏は鎌倉時代より近江の国の守護として勢力を揮っていたが、六角氏と京極氏に分裂し兄弟、家臣を巻き込んで勢力争いをしていた。京極氏の内部抗争も熾烈で美濃をも巻き込んで戦っており、近江、美濃、伊勢と三国の境目の見張りとして桃原城はかなり重要な砦ではないかと思う。           
  • 「五僧越え」とは関が原より南方にある山越えの街道で美濃方面から時山、五僧、保月、杉などの山村を通って近江多賀に至る。関が原合戦後、島津隊が通ったので「島津越え」とも呼ばれる。健脚の商人や坊人たちの往来もあったことだろう。           
  • 今、桃原城は広大な土塁のみを残して杉木立の中にある。誰もいない山の中、水溜りにまっ黒なおたまじゃくしが、いっぱい・・・どんなかえるになるんだろう???多賀方面から見ると杉坂山の頂上、関西電力送電線紅白の鉄塔が桃原城の位置である。

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