123.ときとして「組織を通じて仕事を!」論の欺瞞性
●「組織を通じて仕事を!」論とお寒い現実
よく企業のなかで「組織を通じて仕事をすべきだ」ということが言われる。これはある意味で正論であり、このことの意味を否定するつもりはない。しかし、実際には大きな企業組織の中でこの正論が正当に機能しない場面を数多く体験してきた。正当に機能しないとはどういう意味か?
まず何かを決めて実行しようというとき、目的は何かということがあいまいなまま「組織を通じて」仕事をしようとすると延々と利害調整が続き、結局たいしたことが決まらないということが多い。また決まるにしてもとてつもなくエネルギーと時間を要することも多い。
また、何かをやろうとしたとき、それが他部門との比較において突出した状況が発生する予感が多くの人にある場合に、それがまずいとして否定されることも多い。いわゆる「出る杭は打たれる」式の状況である。
但し、場合によっては自分自身が加害者側に回っていたかも知れないが・・・。
●私の現職時代の“反抗”と私の考え
私はこういってぶつぶつ言っているだけでは気がすまない方なので、ときにはこれをかいくぐってことを成就しようとしてきたことが何度かある。特に新規事業担当時代はそうだ。もちろん組織の中にいて何をしてもよいと言うわけではないが、私のものさしとして「もし自分が一テナントオーナーであったなら、今しようとしていることが問題が無いかどうか」と言うように考え、問題ないという結論に達したら非常手段として強行またはこっそり実行に移すということが何度かあった。そのたびに他方で私は組織やルールは功罪相半ばするものではないかと考えるようになった。
社会や企業に組織やルールがもしなかったらどうなるか?
いろいろまずいことが起き、人間はそこからルールを決め、やがて大きなことを成し遂げるために「組織」を作っていくだろう。この過程でそれに関与する人たちはルールや組織の必要性を多分しっかり理解していることだろう。
しかし組織が大きくなり、ルールも複雑になるといつの間にか組織やルールが本来の目的とは別に一人歩きするようになる。多くの企業がこういう状態にあると思う。
私は、組織に関しては出来るだけ小さく組織を作り、可能な限りその組織の自治ルールを認める「事業部制」的な姿が望ましいと考えている。
他部署とのバランスを欠くからダメだと言う理由で、私がかって行ったことを元に戻すということが「改革」の名前で行われたと言う話を最近聞いた。これは欺瞞だ。
●「めがね21」のマネジメント観
「めがね21」という企業のことを本稿118で触れたが、ここの会社は常識的な組織観を否定するところから始まっている。この企業の考え方の本質は、組織やルールで人を規制するよりも、組織やルールが無い(または少ない)ために、組織員の「コミュニケーション」を通じて物事の意思決定を能動的に行わせようというマネジメント観にある。最初にルール、組織ありきで組織員が思考停止に近い状態になるのとは大きな差がある。