つれづれ日記
不定期にこのホームページに即した「日記」をつけてみることにする。
いつ「や〜めた」と思って削除するかもしれないが・・・
上の方の日記が最新です。

♪♪ショパンの音楽が流れます♪♪
音楽を止めるときは左のボタンを操作してください。
なお、このMIDI曲の著作権は「JESTY」さんにあり、すばらしいできばえです。

2010年10月28日(木)
橋下君よ、も少し大人になれよな・・・
大阪府知事の橋下知事が広島県知事の育児休暇取得に噛み付いた。
いわく、「民間では取りにくい育児休暇取得に知事が取得したのは世間知らずだ」と。広島県知事は「取りにくい育児休暇取得を上が率先して取らないと制度普及が進まない」と応じた。
この議論、どちらの言い分も一理あるが、それよりも大の大阪府知事がよその県知事にけんかを売るようにして言うほどのことかと思う。それも広島県知事はほんの数時間かを育児「休暇」取得したに過ぎない。
もっと、国や官僚を相手に大きなことで論争を挑むことが沢山あるだろう。そのためには知事同士も連携を組まなくてはならないだろうに、何か別件で広島県知事に恨みでもあるのかとさへ思えるような人間の小ささを感じてしまう。大阪市長との論争もそうだ。
橋下知事はダム建設問題などではさすがと思えるような一面を見せたかと思えば、子供のけんか、論争ではないかと思えるような態度が出ることもしばしば。
もう少し大人の議論、大人の風格も望みたい。これでは彼のよいところも台無しになってしまう。
2010年10月13日(水)
52年後の謝辞

先日中学校の同窓会があった。このとき中学卒業後就職したA君と話している最中にある記憶が蘇った。
それは高校入試を1週間後ぐらいに控えたとき、10人近くいた同じクラスの就職組の級友から「放課後の軽掃除は自分たちが引き受けるから、入試を迎えるものは早く帰って入試に備えろ」という申し出があったのだ。放課後の軽掃除は当番制で、もともと全員がやるものではなかったので、この事実を知らなかった級友もいたと思う。言葉通り彼らが軽掃除を実行してくれ、入学試験、卒業式とことは進んで行き、みんな進路がばらばらに散っていった。そして長らくこの事実は多くの級友から記憶が薄れていった(と想像する)。
当時は中学を卒業して就職する人も多かった時代とはいえ、入試を受けるもののために掃除を買って出るという行為は、よほど気持ちの豊かさがなければ出来ないことだと思う。今の殺伐とした時代からすればちょっとした「美談」ではなかろうか?
これに表立ってお礼の気持ちをこの52年間述べる機会がなかった。このことをA君に伝え、始めて御礼の気持ちを述べさせていただいた。少し胸のつかえが降りた気がした。
自分にとって中学3年生はすばらしいクラスで、いろいろないい思い出がいっぱいあった学年であったが、この過去の想い出もこころの財産のひとつである。

2010年6月22日(火)
夏原会長逝く

元居た会社の会長が亡くなった。91歳にての往生。
この方はダイエーの中内氏らと同時期に滋賀という地方で量販店を起こし、根を張った。一地方の覇者とはいえ、ナショナルチェーントップも一目を置く存在感は
なかなかの方であった。
私が就職する時も会長(当時社長)の単独面接で入社が決まったが、私を惹きつける充分な大きさを感じさせたことをよく覚えている。
入社して2,3年目だったか、新設ゴルフ場(当時建設中)にコンピュータ導入検討を直接指示された。若かった私は、いろいろ綿密に調べ、習いたての企画作りのセオリーに沿って纏め上げた。 そこでの一応の私の結論は費用対効果が甘く見ても厳しいというものだった。その企画を会長に上げたところ、会長は赤ペンで「導入せよ」とだけ書いて企画書を返してきた。
その時、「小さいことでガタガタ言うな、時代の先端を行く設備を備えて客の期待や支持をあげることを考えろ。おまえはまだ視野が狭い」といわれたも同然だと感じた。懐かしい思い出だ。
会長は攻めの時代に非常に強い人であった。反面、量販店の成長鈍化が始まった時代以降はいくつも失敗を重ねている。これも多くのトップと共通しているのではないか?
ともあれ一時代を築いてきた存在感の大きい方であったことは間違いない。ご冥福をお祈りしたい。

2009年12月23日(水)
阿久根市長さん?
鹿児島県阿久根市の市長発言が話題になっている。
私も少し前に原文を読んだ(今日現在問題箇所の一部は「修正中」となっており、元の原文はない)。いわく、「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害を持ったのを生き残らせている」と。本当に彼が言いたいことは何なのか、文章の一部を切り取ってとやかく言うのはおかしいと思ったから問題のブログ全文を読んだ。しかし、一歩譲っても彼の言いたいことは分からなかったし、これでは差別発言と取られても仕方がないひどい文章であった。
一市長とはいえ、彼も政治家だ。政治家は「ことば」が命だ。真意が伝わらなかったとしたら、自分の能力のなさの証明だ。ことばが不足していると思ったら追加で説明するしかないのに、彼はそうはしないですべて他人のせいにしてしている。

それはそれとして、重度の身体障害者を家族に持つ人や身体障害者自身は、医療の発達で延命できるようになったことにいろいろ複雑な感情を抱いておられることも事実のようだ。延命は出来ても介助、自立、生活不安など、きれいごとではすまない負の部分を毎日背負って生きていかねばならない現実があるからだ。当事者でなければ分からない苦労を前に、それを支えることが出来るのは結局のところ、政治と社会の障害者を見る目、支える心しかない。
障害者で著名な乙武洋匡さんは立派だが、このような人ばかりではない。今も多くの障害者の方や家族が辛い思いをされているのを理解しておかなくてはなるまい。

阿久根市長はその後こうも言っている。
「木の枝の先が腐れば切り落とし、全体として活力のある状態にする」。
「社会をつくるには命の部分に踏み込まないと駄目だ。刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」
ことばが命の政治家で、一歩譲っても何が言いたいのかよく分からない。むしろ障害のある人の延命措置はいらないとでも言いたげに取れるのだが・・・。
2009年8月1日(土)
戦争証言、初めて聞く話がまだまだ沢山ある

今年も8月がやってきた。 この時期いつもテレビでは戦争に関するドキュメンタリー番組が多い。そしてそういう番組は目に映れば出来るだけ見ることにしている。
つい先日は、沖縄戦の話。 生き残りの方の貴重な証言と再現映像であった。
そのなかの「沖縄勤皇隊」のはなし。 終戦末期、14歳〜17歳の多感な子供年齢の人が兵役に着いたがその隊が「勤皇隊」。 大人でも過酷なのに、ましてや子供といえる世代の人が見た、経験した超過酷な戦争の現実の証言であった。

  1. 壕の中にいた民間人を追い出して自分たちの隠れ場所にする軍隊。
  2. 追い詰められて自決を促す上官。
  3. 負傷した友人を連れて逃げていたが、その友人が自分は足手まといだからで置いていけといわれ、つらい判断の後一人で行きだしたら、ほんの暫くして手榴弾の爆発音が聞こえたという。 そのときのつらい証言。この方は今も毎週現場へお参りされているという。
  4. 戦争が終わったにもかかわらず、それを知らずに多くの壕を転々と逃げ回っていた人たちに対して、二人の方が「戦争はもう終わったから壕から出てくるように」と説得に行った。 ところが壕の中の人たちから、「これは敵の謀略だ。 この二人を生きて帰すわけにはいかない」と二人を殺してしまった。このなかに勤皇隊の少年兵がこれを見ていた。 その方が「大変申し訳ないことをした。自分は今こうして生き残っている」、ことばを振り絞るようにつらい表情で証言されていた。

少なくとも3、4のような話は私にとっては初めて聞く話だ。 証言者は皆つらそうに語られる。 心の後遺症を背負っておられるように見える。 しかし多分年齢を考えて今語り継がなければ、という思いで話をされているのだろう。
戦争で玉に当たって死ぬだけならまだましだ。 恐ろしいのは、戦争が人間の極限の業のようなものを背負わせてしまう極めてつらい状況を作ることだと思う。 この方たちの証言をけして無にしてはならない、もっともっと語り続けてほしい。

2009年1月22日(木)
「ブルーオーシャン戦略」

元部下であった人が早期退職した。お会いしていろいろ話を聞いた。
彼とは、私が上司時代にともに新たな仕事上の哲学や戦略、それの基づく商品造りを一緒になしえた、私にとっては非常にいいパートナーであった。
私の出したコンセプトを元に彼が作り出した旅行商品は顧客の支持を得、長く続いた。彼も私もこの商品を通じて旅行ビジネスの取組意識を大きく変えたかった。それはある程度成功した。彼は私の示した事業哲学を基本的に理解できていたから出来た所業だ。

昨今経済環境や会社環境も変わり、私が担当した部門だけでなく、会社全体のムードも大きく変わりつつあるようだ。
変化に対応するのはいい。問題はその方向とプロセスだ。
友人の紹介もあって最近「ブルーオーシャン戦略」という本を読んだ。ブルーオーシャンとは競争のないマーケットを指している。つまり同質間競争をすれば果てしない消耗戦を強いられ、果てにはつぶれてしまいかねない世界。そうではなくて、業界の垣根や枠組みを越え、新たな強み要因を加え、捨てるものは捨て、当分他社が追随できない戦略を立ててブルーオーシャンへの航海に出て行く。そのための考え方や手法を説いたのがこの本だ。
こういう考え方を実際に行うためには、経営に当たる上級幹部のパラダイムの変換が必要だが、これが言うは易く・・・である。

小売業もマーチャンダイジングや経費削減だけに頼っている限り生き残りは出来ない。必要なリスクは受け入れながらも、新たな競争力要素を身につけ、人を育てて闘っていく。元部下だった人と私は旅行という限られたビジネス領域ではあったが、少しはそれを意識してやってきたつもりで、成果も出してきた。今後は会社全体がそれを意識して進めてほしいものだ。

2008年5月4日(日)
自分のなかの「昭和」の記憶
4月29日は「昭和の日」ということで、テレビでは昭和という時代をテーマに面白い番組がいくつかあった。現在の人口の大多数がまだ昭和生まれの人であり、昭和という時代を過去のものとして語るにはまだ早い一面もある。しかし、昭和という時代が64年間も続き、しかも第二次世界大戦を間に挟んで世界は様変わりであった。このことが、少なくとも現在50歳くらいの人を境に生きてきた環境は大きく異なっている。
私のように終戦直前に生まれた人間にとって見れば、昭和という時代は追憶の対象になるのである。

私にとって青春時代を迎えるまでの昭和の想い出、記憶。
  • 小学校へ入学するまでは、大人たちが米屋さんの前でよく行列に並んでいた。お米や乾パン、ビスケットの配給だった。
  • バスが後部に何やら積んで黒い煙を出して走っていた記憶。
  • 傷痍軍人として足や手のない人がアコーデオンを弾きながら、お金を集めていたのを見た記憶。
  • 私の小学校入学時に親が上履きとして藁草履を持たせてくれたことや、雨傘として紙製の番傘を持たせてくれた記憶。
  • 小学校給食時に、粉ミルクを鼻をつまみながら飲んだこと。
要するに子供たちは貧しい生活だったが、自分だけではないので、貧しくとも屈託のない平和な子供時代を送れた。

中学生時代以降の思春期時代の想い出、記憶。
  • 中学時代に、戦後民主主義を謳歌する教師たちの教育を受けたことで、自分の思想的世界観的背景が固まっていったという記憶。
  • 高校生時代に「安保闘争」時代を経験し、政治というものに多感な若者特有の興奮感を禁じえなかった記憶。
  • 大学生時代には何度もデモに参加し、政治の季節に反応しながらも、いろいろな潮流の運動をする人たちを目の当たりにした記憶。
  • その後大学紛争などを経て、政治や政治活動家への期待は幻滅するとともに、内向的になっていった記憶。
その後、大学院で猛烈に勉強し、満足のいく修士論文で学会の先生たちから一定の評価をもらったものの、アカデミズムの世界には進まず、サラリーマンの世界に転進した。これによって自分の青春時代は今思えば終わったといえる。そしてここまでが追憶に値する私の昭和と言う時代の記憶だ。

こうした記憶を昭和という時代に結び付けて強烈に意識したのはやはり、同じ年に相次いでなくなった自分の父と妻の父の相次いだ死亡。そして次の年明けに死んだ昭和天皇の死のときだった。特に自分の父の死のときは、同時に昭和天皇も危篤状態であったこともあり、自分が育ってきた青春時代までの昭和が自分の肥やしになったことに感謝の念を禁じえなかった。同時に親に対しても親の苦労に手を合わせる気持ちが素直に沸いたものだった。

私にとっての昭和はこういうものだった。
2008年4月14日(月)
引き際の姿勢

元いた会社で、私の前任者が開拓し、私が2店舗に広げたスポーツ事業が第三者に譲渡されることになったという報告を現場スタッフから聞いた。
そこにいるスタッフは、会社本体に移籍して残るか、あるいはその企業に移籍するかの選択を迫られるという。その結論自体には異論はあるがここでは問題にしないで置こう。
問題だと思ったのは私の二代後の後任者がその経緯を現場スタッフに説明した中身だ。

説明1: 会社は小売業。運営形態の違う事業をやっていくのは無理。
 いまさら何を言っているのか。それを許可したのは会社側で、それについてきたスタッフを前にして言うことではない。それに運営形態の違う事業をうまくやっている会社はいくらでもある。本当にそう思っているのだったら会社はスタッフに謝らなくてはならない。
説明2: 業績がよくならない。
 それについて担当部長は現場に赴き、現場の意見も聞き、何が本当の問題なのかを理解しようとしたのか。現場のスタッフは担当部長が現場へ来たのを見たこともないし話したこともないという。
説明をする本社の部長が見苦しく情けないと思ったというスタッフは説明の底のなさを見抜いてはいた。
引き際の説明姿勢のまずさはマネジメントの貧困そのものだ。ただスタッフ側にも問題があったことも事実だ。ここでは本題ではないので触れないが。

2008年3月24日(月)
ちりとてちん

NHK朝の連ドラ「ちりとてちん」がまもなく最終回を迎えるが、今回は何かほっとして,、またほのぼのとした気持で見てきた。
NHKの朝の連ドラは半年ずつ東京と大阪が制作を分けて担当している。私の主観的な印象では大阪制作のドラマはいつも泥臭くて内容ももうひとつというものが多かった。しかし今回はなかなかのものだったと思う。
その最大の理由はドラマのテーマが「家族愛」、「師弟愛」、「隣人愛」、「絆」だったことだと思う。
家族崩壊が進んで一人所帯の増加、以前とは違った殺伐とした殺人事件の増加、格差社会の更なる進行、などなど人と人との絆を壊す要素はいくらでもある。こうした時代にあらためて「愛」、「絆」というピュアーなテーマをドラマに取り上げたことがよかったと思う。
「絆」はビジネスの世界でもテーマになっている。企業と顧客、企業と従業員の絆を強める企業が優秀な企業の条件の一つだ。
「落語も塗り箸もいっしょだ。塗り重ねたものしか出てこない」。人の世界も企業もいっしょか?

