コラム

社員の化学日記 −第200話「閑人閑話4−200th Anniversary−」−

今回でこのコラムも200話を迎えた。

ちょうど節目の回の原稿を担当するにあたって、何か数字に関係することを書けないものかと思い悩んでみたが思い浮かばない。

200時間、200kg、200km、200年…。そう、今からおよそ200年前の日本はまだ江戸時代。

庶民が中心となった化政文化が華やかなりし頃、日本最初の化学書「舎密開宗(せいみかいそう)」を記したのが美作津山藩々医であった宇田川榕菴(うだがわようあん)。オランダの化学書と多くの参考書を翻訳、その上に自説や実験を加え、10年の歳月をかけて刊行した日本初の体系的な化学書であり、全21巻1100ページの大作であったらしい。 現在も普通に使用されている「圧力」、「亜硫酸」、「塩酸」など約50の化学用語を日本語に翻訳した…いかん!宇田川榕菴は以前にもコラムの題材としたことがあるし、…と考え始めたら筆が進まなくなった。

なにも出てこない。刻々と原稿のアップ予定が迫ってくるが、時間だけが過ぎて焦れば焦るほど何も浮かばない。

こんな時に限って取引先からは直接注文につながらないような確認・調査依頼が毎日のように来るようになる。お客さんからすれば重要事項であろうが、あまりに件数が多いと他の業務に影響が出てしまうことだけは避けなければならない。で、どうしても原稿作成は優先順位が下になってしまうという悪循環だ。

折角の200回記念にこんなぼやきをしてしまった…?!ぼやき!?

そういえば、昔(昭和の時代)の芸人で「ぼやき漫才」を芸風にしたベテラン芸人がいた。自分の記憶にあるのはすでに”大師匠”と言われるくらいに結構なおじいちゃんだったが、相方は奥さんが務めるいわゆる「夫婦漫才師」。

出囃子(でばやし)と共に高座のそでからにこやかに微笑みながら出てくる着物姿の相方と共に、茶〜グレー系のダブルスーツ(バブル期以降、最近では見なくなった)に黒縁メガネをかけたおじいちゃん師匠がにこりともせずに登場する。そして肩を揺らしながらいつもの第一声が出てくる。

「しかし、まぁ〜皆さん、聞いてください。」

テレビの前のまだ幼い頃の自分は「おー、はじまった!」と思うのである。

漫才といえば普通はコンビの会話の中でボケたり、ツッコんだりの話芸で笑わせてくれるのが通常だろうが、このおじいちゃん師匠は違った。ひたすら観客に話しかけ、いや「ぼやく」のである。 政治、事件などの世相、時事問題をとりあげてひたすら観客に向けてぼやき続ける。

「ぼやく」は関西の方言ではなく標準語らしいが、不平不満をぶつぶつとつぶやく(Tweet)ことらしい。この意味からするとマイナスのイメージを持ってしまうが、このおじいちゃん師匠は違った。聞いている方は全く嫌な印象は受けない、それが長年培った話芸なのだろう。

ぼやいている間は相方には見向きもしないが、相方も黙っままではなく、小気味よく相槌を入れたり、にこやかにたしなめたり。 で、ボヤキが白熱してくると激しいツッコミが火を噴く。

「えーかげんに黙っとけー!この、どろ亀ー!!」(観客は大爆笑)

その瞬間、おじいちゃん師匠の黒縁メガネの奥の(開いているかどうかわからないような)細目が「ニヤッ」とほほ笑む。 どろ亀って、どんな亀か、Webで調べると「「泥亀(どろがめ)」とは「スッポン」の別称で、泥まみれの亀をさす」らしい。なるほど、おじいちゃん師匠はまさに亀顔なのであった。

「ぼやき漫才」も終盤に差し掛かると、これまたお約束のフレーズがおじいちゃん師匠から飛び出す。

「責任者、出てこーい!!!」

「あんた、そんな偉そうなこと言うて、ホンマに出てきはったらどーすんの!!」

と相方が最後のオチへと導くと、 おじいちゃん師匠はそれまでとは一変、「ゴメンちゃい!」とおどけたジェスチャーも交えて落として見せる。 今では「師匠」と呼ばれるような、物まねを得意とする芸人たちが当時こぞってその話芸を物まねするほど、まさに伝説ともいえる漫才師だった。

ここで、自分もぼやいてみたい。

世界の資源大国の偉い奴ら、聞いてるかー!自国の利益優先で「報復措置」とかいいながら、輸出制限したり輸入品に関税かけたり、資源を外交駆け引きの道具にするなー!

もちろん、武力戦争は問題外だが、資源戦争もえー加減にしいやー!自分達だけでやってりゃいいのに他国も巻き込むなー!責任者、出てこーい! でも、ホントに出てきたら「ゴメンちゃい」するしかないけど…。

これで尺は足りただろうから「お囃子」と共に高座を降りることにする。

【道修町博士(ペンネーム)】

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