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小さなヨットを作っている人はこんな人

私が作っています。

21歳でウインドサーフィンを始めました
風と遊ぶようになったのはセイルボーディングが始まりです
        
23歳で縫製作業を始めました
UPスポーツ(スカイスポーツ大御所)さんでミシンをお借りしてセールを作り始める。
その後、工業用ミシンとセールクロスを購入しセールを作るようになり縫製業を開始。
この頃からFRP作業も始め、自分のボードをFRPで作るようになる。
         
25歳でウインドサーフィンのワールドカップ選手になる
24歳 シューズメーカーのアシックスのライダー契約。
その後サーフボードメーカーと契約
ハワイのマウイ島に半年住んでWSFの毎日
海外のセイルメーカー・ガストラ ボードメーカー・F2のサポートを受ける
ワールドカップ選手として戦うようになる。
     
30歳 ウインドサーフィンのセールのデザインと縫製を再開。
ウインドサーフィンの選手を引退して3年ほど社会人として働き退社。
工場を借りてセールのデザインと縫製 販売を再開。
     
32歳 大阪から琵琶湖の近くに引越し
セールテストのためゲレンデが近い琵琶湖に引越す。
今もそこに住んでいます。超がつくほど田舎ですがとても良い環境です。
     
40歳 カイトボードというスポーツと出会う
UPスポーツからカイトボードの道具を2セット渡されて練習開始。
カイトボードと言うスポーツはできたてのホヤホヤでスクールもなく わずかなアドバイスで独学。
     
41歳 カイトボードのスクールとショップを始める
裏方ということでカイトボードショップ開店。(裏方とは修理などは受けますということです)
が、裏方ではなく店長になってました・・・で半年後にはインストラクターが故郷に帰り独立
私がインストラクターをするようになり
道具の販売 インストラクター 縫製作業 FRP作業を一人ですることに
眠る時間が・・・・・・・
     
46歳 椎間板ヘルニア・・・・
無理するとこうなるお手本のようです。
走ることすらできなくなる。金属プレートが4枚入ったコルセットでカイトボードのスクールを
続けていたがテンションが急降下。椎間板ヘルニア克服民間療法を開始。
     
48歳 椎間板ヘルニアから開放される
約3年の治療で走れるようになりテンション上昇。
で、ここでヨットに目が向くことになります。すでに腰椎の椎間板は4箇所つぶれて
一箇所は消滅。背筋と腹筋が強いから生活できているような状態。
ジャンプがメインのカイトボードに完全復帰する気にはなれない・・・・
ヨットのコンセプトは小さく 軽く 一人で運べて 艇庫を借りなくても家に置けるサイズ。
障害者でも楽しめて 長さ2m 幅1M ・・・だったのですが・・・・現在は障害者が楽しめるヨットには至っていません。
私の兄が右半身マヒの障害者なのでそんな兄でも楽しめるものは卵のようなアウトライン。
よく似たものはこの頃に世にでております。私も一時デザインに絡んでおりましたが今はノータッチです。
私は卵型の障害者用ヨット好きなんですけれども・・・・カッコイイとは・・・・でも可愛いヨットで好きです。
紹介しない理由は障害者の方はヨットから落ちると介助者の方がいないと再びヨットに乗ることができない
のです。小さなヨットにはそのリスクが残っているので障害者用ヨットはまだ少し時間がかかりそうです。
     
50歳 気がつけばそんな歳です。
マリンスポーツ用品の修理業、縫製修理 製造 小売
そしてヨット作り。
風をエネルギーにするレジャーが好きで今もFRPと糸くずにまみれる日々です。