2008年1月21日(月)
「ひこにゃん」その後U

またまた「ひこにゃん」の話題。
市の関係者から1月7日ごろ140枚の年賀状注文を受けた。聞けば「ひこにゃん」宛に来た年賀状に返事を書くためという。ところが先週末にまた市の関係者から今度は通常葉書を1500枚注文を受けた。市の関係者いわく、マスコミが「ひこにゃん」宛の140通の年賀状のことを報道したところさらに追加の年賀状が1月15日までに合計で約1500通来たのだという。

大半のこれらの年賀状は、最初のマスコミ報道を見て、「ひこにゃん」宛に年賀状を出せば、ひこにゃんからの返礼の葉書がもらえそう」との思いで差し出されたようだ。
いずれにしても、「ひこにゃん」への想いは、まだまだこここまで続いている。
「ひこにゃん」は超ビッグなキャラクターになったのを実感している。

2008年1月12日(土)
「ひこにゃん」その後

昨年11月27日に「ひこにゃんはどうなる」を書いた後、彦根市と作者側との話し合いがつき、結局やや玉虫色ながらひこにゃんが今までよりは厳重な管理下で存続できることが決まった。
ひこにゃんは今まで発表されている3パターンのみの存続で、それ以外は認められないということになった。それはそれで結構なことだと思う。

「ひこにゃん」の彦根市における経済効果は170億円で、彦根市の”GDP”を3%以上押し上げたという滋賀大の分析結果が公表された。一地方のキャラクターとしては異例の大きさの経済効果らしい。今週もひこにゃんは東京「出張」で人気を博しているという。

彦根市は今年は日米修交150周年に伴い、「井伊直弼と開国150年祭」の企画を立て、引き続き「ひこにゃん」を前面に押し出していく。黒船のペリー提督の子孫も来日、彦根へ来るらしい。
もう少し「ひこにゃん」人気にあやかるとするか・・・。

2007年11月27日(火)
ひこにゃんはどうなる?
原作者もへろんさんと彦根市の対立で、あれほど人気を博しているひこにゃんがピンチ?。
ひこにゃん「騒動」が連日に近いくらいほとんどのテレビで取り上げられている。私の会社でもひこにゃんグッズを数多く販売しているので、半ば当事者だ。

もへろんさん側の言い分。ひこにゃんのイメージを彦根市はしっかり管理せず、作者の意図とは離れすぎていい加減なひこにゃんが一人歩きしている。作者の権利を侵害されている・・・(ということか?)

彦根市の言い分。もともと使用権を買って著作権申請中である。作者側にとやかく言われる筋合いではない(市長の言い方)。ひこにゃんがこれだけ人気が出てきたことは我々の努力の結果でもある。

双方が争うこと自体に私には違和感がある。
ひこにゃん関連グッズは多数あり、出来不出来もある。しかし全体としては大変な人気だ。
これを見ると作者の作ったイメージを元に、商魂たくましく多くの人がビジネス機会を求めた。そして多くの消費者がそれらを肯定的に受け止め、商品を多く購入して結果的に支持をした。

元々自治体などがイメージキャラクターを作成、使用する場合、それが商業にも利用されて浸透していくことを期待している。作者とは別に、消費者=ファンによって育てられるものでもあるのだ。

原作者がこうしたことを軽く見て芸術的な?権利を過度に主張したり、あるいは依頼者側が原作者を軽く見たりするような争いは違和感を覚える。
ひこにゃんは当地にいて、元のイメージからそんなに逸脱したイメージになってしまっているとは思えない。

私のところにはひこにゃん存続を求めるお客さんからの電話もあり、もへろんさん、彦根市とも頭を冷やしてひこにゃんの存続、生長を図れと言いたい。
2007年11月8日(木)
我が家の老松逝く
今夏の高温もあいまって今年は松枯れ病の大流行だったという。
我が家の南東にあった大きな松もこれにやられ、昨日とうとう植木職人に切っていただいた。毎年お願いしていた葉刈り職人さんも「名松でした」というほどのものだった。
この木は亡き父が小学校の遠足の折に行先の山から持ち帰り、植えたものだったと父から聞かされていた。樹齢80年ぐらいになろうか。
いくつも思い出がある。子供のときに登って遊んだ記憶はもちろん、私の部屋の日陰をいつも作ってくれた優しい松だった。父親のような存在の松だった。
一番覚えていることは、祖母が年老いて徘徊を始めたころ、父が困ってこの松ノ木に祖母をくくりつけたことがある。近所の人が気の毒がって解いてくれたが、父もよほど困ったいたのだろう。
この時私は小学校2年生ぐらいだったと思う。寂しい記憶だった。
今生きていたら94歳になる父と、昨日までの私の人生を見取ってきてくれた松の最後。
少しほろっと来たが、切り株痕はまだ見ていない。。
2007年10月31日(水)
同窓会と同窓生名簿

中学校の学年同窓会が終わった。今回はその代表幹事を務めた。
参加者は案内を出した
人のほぼ三分の一に達し、大盛況であった。参加者の多くが我々幹事に「よく準備してくれたね、ありがとう」と声をかけてくれ、これが我々のモチベーションの源である。

しかし、同窓生名簿を全員に配布してほしいという声が一部にあった。当初は配布しないということであったが、幹事の一人が気を利かせたつもりで10部ほど用意した名簿を見て、「なぜ全員に配布してくれないんだ」という声が一部から上がった。
この気持は充分理解できる。しかしもともと幹事側からすれば、費用や手間の問題に加え、個人情報保護という問題も無視というわけにはいかないという気持ちも少しあった。ところが同窓生の一部では、同窓生のなかで個人情報保護ということはおかしいのではないか?」という気持だ。

私は同窓会で個人情報保護という問題は馴染まないと思っているが、かといってまったく無関係と思っているわけではない。現に同窓会名簿が売買されているという話を聞いたことがある。
同窓会開催中は気分が高揚している。同窓生間の心の距離は近くなり、普段以上に人を信じる気持が高くなる。しかし同窓生といえども社会の縮図だ。問題が起きないとはいえないことも理解し於く必要がある。

2007年10月14日(日)
亀田ボクシングより

ボクシングで亀田・内藤戦が話題になった。論点はいくつもある。
・日本人のなかの品格基準。亀田の品格非難は多いが、誰かがこの人間を持ち上げてきたからこそ今の彼があるのだ。
・亀田親子像。あの悪がきが父親だけは絶対と信ずる。その父親とはどんな人間なのか?。彼もいじめられっこだったといい、また離婚中とも聞く。漫画ドラマの星一徹とも比較されるが、少し違う。厳しい練習を課してきた父親だが、人としての生き方には大甘の父親が残った。
・大相撲、高校野球なども含めて、文化、倫理、スポーツマンシップ、フェアプレイ精神など精神面文化の荒廃。スポーツ界指導者がリーダーシップを取れない現実。これは日本人の中の品格基準問題の別の側面でもある。
・マスコミのありよう。亀田親子を持ち上げてきたテレビ局が内藤が勝つとガラッと態度を変える。それを揶揄する他局。しかしその局も似たようなことがある。マスコミがスポーツを捕らえる視点が「強ければヒーロー」という点以外のスポーツを見る視点を持ち合わせていないことが問題だ。

企業も政治もスポーツも同じだ。日本人はもっともっと「質」を問題にする姿勢を高めねば三流どころか五流の国になってしまう。

2007年9月16日(日)
劇場型政治は”激情”型政治につながる

しばらく日記を書かないうちに、一国の総理大臣が政権を投げ出すという事態が発生してしまった。しかも安倍総理はなにやら得体の知れない新興宗教には待っていたという話まである。
政治家の無能振りを言うのもいいが、それ以上に小泉政権以来見てくれやパフォーマンス、で政治家を選んできた問題の方が大きい。
彼は格好もよく、「郵政民営化是か非か!」に象徴される絶糾型行動は「じゅんちゃ〜ん」という掛け声を呼び、その裏で至上原理主義、弱肉強食競争社会を呼び、格差社会が進展した。
政治家の行動に国民が酔いしれるのはヒットラーや戦前の天皇をめぐる国民の動きに似ている。
「美しい国」論を唱えた安倍首相もこの亜流にある。

劇場型政治は激情を呼び、それは悪しきナショナリズムにつながりかねない。
日本人はここまで落ちたかと思ったが、先の参議院選挙結果。これは単なる振り子の揺れか? 

2007年6月17日(日)
依然さえなき流通株
知人との間で株価が話題になった。
話題の中心は流通株がさえないということだった。
3,4月決算が終わり、流通業の多くは少し前と違って売上高、経常利益とも昨年比100%以上の企業が多数を占めるようになっているというのに、である。
株価を大まかに調べてみた。(YAHOOサイトから私が個人で作ったプログラムで情報入手して)
日経平均対象企業の今年6月13日の株価と昨年の6月14日の株価を比較し、同様な方法で飲食以外の上場流通業の株価の伸び率分布を見てみた。
日経平均の対象企業では今年6月13日の株価が昨年6月13日と比べて
株価200%以上の企業  8社 (対象企業の3.6%)
150〜200%       29社 (13.0%)
120〜150%       64社 (28.7%)
110〜120%       44社 (19.7%)
90〜110%        63社 (28.3%)
80〜90%          7社 (3.1%)
50〜80%          7社 (3.1%)
50%以下           1社 (0.4%)

上場流通業で見ると、
200%以上          1社 (0.4%) メガネトップ
150〜200%        0社
120〜150%        8社 (6.4%)
110〜120%       12社 (9.6%)
90〜110%        55社 (44%)
80〜90%         17社 (13.6%)
50〜80%         28社 (22.4%)
50%以下           4社 (3.2%)

日経平均対象企業では株価が120%以上の割合は45%あるのに対し、流通業ではわずか7%だ。流通業の評価は依然低い。

この原因はいろいろあろうが、やはり一番大きいことは消費税率引き上げ問題がくすぶっていることなのかなという気もするのだが・・・・。どうだろうか?
2007年6月11日(月)
コムスン、折口氏叩きだけでは本当の問題は見えないぞ!

グッドウイルの折口氏が非難の矢面に立っている。
マスコミの主たる論調は、「コムスンが儲け主義に走って違法な手続きを行い、その対応で折口氏が責任を取らず、知らぬ存ぜぬで通そうとしている」というものだ。田原宗一郎にいたってはサンデープロジェクトで折口氏に話をさせようともしないで「インチキだ」とレッテル貼りに終始するだけだった。これでは罵倒するだけであり、本当の問題は何も分からない。

私は本当の問題は折口氏が本当に介護ビジネスに真正面から取り組む強い志があったのかどうかを疑わしく思っている。もし彼が本当に介護ビジネスを自分の哲学のなかにで重要な位置を占める事業であったのなら、彼自身がもっとこの事業運営に係わり、いろいろな問題を把握していたはずだ。これはコムスンの運営にあまり深く関与してはいなかったのではないか?
介護という事業はトップにそれだけの思い入れと深い関与がなければ成功しない事業なのだ。
介護制度の世界はまだまだ矛盾に満ちており、理念と現実との乖離は大きく、しかも昨年の改正(改悪)でこの乖離は広がりつつある。ヘルパーの確保はますます難しくなり、介護のレベルも上げられない。これが介護ビジネス企業に無理を生む背景にもなっている。

コムスンも問題には違いないが、格差の広がりと介護制度を支える前提が崩れつつある国の施策の方にもっと眼が行かないといけない。コムスンや折口氏を叩いて済む問題ではないことをマスコミはもっと取り上げるべきであった。

2007年6月3日(日)
カード会員特別招待会の変質

元いた会社のあちこちの店舗で、「カード会員特別招待会」が相次いで実施されていた。自分も係わってできたカードだけに、カード誕生以来の歴史をを持つこの販売イベントは販売面でも大きな比重があり、関心をもって見ている。
この企画が始めて実施された2年くらいは、カード発足前の「○○感謝デー」という、いわば固定客招待会的性格をを残し、企画内容は店への入店客はカード会員に限定し、未加入客はカードに入会をしていただいていた。
そして企画の内容も、商品を特別価格で提供するだけでなく、固定客への「おもてなし」的イベントとして、試食会、くじ引きイベントなど多彩であった。しかしいつの間にかこういう企画は姿を消し、店への入店は誰でも入れ、安売り一辺倒の内容になってしまった。
安売りがいけないというわけではない。ただ顧客へのメッセージ性が失われ、会社のカラーを顧客に理解していただくという側面が失われていったのは残念なことだ。
メッセージの強い企画は会社の姿勢などの理解を求める絶好のチャンスであるのに・・、と思う。

2007年3月1日(木)
50周年記念パーテイーに寄せて

元いた会社の50周年記念に、全社員を何回にも分けて集めてパーテイーが開催されていくと聞く。
それはそれで大変結構なことだと思う。会社がここまで来れたエネルギーはたいしたもので祝福に値する。そして今後もまた繁栄存続していくエネルギーも持ち合わせてほしい。

かって松下幸之助は、松下の何十周年かの集まりで、「ここまでこれたのは社員の皆さんのおかげだ」と土下座してお礼を言ったそうだ。パフォーマンスだったとしてもたいしたものだ。
本田宗一郎は身内の人間をホンダに入社させなかったという。それをすると周りの人間が気を使い、会社のためにも本人のためにもならないからだという。

二人に共通しているのは従業員目線に立つことができる人物だったということだろう。
企業戦略や人材育成を語る前に、企業哲学や社員の幸せ向上を大真面目に語れる、そんな企業風土を培うことの方がまず一番だと思う。
そういう目線での50周年記念パーテイーであったことを願う。

2007年2月17日(土)
ようやく恩返しが出来た

元部下だったSさんの定年退職慰労会に出席してきた。この人の慰労会にはなんとしても出席をとかねてから申し込んでいた。慰労会は大半が私の部下だった人で占められ、懐かしく談笑も出来た。
Sさんは口下手で地味な人であり、当初失礼ながらちょっと心配していた。しかしあるビッグプロジェクトで彼に依頼した計画素案を見てその出来の良さにびっくりし、彼の提案どおり実行した。結果は上手くいった。しかも彼は行動面でもこのプロジェクト開始にあたり献身的に活動してくれた。彼がいなかったらこの計画はトラブル続きになったかもしれないと思ったものだった。
彼は出世こそしなかったが、人徳もあり、会社はこういう人たちで支えられているのだなとつくづく思った。

その時以降の思いを慰労会の挨拶で私は正直に話した。特に「会社は管理職で成り立っているのではなく、彼のような能力と汗を流すことを惜しまない人で支えられているもの」ということを力説した。Sさんはじめ出席者がみんなし〜んと聞き入ってくれた。
その後何人かの人の慰労挨拶の後、Sさんの挨拶になったが、最初からもう言葉にならない。涙、涙の後やっと「ありがとうございました」とだけ言葉になった。この人らしい姿だ。


少し後でSさんから、「来て頂けるとは思っていなかった。お話内容に感激しました」と言ってくれたがまた涙。ようやくこの人に少しだけ恩返しが出来た。

2007年1月31日(水)
フリーライター、山本健治君との再会

テレビによく出てくる山本健治の講演を聞きに行った。最近フィンランド、イタリヤ、中国へいった話などで、外の空気、変化を知って自分の国を眺めなおすという話で、彼流のユーモアと話術も交えてなかなか聞かせるものであった。
彼とは大学が一緒だ。我々の大学生時代は60年安保の後で、政治の季節の延長線上にあった。
まだまだ学生運動が盛んで、彼も渦中にいた。私は研究会活動から彼とも知り合いになり、ときどき話し合う機会があった。彼は雄弁でよく勉強もしており、またユーモアもたっぷりだったのでたちまち頭角を現していたし、後に学友会の委員長にもなった。
しかし彼はいわゆる学生運動の闘士タイプではなかった。
当時、既成左翼政党に所属していた学生運動の連中が、自分の言葉で語らず、組織の見解をオウム返しにいつも話しているような状況もあり、山本君も私も、「こいつらでは世の中は変わらないな」と思っていた。そういうことで彼とは比較的ウマが合っていたのを思い出す。
彼はその後社会人を経て、高槻市議、大阪府義になり、掃除の本を書いて有名になって今のフリーライターになった。彼が自分のことを「評論家」とも「コンサルタント」ともいわず、「フリーライター]と称しているのも彼の正直さだ。

今も彼と私の共通点は、反骨精神、組織方針ではなく事実に即して自分の眼で物事を見ていく姿勢を大事にしたいという想いだと思う。
彼も私を覚えていてくれたらしく、メル友になることを申し込み、承諾を得て早速メールを出した。

2007年1月29日(月)
“軽い”コンサルタントさんの発言から

経営コンサルタントという仕事は、企業やそこの従業員、そして関係産業の指導的役割を果たす職業だと思っている。在職時それに値する人に薫陶を受けたと感謝している。そういう人たちにに共通して言えるのは、その経験や知識だけでなく、社会人として節度ある態度、発言もそれに値する人が多いと思う。
しかし先日、某コンサルタントさんでご自分が主催されているSNSのなかで、カードマーケテイングについての主に私とのやり取りで、こんな応答があった。
「自分はアメリカであるSMに買い物に行ったとき、カード会員価格商品を購入したがカード会員でなかったので、高い方の価格で購入させられた。そのとき不快感を感じた」
「このときからカードマーケテイングが好きではなくなった」
で、この方はカード戦略を否定しておられるわけではない。ただ自分は好きではないとだけおっしゃっているのだ。しかしこれはまともな論理ではない。多分SNSという会員仲間だけの軽い本音としての発言で、目くじらを立てるような話ではないのだろう。
前段の、会員でなかったため高い価格で購入させられ云々は、感情として理解できるしそれはそれでいい。しかし後段の「カードマーケが好きでなくなった」という、好き嫌い(これ自体は誰でもあるが)を口に出すのはコンサルタントとしてはどうかという気がする。
否定の理論を吐くのならそれはそれでひとつの考えであるが、いやしくも活躍されているコンサルタントの方がこの種の好き嫌い論を吐くこと自体、“軽い”と感じてしまった。いかに自分の主催SNSとはいえ、自分の職業、立場を考えて発言すべきだと思う。まだ40歳代の若い方で、仕方ないかなとも思うのだが、自分の方が硬いのかな・・・

2007年1月17日(水)
最高のほめ言葉

買い物に出て、店で久しぶりに昔の仕事仲間の信頼していた後輩の一人にばったり出会った。
当然のごとく会社の話に及んで、いろいろな話を聞かせてくれた。そのなかで私を評して「部下からの動かされ上手」という評価言葉をもらった。
この言葉は聞きようによっては「部下の言いなりになりやすい人間]というように取れないこともないが、私自身は最高のほめ言葉だとうれしく感じた。

私は50歳頃からは、上司は方針とシナリオを描いて理解させ、後はその人たちが仕事をしやすい環境にしてあげながら、コミュニケーションを十分取り、自分の判断で仕事をしてきたと感じてもらえるような関係作りを理想と考えるようになっていた。だから「難しいことは私を上手く使え」とも言ってきたからである。部下とのバリヤもできるだけ作らないよう心がけてきたつもりだ。
だから彼のこの言葉は最高にうれしかった。
追い風もあったが、上司を動かそうという部下が何人もいたおかげでこの時期、業績も上げることが出来たと思っている。

2006年12月24日(日)
若者Vs.中高年、対立構図を描く人

ネット上のコミュニテイーに私も出入りしている。勉強にもなるが、時々びっくりすることもある。こんな議論があった。
中高年は全体として今の社会の受益者だ。若い世代は年金、就職などの面で大きな被害を被っており、中高年が重石になっている。中高年は責任を認めて反省し、自己の得た利益を吐き出せ。そうすれば若年と中高年が共闘できると言うのがその趣旨である。
この人は頭のいい人なのだが、それだけに私には不遜な態度に思えた。
確かに若い人には辛い状況がある。しかしそれが中高年との対決構図に持ち込むという発想ににびっくりした。
また中高年が「受益者」というのも認識不測もはなはだしい。世代の責任という論議もあったが、もともと世代責任という論議は極めて成り立ちにくい論議である。
世の中のストレスがこうしたいびつな見方を醸成し、内向きなマインドを作っていく。それを突破するのは何だろうか?

2006年12月17日(日)
OBへの社内報配布ルール変更

退職後、会社の某役員の方に社内報をOBにも送ってもらって会社への関心や支持を得る雰囲気作りにしてもらってはどうかと提案し、それを実現していただいていた。ところが先日主幹部署より来年以降は、1)OB会会員にしか進呈しないこと、2)社内報送付は、自宅への配達は送料自己負担とし、店に取りに行けば無料とすること、という通知が送られてきた。なぜそう変更したのか理由はよく分からない。

  • 説明らしきものは、「(OB会が発足したので)今後はOB会の活動の一環として会員様向けに社内報を提供したく考えております」という、意味不明な文言があるだけであった。

私はOB会発足時の会の趣旨や運営方針に疑問を持っていたので現在はOB会会員ではない(別に入会しないと決めているわけではないが)だが会社を応援したい気持ちは十分持っている。なのに「OB会会員以外には社内報は送らない」というのは、まるでOB会会員であることが会社の支持者の条件であるようにも取れる。しかも社内報の配布をお願いしたのは私でもあったのにとも思う(もっともこのことはたいしたことではないが)。
OBは小売業では顧客だ。何の説明もせずにこのような対処することの見識を疑いたい。

2006年12月3日(日)
「同好会的」旅行初参加の感想

在職時代に旅行課にコンセプトだけを言って相談し、作ってくれた同好会的旅行、「クラブハート」というのがある。これは今4つのクラブがあり、それぞれ多くの会員を抱えて好評を博しているようだ。ただ私自身はまだ参加したことがなかったので今回はじめて妻と参加した。クラブ名は「あるクラブ」(歩くとクラブの合成語)で、今回は奈良桜井市の万葉和歌の石碑が多数存在する「山の辺の道」散策が中心であった。
妻は大変満足していた。しかし私はけして不満と言うわけではないが、やや物足りなかった。
普通の旅行なら、主催者側の添乗員がいて顧客である参加者のお世話を精一杯お世話するという関係でいいのだが、今回の旅行は「同好会」旅行である。参加者同士が打ち溶け合って仲間として旅をする、主催者は影でそういう関係が出来上がるよういろいろ仕掛けたり、お世話したりという姿をもともとコンセプト考案時に考えていたので、これなら普通の旅行とどこが違うのだろうとも感じてしまった。もっと工夫がほしい。
他の「クラブハート」旅行はどういう運営をしているかはまだ知らないので何ともいえないが、私の目指していたものはもう少し上のレベルであった。もうこのクラブは5年ぐらい経っているので、どんな問題があるのかは分からない。現場の意見も聞いて見なければならないが、会員や参加者多いからといってこれで満足してほしくはないと思った。
私の描いていたもともとのコンセプトは、「よもやま話」の「5.旅行業の終焉そのU:新しい始まり」で述べている。

2006年11月20日(月)
野球指導にもマネジメント能力が必要

昨日はうれしいことがあった。
スポ少の野球で、これまで投球フォームが肘を折って始動することが出来ない子がいた。本人は投手がしたくてたまらないのだが、このままでは肘を痛める可能性もあり、また練習の手抜きなど態度ももうひとつであったので、投手練習にも参加させなかった。
昨日、全員のキャッチボール練習の中で、久しぶりにこの子の横に付いて、これまでとは異なる説明の仕方で身振りも交えて教えると、なんと教えている通りできるではないか。
後で実戦形式練習で投手をやらせてみると、これまたしっかり出来ており、球速も増している。
監督もびっくりで、その結果を認めてその子に「お〜い○○、後で牽制球の投げ方を教えてもらえ」と激励していた。
もちろん私もこの子を今後の投手練習に参加させるつもりで本人に、「教えていたことをちゃんとできるようになったからこれからは投手練習に参加させるよ]といったら、うれしそうな顔をしていた。

これには、私のこれまでの指導や説明がまずかったのかなという反省とともに、今回の指導方法がよかったのかという喜び、そして子供の思わぬ対応能力にも驚かされた。
野球指導にも指導員のマネジメント能力が問われる。
子供にも、「やって見せる」とともに、「理解させる」説明能力も持たなければならない。

2006年11月13日(月)
この大元は何なのだ?

イジメを苦に自殺する子供。
イジメを報告しかかったばかりに自殺する校長。
未履修問題を苦に自殺する高校の校長。
岐阜県の裏金調査担当を苦に自殺した総務部長。
なんと情けない自殺の多いことか・・・。
ウソの報告、タウンミーテイングでのやらせ質問、あっちこっちでの県ばかりか厚労省含む多くの裏金問題。
いずれも強いものへの迎合、擦り寄り、弱いものを庇えない風潮と矛盾の表れ。この大元は何なのだ?
世の中がよくなるための膿み出しならよいのだが・・・。

2006年10月31日(火)
異常が普通になってはいけない

いじめに対する学校の対応問題、高校の必修科目未履修問題、学校現場のパワハラ問題、いずれもが全国でぞろぞろと出てくる。ポツポツ出てくるなら「事件」だが、異常が普通の現象にまでなるとこれは社会問題、政治問題だと思う。そういう眼でも見なければならにのに、「学校は何しているんだ」ばかりの論調ではもぐらたたきになってしまう。
この問題の背景には、強者、権力などへの擦り寄り,へつらい、あきらめての従順姿勢などがあると思う。
弱いものへの援助、手の差し伸べ、連帯感、寛容、そういうものが失われる背景には常に政治があるということを忘れてはならない。マスコミもこの点は押さえてほしい。
とはいえ、教育の問題は最後は現場でしか解決しない。だからこそ先生や父兄たちの戦う姿勢も必要だ。異常が普通になってはいけない。

2006年10月7日(土)
北海道滝川市の少女の自殺

またしても教育関係者の情けない姿。
北海道滝川市の少女自殺に関係して、教育委員会関係者の「いじめは確認できなかった」などとする発言に唖然とするやら腹立たしくなるやら・・・
私は中学時代戦後民主主義時代のよき教師にめぐり合い、同級生の悩みをみんなで分かちあいながら気持ちの落伍者を出さないようにしようとする先生に恵まれて育った。遺書を7通も書いて自殺まで及ぶような事態に、役人的感覚の教育委員会関係者の言い逃れや詭弁を弄する態度は我慢ならない。
マスコミが火をつけ、世論に追求されてはじめて「悪うございました」では教育の世界にいることの資格がこの人たちにはない。しかし問題はこの人たちの責任追及だけではすまない。
こういう悲しいことがなぜおきたのか、徹底的にPTAや子供の父兄も交えて検証と本当の反省をしてもらいたい。同級生の子供も加害者になっている。子供にもこのことを告げて考えさせてほしい。
まったくやりきれない。このような話は・・・

2006年9月7日(木)
安部政権誕生らしいが・・・

いよいよ安部政権誕生のようである。
しかし自民党ですらこの人を政策ではなく人気で持ち上げているという報道(毎日新聞)ように,もともとこの人は政策通ではない。そして今回もこの人のいっていることは「敗者復活のできる社会」を掲げているだけで、小泉首相以上にオールドタカ派である。
「ジュンチャーン」と同じように「シンチャーン」という感じでときの政権が支持されるのでは日本人の意識レベルが問われよう。
小泉首相は功も罪も大きかったが、リーダーシップの面では歴史に残ろう。
今回の候補者の中では谷垣氏が一番きちんと政策を述べている。しかし見た感じの線の細さが受けない理由のひとつになっているように思う。

政治家はリーダーシップが発揮できなければならない。しかしそれはタカ派的行動を意味するものではないのだが、どうかするとそのようなものに受け取られやすい。その極端な悲劇は戦前のドイツで国民がヒットラーを熱烈に支持した例がそうだ。
安部には政策能力はないが声高にものをいう力はある。その安部を自民党内も雪崩を打って支持に回っている姿はちょっと不気味にさへ見える。保守派の人さへそう思っている人も多いというのに。

2006年8月20日(日)
OB会不参加者の弁より
久しぶりに元同じ会社にいたA氏にある会合でお会いした。
彼は元の会社退職時は1売場の責任者止まりで、あまり出世しなかった部類に属する人間である。しかし彼は今町の自治会連合の会長をしている。

彼の方からOB会に加入したかどうかを尋ねられた。
私は、「当初私も発起人候補の一人として準備会に参加していたが、元の規約案では元上級管理職組のサロン化のようなOB会則であったので、修正を申し入れた。いくつかは聞き入れてもらえたものの、肝心のところでは原案通りであったので、今のところ加入を見合している」と答えた。
すると彼は、「実は私も加入していない。案内文書を見てみると、発起人は元えらいさんばかりで、あんなところへ入っても自分は遠慮ばかりしていなくてはならない気がしたから加入しなかった」と言ったのである。

彼の返事のなかに、OB会参加率が半分にも満たなかった理由のひとつがあると思う。
流通業のOB会は製造業企業OBと違って、今は会社の顧客である。彼が一顧客として元いた会社の店舗でできるだけ多くの買い物をし、会社を応援しているかどうかは大体分かる気がする。
OB会発足時に、私がOB会発足準備委員の一人にいろいろ懸念を表明していた通りだった。
「よもやま話」弟95話参照)
2006年8月15日(火)
8月15日という日は変質しつつある?

8月15日という日は近年私にとって段々といやな日になりつつあった。今日小泉首相の靖国参拝がさらにそれを加速してしまった。
「戦争で亡くなられた人の犠牲の上に今日の繁栄がある。国のために殉じた人のためにお参りするのは当然だ」という類の話をどれだけ聞かされたことか。
この言葉の前段に異論はない。問題は後半の部分である。
国のために「殉じた」?  それは違うのでは? 殉じたのではなく、教育と宣伝、権力によって「殉じさせられた」というのが正解で、それをしてきたのは当時の政治指導者であり、靖国を上手く利用してきただけでないのか?
とにかくあの無謀な戦争がなぜ起きて、なぜ多くの人が死んでいったのかはあまり議論がされない。その結果若い世代ほど首相の靖国参拝に肯定的であったり、中国や韓国に嫌悪感を抱いたり、外交の強硬路線を支持したり、という風潮が強くなりつつあることに特に危惧を抱く日が8月15日でもあるようになった。

このままいくと、下手をすればアジアも中東のようにイスラエルとイスラム諸国の関係のようにお互いに相手の非をののしりあい、殺し合い兼ねないような関係への下地を作りつつあるようにも思える。
若者は本来もっと前向きで革新的で対話好きであらねばならないのに・・・

2006年7月23日(日)
どうした?櫻井よしこ! その狼狽ぶりは・・・ 

本日、田原総一郎の「サンデープロジェクト」を見た。
昭和天皇の発言をまとめた「戸田メモ」について、保守の論客櫻井よしこが出演、加藤鉱一、管直人、岡崎久彦と討論していたが、この人がこんなに狼狽した議論をするのかと驚いた。いわく、

  • あのメモでは昭和天皇の真意は分からない。
  • あのメモは本当に昭和天皇がそういったのかどうか、証明できない。
  • 松岡や白鳥の名前はあるが、他の人の名前は出ていない。
  • 天皇は自分の発言がこのようなかたちで世に出ることを予期していなかったはずだ(だから捏造といいたいのか?)

要するにメモの信憑性に疑問を投げかけているのだ。
まるで刑事事件の「証明」を求めるかのようなレベルで戸田メモがそれを満たしていないとでも言いたげだ。昭和天皇の発言を記憶を頼りにメモを取ったもので、その信憑性に疑問を投げかける人はさすがにほとんどいないにもかかわらず、である。これは狼狽そのものだ。
この人の考えは同調しないが、もともとそれなりの筋のある議論をする人だ。こんな議論をする人とはとても思えなかったのが印象的だった。
まだ小泉首相が「天皇にはそれなりのお考えがあるのだろう」(しかし天皇は天皇、私は私、と言っているようだ)の発言の方がまだ自然だ。
しかし、評論家立花隆によれば、小泉首相の狼狽振りも相当なものだったと言う。氏の考えは下記のところにある。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060721_ketsudan/
保守派は昭和天皇のこの記録にそれほどの一大ショックだったということだろう。

2006年7月21日(金)
晩年立派だった昭和天皇、他
昭和天皇の靖国神社参拝をしなくなった経緯のメモが発表された。もともと私は天皇にも戦争責任があるという意見であるが、我々がとやかく言う前に天皇自身がそのことを強く感じていたという感じがした。象徴天皇として公の発言をほとんど出来ない方が、奥の院ではこのような感情を強く持っておられたことに安堵する気持ちになった。

天皇はいまや象徴であり、直接的にどうのこうのというわけではないにせよ、多くの人を悲惨な戦争に巻き込んでしまった指導者の責任を強く感じておられたことを知った意味は極めて重い。
人間としては晩年の昭和天皇は立派であったと思う。


別件であるが、京都の介護に疲れた孝行息子の殺人事件が執行猶予判決になった。こうした親子を事前に救えない今の社会や政治が恨めしくもあるが、ともかく執行猶予判決であり、こちらも少し安堵した。
OECDの先般の発表によれば、日本は世界有数の格差社会国家であるという。競争は必要だがすでに許容限界を超えている。
京都のあの「孝行息子」(といってもすでに50歳台だが)にも残りの人生を少しでも安堵して暮らしてほしいと思う。
2006年6月16日(金)
畠山容疑者の出身高校教師や同級生もひどい!

秋田県の児童殺害事件、畠山鈴香容疑者の生い立ち紹介がテレビで紹介されていた。
びっくりしたのは彼女の高校卒業時の文集に同級生たちが書いた内容であった。
「二度と秋田へ戻るな」などなど。
畠山鈴香が有名になる方法のアンケートに、「自殺」、「殺人」、「詐欺」、・・・
なんと彼女の同級生の多くの生徒が卒業後も残る普通なら大事に保存する文集にこんなことを沢山書いていたのである。
確かに彼女は少し変わっていたのだろう。同級生から見れば、彼女のことを心の中で目障りに思えたこともあったかもしれない。
しかしそれでもこんなことを文集に書くだろうか?同級生も荒んでいる。こんなことを書いた同級生たちよ、君らも畠山容疑者に劣らないくらいひどい人間だね・・・といいたくなる。
もうひとつは学校や担任教師はこんなひどい文集が出ることをなぜ止められなかったのか? ひどいね〜、こんな先生には畠山容疑者のことをとやかく論評できる資格はまったくない。今もたいした反省もなく教師をしているのならお止めなさい、といいたい。
こんな教師やひどいことを書いた同級生も共犯者に近い。
それほど腹が立った。

2006年5月28日(日)
「愛国心」が小学校ですでに通信簿評価対象に!?
全国ですでに2県で、小学校の通信簿に郷土愛や愛国心を持っているかどうかが評価対象になっているという報道がテレビで紹介されていた。
郷土や日本を愛することは私も同じだが、「愛国心」というと時の政権や政治を支持することと紙一重で危うい感じがするのは私だけではない。
ことは思想信条という心の内側の世界の問題でもあり、こうしたことを通信簿で評価するというようなことはもっての外である。
にもかかわらず、教育基本法改正が論議されている今の時点ですでにこうした評価を実施しているような県があること自体に、驚きと怒りを感じる。権力におもねる人種が多いようではまだまだ「愛国心」教育は危ういと見なければならない。
2006年5月21日(日)
歪んだ「販売コンクール」

元いた会社の店舗に勤めているパート社員から相談事があり、久しぶりに出会った。
そのついでに出てきた話に、「販売コンクール」の実情と悲鳴?を聞かされた。いわく、

  • アメリカンチェリー、うなぎ、家電、ステーキ、洗剤・・・などと次々と「販売コンクール」が行われ、パート社員にまで「協力要請」があった。
  • 一部は断ったが、それでも8千円の購入をした。
  • 自分はパートで月額8万円くらいの収入しかなく、ほぼ1割をこういう形で支出するのは大変痛い。
  • 他のパート社員も影でぶつぶつ言っている。
  • 店長が社員に声掛けを行って実施している以上、仕方なしに応じているものの、やりすぎではないか?

まだこんなことやらせる店長、黙認(積極指示?)する部長がいるのかと思った。
これについては以前の「よもやま話」の「25.販売キャンペーンノルマの実情」で書いたとおりだ。
あんまりひどければ「垂れ込み」か社長への「直訴」をしろとアドバイスした。

2006年5月19日(金)
日経社説で取り上げられたが・・
今行っている仕事先が5月15日付けの日経社説「小売業は規制に頼らず知恵を絞れ」のなかで取り上げられた。場所は下記のところ。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20060514MS3M1400114052006.html

このなかで「彦根四番町スクエアー」が先駆例として取り上げられているが、問題はまだまだ簡単ではない。問題山積みだ。

私は大型小売店企業側に長く身を置き、今度は中小小売店側の街づくり側のお手伝いをしている。
今まででは見えなかった大型小売企業側の身勝手さと、中小小売店側のこれまでの経営者の無策さの両方が見えてきている。

ともあれ、お手伝いしている四番町スクエアーは新しい施設がオープンし1週間が経った。ものめずらしさもあってか顧客は多い。しかし・・・
2006年5月3日(水)
東京裁判を知らない?

朝日新聞に東京裁判のことを知らない学生が90%いることが報じられていた。私の息子(高1)に東京裁判のことを質問してみたら知らないという。靖国神社に東条英機が祀られていることも知らないという。これでは過去の反省を国民がしているとはいえない。
外国に言われてするものではない。中国だって自分の国の歴史をきちんと見ているとはいえない。しかし外国のことを言う前に、日本も自分の国のことをきちんと教えていないし、戦争の反省もしているとはいえない。これでは日本も「国際社会で名誉ある地位を占めたい」という憲法前文に沿った教育を行っては来なかったのではないか。
いたずらなナショナリズムだけが台頭する懸念が頭をよぎる感じだ。

2006年4月1日(土)
尊厳死問題の取り上げ方
殺人か、尊厳死か、一人の外科医の措置をめぐっていろいろの議論が沸きあがっている。
論点は本人の合意、家族の合意だそうである。
本人が危篤状態になってからでは本人の意思は確認できない。
家族の合意だけでいいのか? と問う声。
家族の合意を文書で取ったのかと問う声。

朝のYTVニューストーク番組を見ていたら、某経済学者、某スポーツ解説者などが「ルール作りが必要」とか言う。そんなこと誰でも言うことだ。きわめて浅い議論だ。

いい加減な医者もいるが、患者の死のあり方をめぐってまじめに現場で葛藤している医師も多いと思う。
こうした現場の医師や宗教者、苦しむ末期患者家族の意見などの意見も聞かずに、コメンテーターごとぎが分かったようなことを言うなと言いたい。

政治や経済の問題と違って、この問題は死生観も含む極めてシリアスな問題なのだ。シンボウなんとかというキャスターがニコニコしながら語れるような問題ではない。
どんな意見でもみんな悩みながら語る難しい問題なのだ。
浅薄な取り上げ方は、高齢者問題に少しでも関係している者から見れば腹が立つ。
 
2006年3月22日(水)
自信と傲慢さは紙一重

WBC野球で日本が優勝した。いろいろと話題が多かった大会だが、いろいろと嫌味も目につく。
まずアメリカ。自国に都合のよいルール、組み合わせ、そして審判。政治の世界同様“ジコチュウ”が目に付く。
韓国。ことさら日本を眼の敵にし、また背伸びした、子供じみた論調が韓国マスコミで目に付く。
そして日本。優勝したことは素直に喜ぼう。しかし、優勝=実力世界一というわけではない。アメリカなどに対してまるで鬼の首を取ったようにいうことは止めよう。アメリカはやはりまだ実力世界一だ。謙虚さも必要。
ただ、日本や韓国のスモールベースボールの実力もスタイルも認めさせるに十分な結果であったこと。韓国が予想以上に実力をつけてきていること。首の皮1枚で繋がっていた状態から優勝までこぎつけた日本チームの底力は賞賛に値すること。これだけは確かだ。

韓国チームの金監督は冷静で立派な人物だった。
イチローの「30年は・・・」発言に対して、「ほー、韓国はもう20年も縮めたのですか」の反応(日本と韓国は野球歴史が50年の差があることにユーモアーを引っ掛けてイチロー発言に反応したセンスは抜群)。
「2度勝ったからといって韓国野球が日本に追いついたとは考えない。日本は今回の代表クラスのチームを3〜4つ作れる(くらいの層の厚さがある)」
実に冷静に見ており、イチロー発言にも過剰反応はしなかった。懐の深そうな人物だ。

2006年3月8日(水)
永田議員と武部幹事長、どっちが罪が重い?
民主党の永田議員「あのメールは偽物でした。すみませんでした」
自民党武部幹事長「心は晴れ晴れ・・・」
一連の結末、いったいどちらが本当の重要問題?
間違ってはいけない。

永田議員や前原さんはまぬけで、とんまだっただけだ。
「わが弟です。息子です」とあのような人間を持ち上げた権力政党要人の
センスと行動でホリエモンを利用し、今の自民党に大勝をもたらしてことのほうがもっと罪が深い。
(大勝そのものが悪いといっているのではなく、その手段考え方が大罪だといっているのだ)
競争社会礼賛、政治にミーハーイズムを一層深めた罪は日本人の政治意識劣化に資する大罪だ。

攻守逆転に惑わされてはいけない!
2006年2月7日(火)
第一生命、サラリーマン川柳より

第一生命の恒例「サラリ川ベスト100」がネット上に公開されている。
なかなか面白い。そのなかで会社の人間関係や、会社と自分の関係を詠んだものがあった。紹介してみよう

「はい」と言え 俺は家でも 言ってるぞ オレ亭主
片付けろ! 言ってた上司が 片付いた 清掃業者
急ぐなよ 無理をするなよ いつ出来る? そりゃないよ
我が社では 部長のギャグが クールビズ ジョージ・坂本
忘年会 サイフの代わりに 呼ぶ上司 OL一同
違うけど 社長が言うから そうですね イエスマン
我が職場 垣根はないが 溝がある 九官鳥
檄とばし 部下のヤル気も 消しとばし 平社員
エリートの つもりで入社が デリートに 唯無念
見切りつけ 辞めた会社が 成長し 先見の明暗
このなかでは、「違うけど 社長が言うから そうですね(イエスマン)」、(これは社長を上司と入れ替えてもいい)が金賞。「檄とばし 部下のヤル気も 消しとばし(平社員)」が銀賞かな〜
2006年2月7日(火)
OB会いよいよ設立間近だが・・

OB会設立総会の案内が来た。
前回の発起人会合に所要で欠席していたので会則案がどう決まったのかは分からないが、入会資格は「15年以上の在籍暦を持つ社員」とあり、約600人に案内を出した旨の記述があった。
OB会の趣旨は「親睦と会社への協力」ということが唄われており、会社から見れば顧客組織というよりも会社の外部組織的な匂いが強い表現になっている。OB会を“職縁”を通して「顧客」組織と見るか、「協力組織」と見るかで大違いであり、本当は顧客と位置づけた方が会社への高い協力も得やすいことが見えていないようである。(私の意見は「よもやま話94,95参照)

会社を支えている有能なパート社員の参加は「15年以上の在籍」の壁で事実上見送りになったに近い。これでは顧客視点で見たOB会ということにはならなかった。
ご丁寧にも、私は発起人になることを保留していたのに、いつの間にか発起人に名前を連ねられていた。
目くじらを立てるほどのことではないが・・・

2006年1月22日(日)
言動の軽さ

言動録
ホリエモン:「金で買えないものはない」
      「想定外、想定内」
小泉首相:「(ホリエモンを担いだことについて)そこまで事前に人をチェックできませんしね〜」
   「選挙の争点は郵政民営化、是か非か」
    (圧勝して増税検討へ。増税は選挙の争点ではなかったハズ)
武部幹事長:「私は偉大なるイエスマン」
    (小泉チルドレンに小泉首相国会演説での拍手を細かく指示)
    (これに応じた人は少なかったが、それでも数人はそのようにしたという)
小嶋社長:「証人喚問を受けたい」
     (一転) 「証言を控えさせていただきたい」
言動が軽いですね〜
でも小嶋社長を除いてこういう人をちやほやし、政治家には刺客候補に投票し、ホリエモンを選挙で善戦させ、自民党に圧勝させたのも国民だ。
あぶないね〜、この国も国民も。 気がついたら貧乏人が増え、巨大な軍事力を持ち、原爆も持っていたとならなければいいが・・・。

2006年1月18日(水)
ニュース満載の悲しき1日

2006年1月17日は極めてニュースの多い日であった。ヒューザーの小嶋社長証人喚問、ライブドアの粉飾決算疑惑とそれに続く株式市場の全面急落、子供殺人犯宮崎被告の最高裁死刑判決、関西淡路大震災11周年など、いずれもそれぞれ普通ならトップニュースレベルのものばかりである。
小嶋社長のあの能弁さが国会ではまったく消えてしまったのはなぜだろうか? 何か背後にとてつもないような力が働いているのではないか? そうでなければあんな雄弁な男があのように下を向いてしまって力弱く答弁するはずがない。
ホリエモン、自民党に一度は担ぎ上げられ、最後はドスン!! そして株価は全面暴落。
経団連奥田会長はホリエモンを経団連に入れてしまったことを「早まった」と述べたが、小泉首相は「なかなかそこまでは分かりませんしね〜」と開き直り。誰がこんな奴を首相にしたんだ!!
少なくとも「自分に人を見る目が不足していた」と反省の弁を述べていれば、少しは評価されていただろうに・・・。

2006年1月11日(水)
野洲高、サッカー全国制覇!

野洲高校が高校サッカー全国制覇を遂げた。子供の野球指導に携わっているがやはり気持ちがいい。理由はいくつかある。
(1)ここ10年間の歴代優勝高校は九州か千葉県の伝統校ばかりであったが、日本人口1%の滋賀県の、しかも全生徒数400人にすぎない公立高校サッカー部の優勝であったこと。
(2)個人技術の高さをベースにした、これまでとは違うスタイルの“柔”組織スタイルのサッカーが実を結んだこと。
(3)監督はレスリング出身で、サッカーを見る視点が異なる人材であったこと。
個人技のレベルの高さが言われるけれども、もともとサッカーは簡単に個人技だけでは点数はなかなか入らない。個人技のレベルが上がれば上がるほど連携の重要性を理解しているのだろう。
しかし彼らは「型にはまらない連携」を、「呼吸の分かる連携」を求めているのではなかろうか? ここにありきたりの企業組織の姿でないものが見て取れる。
組織論を超えた組織論といってはほめすぎか?

2005年12月30日(金)
「金八先生」を見て

「金八先生」の特別番組がテレビであった。私は昔からこの番組が好きだ。
現職教師はこの番組をどう見ているのだろうかと思う。ドラマはひょっとしたらリアリテイーに欠けているのかもしれない。しかし生徒や周りの人を説得しようという武田鉄也の演ずる先生は気迫と説得力がある。単なる熱血先生というだけでは説明しきれない、生徒への愛情と理想主義がある。
この番組の製作者はいったい誰にこの番組を見てもらいたいと思い、実際に見ている人は誰なのであろうかとふと思う。私は教師ではないが、金八先生のコミュニケーション能力と人間としてこころの連帯を子供たちに訴える根源的なひたむきさに魅かれる。そして仕事の面でもこうありたいと願ってきた。このような視点が例えば今動きつつある会社のOB会のあり方への意見にも繋がっている。
この番組は息が長い。しかしこの番組が始まった10年以上昔と違って、今起きている中学生による殺人事件などは一見ごく普通のまじめな生徒が起こしている事例が多い。そのような問題には金八先生は切り込めていないのではないかと思う。金八先生番組は基本的には人間賛美なのだ。大好きだがそこのところが物足りなくもある。

2005年12月24日(土)
パート社員とOB会のこと

HPでOB会のことを話題にしたが、3人のパート社員の方にこのことを聞いてみたら、「え〜、パート社員はOB会に入れないの?」とびっくりしたような反応であった。
「そんなことなら、パート社員OB会を別に作れば?」と言う人もいた。
3人ともパート社員が視野に入っていない発想そのものに疑問を呈していたのだ。
関係者の皆さん、もう一度考え直してみたら?
また1年が過ぎようとしている。
1年が過ぎる感覚は早いなと思うが、逆に人のことはゆっくり見られるようにはなった。このギャップは何かなと思う。
また雪だ。今年は衣料品が売れているようだ。野菜も値上がりで好決算を期待できるか・・・

2005年11月28日(月)
我が家にも光ファイバー回線がやってきた

我が家にも光ファイバー接続によるインターネット回線を敷設した。
これまではADSL回線を使用しており、特に大きな不満はなかったが、業者の「工事費無料」にほだされてついついその気になってしまった。普通にインターネットのブラウザを見ている分にはさして早くなったと感じないが、パソコンソフトのアップデートに60Mのファイルのダウンロード時にはさすがに早かった。7〜8倍のスピードだ。
設定も思ったより簡単であった。しかし人に「光に代えたほうがよいか?」と聞かれると、「現在ISDNなどの極めて遅い回線を利用しているのでない限り、キャンペーンなどのときを利用して安く変更できるときを狙ってやった方がいい。ADSL回線を今使っている人は劇的な速さを感じることは少ないと思う」と答えるだろう。

なお近々メールアドレスを変更する予定。スパムメール対策も含めて・・・。

2005年10月23日(日)
イズミのヒット

このところ株価が上昇している。流通の株価も同じだ。また株価を左右させるいろんな「出来事」もある。最近ではイズミの株価が急上昇したが、これはイズミと丸久の業務提携の発表によるところが大という。
丸久はだいぶ以前は苦戦していたようだが、今は年商500億円以上で経常利益率も3%以上を出すよい会社だ(このホームページのここを参照)。イズミのヒットだと思う。

2005年10月16日(日)
「民意」をいう三流政治家

郵政法案が再提出され可決された。前回反対した自民党議員で新党に参加しなかった人は平沼議員を除いて全員が賛成票を投じた。賛成に転じた理由に、「民意が郵政法案賛成ということでそちらに転じたものだ」というような理由をあげる人が何人もいたのは奇妙なことであった。
おっとどっこいまだ選挙の民意は拮抗しているのではないか?得票数を見てみよ。
それに民意民意というなら、靖国参拝反対の人のほうが多いのに小泉首相は参拝を続けているではないか?。
民意とはいったいどういう定義なのか?
気安く民意民意というなかれ!
自民党から干されるのがいやだから転向したというのが本当ではないか?
三流政治家め!
郵政民営化賛成反対を問わず、これが大方の評価ではないかと思う。○村太蔵の方がもっと正直だ。

2005年10月2日(日)
金太郎飴の“小泉チルドレン”

今回の選挙は自民党の圧勝で、当人も予想していない人達まで当選してしまった。
自民党の体質改善までは評価するが、それ以上に没個性的で金太郎飴の”小泉チルドレン”を多く生み出してしまった。国会代表質問のテレビ風景を見ていると、この方たちはまるでスターの追っかけ屋のような態度で小泉首相の演説に拍手を送り、なかでもどこかの大学の女性教授議員などは小泉首相をうっとり見つめている風でもあった。
選挙前後の多くのマドンナ刺客候補達はまるで覚えたセリフをしゃべるかのような紋切り型応答のインタビュー風景の人が多い。まだ杉村太蔵議員の方が本音が出てよかったがこちらもやがてシュンとしてしまった。こんな金太郎飴議員に税金を使うかと思うと情けない。
但し企業のサラリーマンも金太郎飴では困るのだが・・・。

2005年9月12日(月)
選挙結果の感想

予想以上に自民党が勝った。これは小泉首相の功罪の「功」の部分に国民が期待感を示したということであろう。私は個人的には自民党が241議席で勝利するのが一番いいと思っていた。民主党には期待したいが、年金問題など含めて力強いものが伝わらず、まだ早いという気がしていた。しかし自民党は勝ちすぎた。今回の選挙では小泉チルドレンが多く誕生し、小泉派的なものが出来上がってきている。任期延長論も強くなり、その可能性もあるだろう。そして悪しきポピュリズムに流れないことを望みたい。郵政民営化「法案」は構造改革課題としては問題が多すぎる。
数の力だけで「小さなな政府」論で本当の課題の少子高齢化、雇用、財政、外交問題などが変な方向に行かないよう、小泉政治をしっかり見守る必要がある。今回の選挙は小泉首相の行動力(これは評価すべきことがいくつもある)に期待が集まっただけだ。

2005年9月5日(月)
政党の選挙用HP禁止なんていまどき・・・

民主党のHPが公選法で禁止している選挙活動に当たるとして総務省から削除するよう指導があったという。いまどきHPに規制を加えるなんてなぜと思う。
この法律はインターネット利用が限られた人の利用時代の遺物のようだ。いまやインターネット人口は6000万人以上に達し、その8割がパソコン利用による時代だ。広く各政党の広報情報を国民がいつでもどこでも見られるように奨励すべき時代なのに。法律の方がデジタルデバイドで遅れている。むしろ義務付けしても良いくらいだ。
そういえば流通業のHPも遅れている企業が多い。量だけ見てもアメリカの小売業と比べても見劣りがする。まして顧客向けとなると、寂しい限りだ。

2005年8月30日(火)
ドラマ「広島・昭和20年8月6日」を見て

TBSの「広島・昭和20年8月6日」というドラマを見た。久しぶりにドラマらしいドラマを見た気になって感動した。
昔高校の修学旅行で広島原爆記念館を訪れたとき衝撃が走ったものだった。中でも亡くなった方の「影」が残った石か何かの写真を見て、この方はどういうシーンで原爆に遭遇されたのだろうかとずっと思っていた。今回のドラマでも多くの印象的なシーンがあったが、なかでもラストシーンで主役に会いに来た恋人役が、主役の死の影が残った石にかじりついて号泣するシーンには昔の疑問のひとつの答えを見た思いで、涙が出てとまらなかった。
しかし日本の反戦、反原爆の思いはなかなか世界に伝わらない。それは一方であの戦争では日本は基本的に加害者であったという反省が不十分だからであると思う。「過ちはくりかえしませぬから」という言葉はそういう意味だと理解している。
それにしても普段俳優にはさほど関心がない私もあのドラマで「松たか子ってきれいな女優なんだな〜」、「涙そうそうという歌はいい歌なんだな〜、なんてきれいな声の持ち主だろう」と思った。
いいドラマを見れば心が豊かになる。いい本を読めば心が成長する、そんな思いを新たにした。

2005年8月7日(日)
核時代、人間は進歩してはいない?

NHKスペシヤル「ZONE 核と人間」を見た。
核兵器が従来の兵器とはまったく異なる意味を持つ兵器であることは分かっているつもりではいた。広島長崎の被爆者の方の主張を理解しているつもりでもいた。それでも原子力発電など平和利用には人類の英知が結集され、この面での問題は克服されるとだろうとなんとなく思っていた自分がいる。
しかし、この番組を見て原子力の平和利用と軍事利用の境目は紙一重であること。また平和利用であっても私が今までよくは知らなかった事故がこれまで多発していることを知った。他方で原爆開発以降多くの科学者その他の人達が警鐘を鳴らしていることも再確認できた。
今日の世界情勢を見ると、各地の戦争や憎悪の連鎖、権力者による原子力情報統制、大国の原子力独り占め論理など「人類の英知」なるものがきわめて不確かなものに思えるようになった。しかし問題克服の「英知」を信ずることを止めるわけにはいかない。ただ言えることは、文明は進歩していても、人類の精神状況は進歩しているとは限らないということだろう。

2005年7月23日(土)
「ニュース百考 正論・異論」開設

これまでホームページであまり政治的な話題は取り上げてこなかった。しかしこれからは政治問題、社会問題を取り上げてみることにした。
しかしそれはこのサイトで政治的主張意をすることが目的ではなく、あくまでもものの見方考え方のトレーニングであり、結論にこだわっているわけではない。「ニュース百考 正論・異論」と題するところに不定期に綴っていこうと思う。第1回は「ナショナリズム」という重い問題に触れてしまった・・・・

2005年7月14日(木)
東証上場企業3期分決算数値表について

YAHOOファイナンスが東証上場企業の決算数値を会社別に公開している。株でもうけようということではなく、業界全体動向を知りたいというニーズからEXCELで一気に整理できるプログラムを作成してみた。
125社の小売飲食業決算3期分をみると、会社の知らなかった浮き沈みがよく分かった。かってはぶりのよかった会社の沈滞化、名前も知らない企業の躍進振りなどなど。
このプログラム、われながらよく出来ていて、企業コードと企業名のテーブルさへ入力が終えれば、わずか10秒前後で単独、連結決算比較表が出来上がる。ご希望の向きには進呈するのでメールで申し出を!

2005年6月25日(土)
予期せぬ読者

ホームページ開設後半年が経過した。主として元いた会社の後輩の方たちに読んでもらいたいと思って作成したHPだが、口コミなども手伝っていろんな人に伝わり、メールを頂くこともしばしばだ。長年お会いしていない知己の方からも多くのメールを頂くのはうれしいもの。
ところが先日神奈川県某市の現職市会議員の方からメールを頂いたのはびっくりだった。この方は27歳の無所属議員で2年前に初当選し、おそらく全国最年少議員だろうという。ある課題を調べるために検索エンジンを通じて調べていたところ私のHPのある記述にたどり着いた。ついては自分の発行するメルマガにそれを転載させてほしいというのだ。ご自分のHPも紹介してあった。若く行動的でその心意気も良しと感じたのですぐ承諾メールを出した。
見知らぬ方からメールを頂いたことはあるが、議員さんというのはまったく予期せぬ読者だった。不特定多数の読者を狙ったHPではないのに、改めてインターネットの力を感じた。

2005年6月9日(木)
ご冥福をお祈りします

今年1月16日づけでこの「つれづれ日記」に「癌宣告!」に取り上げたかっての仕事仲間がとうとう亡くなられた。享年67歳であった。とてつもない頑張り屋で、定年退職後始めた旅行代理店業でも、癌宣告を受けながらも顧客の要望で旅行を企画し、自ら添乗をこなすなど普通では考えられないことをやってのけておられた。2月に元気付けがてらご自宅にお邪魔したときは体調がよく、若いときの苦労や、私と同じ会社に入社したあとの苦労話思い出話にふけたことが思い出される。口は多少悪かったが、こんないい人はいないと私には思える人だった。
奥様にも私や私の家族のことを昔から自宅でよく話しておられたと奥様から伺い、ほろっと来てしまった。
私の印象に強く残るすばらしい方の一人であった。ご冥福をお祈りしたい。

2005年6月1日(水)
不気味なマスコミ

ここ1〜2年ほどマスコミの品のなさが目に付く。例を挙げてみよう。

  • 某テレビ局の辛○氏による他局ニュースキャスター批判。マスコミ人というよりバラエテイー番組担当レベルの品格だ。坊ちゃん顔だが話しっぷりだけで人を説得しようとする、中身の薄いタイプ。
  • 新聞社同士の社説による批判合戦。そんなエネルギーがあるならもっと真実に迫る努力をしろ。批判は真の悪に向けろ。
  • JR西日本での記者会見で某新聞社の記者。あれは本当の「追及」ではない。質問内容といい言葉遣いといいまるでヤクザだ。これでは「文屋」丸出し。お前はいったい何様気取りだ。
  • 週刊○○、△△などにいたっては論外だ! 本来大マスコミ報道の隙間や事後検証、フォローで週刊誌の存在価値があるはずなのに・・・。

マスコミにいろんな論調があってもいい。しかし、昨今の多くのマスコミには、格好の攻撃目標ができるととことん叩きにかかる薄暗さ、不気味さがある。こんなマスコミにJR西の「日勤教育」を批判する資格などない。もっと品格を保ちながらも、事実と論点の整理のうえで堂々の論陣を張るマスコミであってほしい。自社のまずいことは堂々と自己批判すべきだ。思い上がりも甚だしいマスコミが多い。自分たちだけが正義だと思ったら大間違いだ。

2005年5月27日(金)
ちょっとした人間関係

 親しくしている若い子がぼやくこと仕切りなのでわけを聞いた
その子は私の元いた会社で6年くらいレジでのアルバイトをしている。この間何人もの店長や管理職を見てきた。折に触れ人物批評を私に聞かせてくれる。半分以上は私も知っている人物で、どちらかといえばおおむね良い評価をしてくれる場合が多かった。しかし「今度の店長は最悪だ」というのである。私のあまり知らない人だ。理由を聞いてみた。

  • 「誰かがまずいことがあると、その人だけでなく周りの関係のない人にまで言葉使い荒く怒鳴りちらす」
  • 「いつもというわけではないが、タイムカードをスキャンしてから仕事を言いつけられることが何度もある。それもお願い調ではなく、命令調だ」
  • 「店長が食品レジ周辺を歩いているとき、途中の籠整理をする姿を見たことがない」
  • 「店長から笑顔でご『苦労さん』という声も聞いたことがない」
もちろん店長の言い分も聞かねば公平ではない(但し聞くつもりもないが)。こんな店長はどこの会社でもいる。タイムカードスキャン後に仕事を命じる関係は異常だ。固いことを言うつもりはない。タイムカードスキャン後も仕事を急に頼みたくなることはある。そんなときに「ワルイ、すまないけどこれちょっとやってくれないかな〜」といって気軽に頼める職場の人間関係を作っておけるかどうかというだけなのに・・・。
2005年5月9日(月)
JR事故報道、マスコミもおかしい!(改)

JR関西でその後次々にゴルフや宴会に行っていたという類の報道がなされている。そして記者会見の場面はまるで糾弾会だ。確かに遺族の気持ちを逆なでするし、不謹慎であると思う。ある程度批判的に報道されてもやむを得まい。しかし大企業に問題が起きたときに末端組織でちぐはぐな行動をしていることはおそらくどこの企業でも起こりうることだ(それにしてもひどすぎるが)。人命を預かる企業だけに、「JR職員はたるんでいる。だからこんな事故が起きるのだ」といわんばかりの追及が厳しいのだろうが、こういう報道で行き着くところは一般人のJR職員に対する嫌がらせ行動を誘発助長してしまうだけだ。
こういうときにだけ社員に神様みたいな完璧な行動を求めても無理だ。もちろん批判しなくてよいといっているわけではない。ただ異常とも思えるバッシング報道姿勢には疑問を感じる。こんな表面的なことよりも、さらにここから踏み込んだ事故原因解明や再発防止に役立つ報道であるべきだ。今回の事故はJR職員がたるんでいるから起きたのではなく、マネジメントの欠陥による災害だ。だからたるみもおきている。そしてこの問題は日本の成熟した大企業の多くに共通して内在する問題で、何もJR関西に特有の問題ではないのだ。
JR関西事故を何度も取り上げたが、今回の事故はマネジメント論からすれば格好の事件でもあり、多くの企業が「他山の石」とすべきものであったからだ。

2005年5月7日(土)
JR事故から思うこと(2) 恐ろしい会話

JR関西の事故は企業のマネジメントを考える上でも鳥肌が立つような大変ショッキングな事件であった。こんなやり取りの場面がテレビで流れていた。
垣内社長がある遺族家庭を訪問していたとき、遺族が社長に書面を差し出した。社長はその書面をその場で読んだ。書面には、駅でJR関西職員とキオスク店員との会話内容とともに、それに対する遺族の気持ちが書かれていたようだ。問題の駅員の驚くべき会話内容が紹介されていた。
駅職員: 「事故の被害者には申し訳ないけど、あの電車の運転手は結果的に会社に仕返しになったと思っているのではないか。それほどJR関西は腐っている」。
運転士は何度も「再教育」を受けており、恨みながら死んだのではないかという理解なのであろう。そういう理解も寂しいものだが、それほど荒んでもいるということだ。
遺族はこの一職員の会話を聞き、JR職員に対する過酷な体質が事故の原因だと感じて「このような体質をぜひ直してほしい」と静かに、しかし強く社長に訴えた。社長は、「風土と心の問題であり時間がかかりますが、この機会を捉えないと直りません。時間を下さい」と答えていた。
しかしそれにしてもこの駅職員のことばは、恐ろしい会話だが強烈で生々しい現場の声だった。

2005年5月2日(月)
JR事故から思うこと

「よもやま話」74項でJR福知山線事故をマネジメントの観点から取り上げたが、もうひとつふと思ったことは、労働組合の影が薄いのではないかということである。昔の国労といえば泣く子も黙る強い組合であった。経営者側の一方的な押し付けに対し、NOといえるだけの力量を備えていた。昔の国労ならこんな事態にならなかっただろう。今のJR労働組合は昔の左翼的労働組合に対抗する形で生まれたDNAを引きずっていると思われる。それはそれでよいとしても、JR関西のこのような経営体質をチェックできないような組合は何のために存在しているのかと思う。
大阪市役所労働組合のように自己の権益だけを擁護し、世間の批判や社会正義に眼を向けない集団も困るが、今回の事故についてJRの組合の声が一向に聞こえてこないのはなぜか?。 マスコミが報道してくれないだけなのか?
労働組合は、@労働者の権利擁護、A経営者に対するチェックアンドバランス、B社会正義の実現、この3つを追求する気概とリーダーシップをもっと取るべきだ。

2005年4月26日(火)
JR事故から分かったこと

JR福知山線脱線事故関連のニュースを見ていて驚いたことがある。それはJRの「教育」だ。
今回の事故に電車運転士が、オーバーランによる電車の遅れを取り戻すべく、無理をして回復運転に努めていたことが何度も報道されている。またオーバーラン距離についてウソがあったりで運転士の資質を問われても仕方がない。
しかし、JRではダイヤどおりの運行の価値を追究する姿勢が強く、ダイヤ運転遅れとその発生原因者に厳格に対処してきた。このため電車運転士にはこれがプレッシュアーになっているようだ。
びっくりしたのは、ミスを犯した運転士の「再教育」に、「草むしり、ペンキ塗り、就業規則の書き写し」などがあり、その証言と光景がテレビに写し出されていたことである。もちろんこればかりやらせているわけではないと思うが、基本的には個人の責任を強く問う“教育”であり、刑罰としての色彩が強い。まさに軍隊的組織観そのものであり、これでは事故はなくならない。ウソもつきたくなるし、ミスの罪を軽くするために制限速度超過で無理をしてしまいたくもなる。
鉄道技術は一流だが、マネジメントはこれでは三流だ。

2005年4月14日(木)
応援団構想、一歩前進

「○○応援団」構想について社内の責任ある方から協力の約束を内諾頂いた。
これから規約や運営方法をつめたいと思う。幸い、会社も50周年に向け、OB会発足の話とともに、前向きの話として文字通り「応援団」として機能することを期して準備を進めたいとおもう。
ただ何分にも仕事を持ちながらの話しでもあり、いま少し時間が必要かと思う。先輩後輩諸氏、会社の協力を期待したい。

2005年4月8日(金)
応援団構想と心配事

「○○応援団」サイトの構想を書いたが、ある人からそれは「身内の身びいき」サイトになってしまわないかという懸念の意見を頂いた。その懸念は無くはないが、そうなるかどうかはサイトの管理者の指揮能力ひとつである。
もともとこの構想は、大企業ではほとんどの会社が社内の自由闊達な意見や提案を汲み上げる風土に乏しいという状況がある。それらをプラスのエネルギーとして活発に引き出したいという狙いがある。したがって建設的な批判も含めて、過去や現在の地位の上下関係なしに出してもらいたいと思っている。その引き金を引くのは、現在会社を退職しているOB社員なら睨まれて失うものも無いので、最初は我々がリードしようという発想である。
但しその思いが通用するか、参加諸氏および会社の協力が必要であることは間違いない。

2005年4月3日(日)
ホリエモン騒動への心配

ここへ来てホリエモン社長の動きが鈍くなり、彼に対する評価も少しばらけてきた感じがある。
既成秩序に対する果敢な挑戦という「共感」の反面、堀江社長の構想自体に疑問を呈する冷静な反応も少数だが出てきている。
堀江社長がターゲットにしたのがフジテレビのような社会性、公共性の高いマスメデイヤでなければこれほど大きな問題にはならなっかただろう。にもかかわらず世の関心は当のマスコミも含めてどちらが勝つかというパワーゲームの側面ばかりが目立っている。そしてマスコミ自体が単純にパワーゲームの対象になることの問題については関心が薄かったように思う。ようやくここへ来てそれを指摘する人が少し出てきた。
私は、マスメデイヤがインターネットとの融合という考えだけでパワーゲームの対象になっていいかどうか、心配を感じる。堀江社長の果敢さに対する多少の共感とともに、この面での議論も積極的に行う必要がある。その論議がまだまだ不足している。是非それをもっと求めたい。

2005年3月29日(火)
ポイント10倍セール

テレビを見ていたらIYが衣料品、住まい関連商品ポイント10倍、食品ポイント5倍セールのコマーシャルをやっていた。
IYは商品やサービスの「質」を重視する企業であり、こういう販促を行うとは思っても見なかった。別に批判するつもりはないが、ポイント10倍セールと言えば商品すべて10%引きとほぼ同じであり、一律10%値下げの発想に近い。こういう発想はIYにはなかったのではないかと思うのだがどうだろうか?

2005年3月21日(月)
OB社員への社内報送付につき・・・

OB社員にはじめて社内報が送られてきた。1ヶ月くらい前に案内があったので趣旨は分かっており、うれしいことであった。
しかし、少し残念だったことは、送られてきた封書の中に何のメッセージやコメントもなく、社内報のみが送られてきたことである。私なら例えば簡単な挨拶メッセージ、社内報にはない会社のちょっとした軽い情報、次号の予定など思いついたことを書き添えて送付するだろう。
こういうことはちょっとした気配り、基本的な感性であり、小売業社員としてお客様に接する「こころ」に通ずるものである。今回の社内報送付の仕方は、担当部署(者)は「指示されたから送付した」という事務的処理の域を出ない。せっかくの措置が大きく輝かないのは少しさびしい。

2005年3月17日(木)
「よもやま話」更新不定期化について

3月14日より、縁あって再び職に就くことになった。
フルタイム勤務であり、当分これに忙殺されそうなので「よもやま話」の更新ペースを毎週行うことが困難になった。更新をあきらめたわけではなく、まだまだ続けたいと思う。
このHPを何度も訪れていただいている方にご理解を求めたい。いつ更新するか分からないので時々チェックしていただくことをお願いしたいと思う。

2005年3月13日(日)
W君の「宿題」に関連して
W君から読めといわれた片岡勝著「儲けはあとからついてくる」について感想を書いた。著者は団塊世代直前世代であり、安保闘争直後の大学紛争時代の影響を多分に受けている。「よもやま話」67で引用した友人H氏も同世代だ。この世代は私とほぼ同世代だから何を考えているかよく理解できる。既成観念や権威を疑い、物事を判断するスタンスをしっかり確立してすばやく行動する。こういう政治風土の中で育った人はビジネスマンとしても優秀な人が多いと思う。人の顔色を見て動くことに慣れた悪しき意味でのサラリーマンタイプとはまったく違う。
そういう意味で、「儲けはあとからついてくる」というこの本はいわゆる“ハウツー”ものではなく、元気をもらう哲学本として読ませてもらった。そして一番共感したのはやはり組織観である。
会社が社員を、上司が部下を「駒」としか思わないところではこの時代は何をやってもうまくいかない、ということだ。
そしてW君のビジネス意図もだいぶ理解できた。アリガト m(_ _)m
2005年3月3日(木)
堤会長逮捕と流通業

コクドの堤義明会長逮捕のニュースが流れた。
テレビで見ていると堤会長が「商売人としてウソはいけない」と話している場面があった。しかし名義株と言う大嘘がばれて西武鉄道社長自殺などとんでもないことになった。
同族経営、二世企業、不透明、絶対服従、裸の王様などなどいろいろ言われている。しかしこの危険性は多くの流通業も似たようなものではないかと素朴に感じている人は多いと思う。堤会長はやりすぎたが・・・。

2005年2月27日(日)
イズミヤ退職者の人材派遣会社設立

イズミヤさんが退職OBを本体中心に人材派遣する会社を設立するという報道があった。
イズミヤ本体からすれば、まもなく迎える団塊世代の大量退職に伴い、欠如するノウハウやスキルを補充出来るメリットがある。退職者からしても、働きなれた会社で自分のスキルを活かせて収入を得られるメリットがある。こういったところが一致しての人材派遣会社設立だという。
こうした発想は私も持っていたし、もっと広げて考えても良いと思うが、むしろそれ以上にこういった措置が退職OBだけでなく、イズミヤ本体の社員も含めて大きな勇気やモチベーションをもたらす効果が期待できる。
イズミヤがOB社員を含めた社員全体をファミリー、パートナーと考え、社員のために施策を実施し、社員及び退職OBもそれに求心力を感じる、こういう関係を狙ったものであるなら本物だと思う。

2005年2月21日(月)
“ホリエモン”たたきに「異議あり!」

ライブドアの堀江社長が話題になっている。どちらかといえば政治家を中心に“ホリエモン”たたきが始まっている。いわく、「金さへあれば何でも出来ると思っているのではないか」などと。
確かにまだ我々には堀江社長の意図が分かりにくい部分が多いし、このやり方がベストなのかどうかは私にもなんともいえない。したがって私は積極的に堀江社長を支持しようというものではない。
しかし「金さへあれば・・・」という批判の仕方は大人気なく、なんとなく新参の若者たたきという臭いが強い。若くして何かを変えようという人はあっと驚くようなことをするもの。犯罪や反社会的な方法なら非難されても当然だが、この程度のことで政治家まで乗り出してとやかく言うのはおかしい。まして金で政治を操ってきた旧世代自民党の政治家が「金さへあれば何でも出来ると思っているのではないか」と言うのは逆ではないか。金権政治をやってきた人達に言う資格はない。「その反省はお前たちのほうこそしろ」と言いたい。批判はかまわないが、こんな批判は最低だ。

(追記)2005年2月24日
くどいようだが、上記の日記内容は一部のホリエモン批判を問題にしたのであって、堀江社長の行動自体が目的と手段の整合性があっているのか?本当にこういうやり方でいいのかという点の評価はあくまでも別問題である。

2005年2月18日(金)
後輩からもらった“宿題”

所用があって元いた会社に立ち寄ったときに尊敬する後輩W君に出会った。
彼は予見に縛られないで物事を考え、企画し、実行できる、会社で数少ない能力の持ち主で、後輩ながら尊敬してきた一人である。彼は今テナント開発の部署にいるが、彼ならではの発想で従来では誰もが考えなかったところをテナントとして引っ張ってきている。さすがと思うことが多い。大学の後輩でもあり、こんな奴がもっと光らないのは会社の損失だと今でも思っているが、今まだ光っているのは彼の頭のテッペンだけだ (彼は若くしてワカハゲだ)。
こんな彼から1冊の本を手渡された。
「これを読め、ということか?」と聞くと「そうだ」という。本のタイトルは「儲けは後からついてくる」(片岡勝著)というもので、なかなか読ませるものである。これが彼の今の仕事のバイブル本のひとつになっていることがよくわかったが、私にとってはそれよりも著者の人間観、組織観である。今ザーッと半分くらい読み終えたが、私にとって不足しているビタミン剤になりそうな本である。W君が私にこの本を読めといった意味はどうやらこの辺りにありそうだ。
この年になって後輩から「もっと勉強しろ、そしてこの本の感想を書いて持って来い」と言われたようなもので、怖くてありがたい後輩だ。その宿題はこのホームページで果たそうと思っている。「W君、ありがとう!」。

2005年1月23日(日)
「ブランド」力

アメリカの流通関係誌STORESから恒例の小売業世界ランキングが公表された。
日本企業で最上位はイトーヨーカ堂の20位が最高で、規模の面で世界に通用する小売業は極めて少ない。しかし規模の小ささを嘆くつもりは全くない。むしろ既存の企業のなかから明確に他社との相違を示せる強い「ブランド」力を築いている企業が少ないことが問題だと思う。つまりそれは企業のアイデンテイテイー、ソフトである。
Aスーパー、Bストアー、いったいどこが違うか? 全体としての違いを顧客は立地や売り場面積、駐車場などのハードと、わずかばかりの価格やサービスの差に違いを感じているに過ぎないと思う。少しずつ業態間の競争が激しくなってきてはいるものの、まだ“戦争”といえる状況には間がある。今のうちに自己のブランド、存在理由を確立していく必要がある。これは小売業に限らず、どんなビジネスでも同じだ。

2005年1月16日(日)
癌(ガン)宣告!!

かって私のいた会社の店舗に勤務しておられた某氏に年末ばったりお会いした。この方は私の仕事の、ある店舗側の担当をしていただいていた。もう定年退職して何年もなる方だが、仕事に対する姿勢や新しいことの吸収能力、責任感など群を抜いていた。私もこの方を頼りにしていた。
立ち話をしてびっくりした。癌で余命1年と医者から宣告されているという。「孫のためにもう3年は生きたい」としみじみおっしゃっていたが、それでも努めて平静を装っておられた。私よりかなり年上であるが、見た目は、若く見られる私とそう変わらない。本当はご本人は平静ではないのだろうが、取り乱しておられる様子は感じられない。
何がそうさせるのか? またどう励ましてあげればいいのか? こちらのほうが動揺した。
癌は老いとは関係なくやってくる。しかし私にはまだ悟りきったようなことを他人に言えるほど人間が出来てはいない。本日かって部下だった人からこの方の新しい情報をもらって、改めて考え込んでしまった。1日でも苦しまずに長生きしてほしい。

2005年1月15日(土)
スパムメール、要注意!!

アダルト系や出会い系のスパムメールがこの1年ほど多くなった。いまいましい、うんざりする。1日30通ぐらいのメールを受け取るが、そのうち1割がアダルト関係スパムメール、2割くらいは物売りメール(比較的まともなところから来るが)である。
業を煮やしてスパムメールのサーバー上での削除ソフト(フリーソフト)を探してきて設置した。これがなかなか難しい。はじめて「正規表現」なるものを理解できた。これが理解できないとスパムメール駆除の精度が上がらない。駆除の効率を上げるのはどうもこちらの能力しだいのようだ。今のところ70%くらい阻止できている。
スパムメールのメールアドレスはいわゆる「成りすまし」も多く、そのプロバイダが発信元ではないケースが多いようで、かなり難しい知識がいるようだ。
またスパムメールに対して敢然と戦い、いろいろな情報提供をしてくれるサイトがある。昨日から次のサイトを読んでいる。かなりボリュームがある。
http://www2g.biglobe.ne.jp/~stakasa/spam-j.html
アダルト系のサイトでは、メールに表示されているURLを覗いた途端に「登録されました」といって請求書メールが送られてくるものがあるようだ。 皆さん、要注意!!

2005年1月6日(木)
官僚に「志本主義」を説かれるとは・・・

「志本主義」について57.で書いたら大手量販店勤務の知人から辛口コメントを頂いた。こんな辛口コメントが私には実にうれしい。
彼の言いたいことは、「非志本主義を進めてきたのは官僚ではなかったのか、そんな官僚から志本主義の勧めを指摘されるようでは・・・」というのである。言外に「民間のことを言うのもいいが、おまえのいる官僚社会も志本主義になるよう努力しろ」と言いたげあった。
彼は私の見ていない面を見ていた。座布団1枚進呈!
それはそれとして、もはや死語になったのではないかとさへ思われる「志」や「公平」といった言葉が復活の兆しが見られる。これは組織、制度、システムなどといったこれまでのマネジメント思想だけでは物事がうまく運べなくなっている現状の反省を反映していると思う。
「志本主義」という復古調的ではあるがよい響きの言葉につい魅かれて飛びついてしまった。

2005年1月4日(火)
2004年の気象から

2004年の気象データを整理し終えた。
ホームページで公開しているデータの更新も完了。まとめると、

  • 各地域とも年間平均気温はこの40年間で過去最高かそれに近い高温であった。
  • 特に、4、6、7、9、11、12月はかなり高温であった。
  • 夏は日本海側では少しましであったが、その他の地域では暑い夏であった。
  • 冬はここ5年くらいの気温状況及び降雪状況とあまり変わりはなかった。

ここ10年くらいの気温上昇傾向は地球温暖化のスピードが一段と速まっているのを実感させる。地震、台風、津波・・・宇宙船地球号大丈夫か??

2004年12月28日(火)
なぜ口はひとつしかないのに、耳はふたつあるのか?

Frederic Newellという人の本を読んでいたら、次のような意味のことが書いてあった。
多少脚色も加えてその趣旨を私なりに要約すると、

  • CRMでは、顧客に商品を売りつける、販売促進するというような“プッシュ”型の発想はない。重要顧客の求める“ソリューション”に応える(=顧客を助ける)という考えがベースである。ソリューション実行のためには、ITという情報システムを武器にしながら、顧客との広義の「対話」が必要である。これがCRMでいうリレーションシップ マネジメント(関係作り)の根幹を成すものである。
    顧客を助けるためには顧客の「声」を注意深く聞かなければならない。右からも左からもあらゆる方向からの「声」を聞かなければならない。

    口がひとつしかないのに耳が二つあるのは顧客の「声」を聞けという意味だ。
なるほど、うまい説明だ。
このたとえ話は顧客だけではなく、職場でも同じことが言える。
人の意見、部下の意見をよく聴く、話すよりもまず聞く、これによってはじめて「対話」になる。聞いているふりをして実際には自分の主張を相手に押し付ける、叱る、こういうことがいかに多いことか。 これがいかに“モチベーション・ブレーカー”(他人のモチベーションを壊す人)であるか、自責と自戒の念も込めて、耳がふたつあることの意味を噛みしめよう。
2004年12月26日(日)
企業の不祥事発覚事件多発から思うこと

企業の不祥事発覚が今年は多かった。そのトリはNHKだった。
企業不祥事発覚は長い間の“潜伏期間”がある。人間の身体と同じように企業組織の中には病原菌と共にそれをやっつけようとする抗体があるはず。このバランスが崩れると不祥事発覚企業と同じようになる。このような事件が起きるとすぐに「組織の牽制機能強化」を主張する人が多いが、それは対症療法であって抜本策ではない。社員の行動原理が、“良いか悪いか”よりも“損か得か”が優先されるような風潮が強い企業ではルールの強化だけでは対応できない。
自分の企業が“善悪”よりも“損得”が優先している、またはその危険が高い企業かどうかを判断するのは誰がふさわしいか? どんないい企業でも経営者が十分な情報を持っているとは思われない。それは一般社員の声を組織的に集めて評価することがベストである。
このような“下意上達”のチャンネル保持、日ごろの企業内の風通しのよさが対因療法である。
このような見方に立ったとき、流通業でもどれだけの企業が十分な対因療法を施していると言えるだろうか?

もともと「コンプライアンス」は当たり前なのだ。これが出来ない理由やさらにこれを超えることを考えなくてはいけない。

2004年12月21日(火)
流通各社中間決算より

9月の中間決算企業を含め流通業の中間決算発表が出揃った。(ここを参照)
コンビニ各社が売上も収益も順調に拡大したが、スーパー、百貨店業界は企業間格差も拡大し、全体としては収入は増えずに内部改善で収益確保という構図であった。ダイエーの行方をにらみながら日本の量販店勢力図が大きく変わる可能性もある。

2004年12月6日(月)
「演繹」法と「帰納」法

哲学用語に「演繹」法と「帰納」法という言葉がある。難しい解説は別としてビジネス現場に即して言うと、あるべき理想や目標を立て、その実現のためにどうするということを考えていくのが「演繹」法、現実の問題がこうだからこのように改善して行こうという思考や行動が「帰納」法と考えればわかりやすい。演繹法は理想から現実に降りてくるが、帰納法はあくまでも現実が先であり、その改善がテーマになると思ってよい。
ビジネス世界でも個人世界でも両方が必要だが、どちらが優先かといえば理想や目標づくりが先である。しかしサラリーマンの多くは現実の問題解決に追われ、理想、目標、ビジネスモデル作りのような演繹思考をスポイルされてしまっていることが多い。中長期計画作りや新規プロジェクト、新規ビジネス立案時に若い人から出てくる意見に,、理想、コンセプト、哲学が不足していると感じたことが在職時に多かった。これでは議論も深まらない。管理者という立場ならなおさらそれではいけないと思う。
優れた企業、リーダーはあるべき姿を描く力が例外なく高い。現状改善的な思考だけでは企業としても生き残れないし、サラリーマンとしても有能とは認められない。「顧客中心」主義は、スタンスとしては妥協が許されない哲学であり、単なる改善では済まされない思想だ。
私にも反省点が多いが、これからの若い人はもっと本を読んで勉強してほしいと思う。
そんなことを改めて感じることがまた最近あった。

2004年12月1日(水)
なんでも高騰の11月

11月が終わったが、野菜高騰、卵高騰、ガソリン灯油高騰、それに気温も異常高温であった。11月の大阪、京都、彦根、金沢、富山、岐阜、名古屋の毎日の最高気温、最低気温データを更新したので参照いただきたい。

2004年11月27日(土)
心の病

社員の心の病気を取り上げるのはいささか気が重かった。多くの企業が抱えている問題である。
心の病の問題を「自分は関係ない」と思っている人は大問題の人だ。誰もが心の弱さの部分を抱えている。また自分は関係ないと思うその厚顔さが感受性の弱さを示している。何気なく職場で人の心を傷を付けたり、していることに気付かない人だ。

2004年11月23日(火)
“会議はすれど・・・”(加筆あり)

「食品スーパーの売価間違い」について更に後日こんな意見があった。
間違いの真の原因を撲滅することが大事で、それにどう取り組むかが問題だと。一見正論であるとは思う。

どこの企業でもそうだが、ここからが大変で、結論が出るまでに時間がかかり、最悪たいした結論も出ずのようなことになったのでは、この間売価間違いの被害を受ける、または不信感を持つ顧客は置いてけぼりになってしまう。今、けが人が続出しているのに、けがの原因対策議論だけをしているのではいけない しかもけが人の加害者は自分だ。 救出の方が先だ。
少なくとも検討時間リミットの設定と、最後に顧客にどうするのかのゴール像を描いておく必要がある。そうでないと何のための検討時間だったのか、「顧客中心」はどこへ行ったのか?ということになりかねない。こうならないことを期待する。

2004年11月18日(木)
WALMARTセミナーより

久しぶりにセミナーを聞いた。富士通主催WALMARTのIT戦略に関するものであった。
この種のセミナーには日本では出席者の大半が「システム担当者」だ。
当然と言えば当然だが、質問や関心は技術的な問題が多い。ここに私はやや物足りなさを感じる。講師のFERNELL氏はさすがだと思った。
彼はセミナーの冒頭かなりの時間をWALMARTの企業文化やマネジメントの説明に時間を割いた。
もともと流通業のシステムには誰もが考えもつかないような奇策はほとんどない。問題はどうしてそれが実現できたのか、マネジメントの問題が本質ではないかと思っている。
そうでないと、「いい話は聞いて勉強にはなったが、我社では無理だな〜」なんていうような感想を持って帰るのでは寂しすぎる。自分が会社を説得するだけのものを持たないと・・。

2004年11月16日(火)
取引先関係について

取引先関係について2稿を入れた。
私が入社したころの流通業は、社員が問屋さんをあごで使うといった空気が濃厚であった。
今は会社も教育に力を入れ、さすがに昔のような社員はいなくなった。
しかし買手の強さからかどこかで取引先を低く見る気持ちが残っている。
取引先との関係は、買い手売り手という対立関係と、共に手を取り合って顧客の利益に寄与するという二面があることはいうまでもない。しかしややもすると前者の側面の方が強く意識され、論理を尽くして双方のコスト、ムリムダを排除し、顧客と自社、取引先双方の利益になる努力はまだ弱い。値入率改善、経費削減が課題になるとすぐ取引先に“お願い?”する。子会社に対してでさへ同じようにし勝ちだ。
「共存共栄」が口先だけにならないようにどうして行くべきか、を考えたい。

2004年11月11日(木)
東証上場小売業の最新株価一発取得プログラム公開

本日の株価を何社もチェックするのにYAHOOを1社づつ見るのは面倒くさいな、と思っていたが、思い立って何十社の株価でも一発収集するプログラムをエクセルで作ってみた。
1日かかったが、ま、これで何とか使えそう。
最終的に23社の最新株価を一発収集するようにした。手作業なら30分はかかる。
HPに掲載してよければ皆さんに使ってもらおうとアップした。
使ってくれる人いるかな??

2004年11月9日(火)
詐欺ハガキに遭遇

「オレオレ」詐欺には縁がないと思っていたら、妻宛に東京の「植竹法律事務所 植竹忍弁護士」と名乗るところから通販で購入したエステ代金の債権譲渡を受けたので裁判をおこす、和解したければ連絡せよ、と言う趣旨の葉書を受け取った。
法学部出身の私はすぐこれは詐欺だと思った。
念のために妻に聞いたがエステ商品など全く購入していないと言う。
葉書の文面はいかにもたいそうそうに書いてあるが、例えばこんな文言があった。
    
「私共は法務省認可、東京第一弁護士法律事務所属・・・」(原文のまま)
と言う文言がある。
「東京第一弁護士法律事務所属」という言葉もおかしい。正しくは「第一東京弁護士会」というのが正しい名称である。「法律事務所属」という言葉も変だ。
インターネットで東京の弁護士会名簿を3つとも見たが「植竹忍」という弁護士はいない。弁護士法で東京に法律事務所を置く場合は必ず東京の弁護士会に所属しなければならないことになっている。(東京には3つの弁護士会がある)
他にもおかしいことがあるが、それはともかくいやな世の中だ。

2004年11月7日(日)
CRMって何だ?

「顧客中心主義」は少し分かったが、CRMとは何だという声がある。
小売業ではFSPと言う言葉は聞いても、CRMという言葉はそれほど知られてはいない。また知られていても実は多くの誤解があり、混乱もある。
いずれこれについての解説を行う予定である。

2004年11月6日(土)
「食品スーパーの売価間違い」に関連して

また「食品スーパーの売価間違い」について社外の別の方からコメントを頂いた。
食品スーパーとは別になっている家庭用品売場での売価間違いの場合、お詫びだけで低い売価で売ってくれない量販店があるという。信じられない!。そしてファッション衣料売場などではどうしているのか?という疑問も残る。
またポイントカード発行している食品スーパーでも、売価間違いを発見した場合、カードの購買記録を調べて、発見までに間違い価格で販売した顧客にまで是正措置をする量販店はあまりないという。
手間隙を惜しんで、詐欺まがい行為を頬かむりではいけない。
私のいた会社は、偽ブランド米の事後処理に完璧な処理をしただけにそのような会社でないことを願っている。

2004年10月31日(日)
1週間経過して

あちこちから多くのメールをいただいた。中には数年お会いしていない社外の方々からもいただいた。
食品チェッカーをしていたという方から「よもやま話」2.の「売価ミス」について意見をいただいた。やはりという気がした。早速その趣旨を2.のところに追加記述した。

 IY在籍の知人からもメールをいただいた。システムはともかく、マネジメントや企業風土は他の量販企業とさして差はなく、すべてがお手本みたいにいわれるIYだが、そんなことはないという趣旨で、具体的な問題指摘があった。 

2004年10月25日(月)
HPアップ

HP作りの勉強を始めて1ヶ月、分からないことは娘にメールで教えてもらいながらもようやくこぎつけた。独学に近いため、回り道をしたかも・・・
サーバーに送る瞬間、ちょっと緊張。アップ後ブラウザ画面で確認して思わず、「フーツ!!」