仮面舞踏会
BY 流多和ラト
<ACT 2>
学校の朝は礼拝から始まる。
同じ服を来た少年達が整然と並ぶその頭上から降り注ぐ自然の光は虹色で、夕暮れに訪れ
た時とはまた違う顔をその空間に覗かせていた。
白いマリア像が穏やかな顔で光の祝福を受けている。
その静寂の中、淡々と流れる神父の朗読だけが空気に重みを与えていた。
だが良く見れば静けさの大半の原因は生徒の殆どがその声を子守唄替わりに居眠りしてい
るせいだろう。
確かに朝一からこれはきついかも知れない。
本来なら注意すべき教師達も何時もの事なのか口を挟む者はいなかった。
それを見ていた新一自身も観察という目的さえなければ同じ運命を辿っていた事を否定出
来ない。
チラリと傍らのクラスメイトを見遣れば彼は他の生徒達と大して変わりなく目を閉じてい
た。
しかし彼の場合そうしているからと言って本当に眠っているとは限らない。
現にほんの少し新一が視線を送ればすぐにパッチリと曇りひとつない瞳が開いた。
「今日も校長来てねえみたいだな」
快斗が囁く。
「ああ、昨日一寸聞いた話じゃ結構出張とか多いらしい」
「寮長にして息子のアンリ・フォン・ウィルヘルムにも結局まだ会ってねえし」
「昨日は体調悪くて欠席してたみてえだけど…」
やはり肝心のこの学校を統べる一族には会っておきたい。
今朝にはここで会えるかと思っていたが…。
快斗は目線だけを巡らせると空席の目立つ椅子を幾つも見た。
「それにしても案外出席率よくねえのな」
そう呟いた時その中にコクランの弟、コリンズを見つけ目を細める。
小柄な彼の体は他の生徒の影に埋もれそうであるが熱心に神に祈る様は離れたここからで
もよく分かった。
何を祈っているのか。
だがよく見れば不真面目な生徒に混ざって中には真剣に祈っている者もいる。
しかし快斗にはここに在る何もかもが無意味に映った。
基本的に信じるものは己の力のみ。
後は、そんな自分よりも信頼している<彼>と。
もう一度ゆっくりと奇跡のような存在に目を遣れば本来は居ない筈のその人が居る。
プリズムに彩られた輪郭が淡く秀麗な横顔を照らし、長い睫が頬に同じ色の影を落として
いる。
幻のように美しい光景に不意に沸き上がる不安が快斗の瞳を翳らせた。
「バーロ」
途端呟かれた言葉に苦笑すればついでに足元に奔った衝撃に全てが現実だと知らされ
る。
「目、覚めたか?」
「…覚めた」
本当に新一は絶好調のようだ。
蹴られた足の痛みを確かめるように摩り自然綻ぶ口元を必死になって押さえ込む。
これ以上はきっと手加減なしの本物の蹴りがとんでくるだろう。
全員が立ち上がる音で礼拝が終了した事を知ると今度は揃って教室に向かう。
その途中、同じクラスの人間らしい少年達がどんどん先へ進んで行く中一人取り残されて
いく後ろ姿に新一は声を掛けていた。
『コリンズ』
反射的に振り向いてしまってから少年は悪夢を見たようにいかにも気の弱そうな目を見
開くと一気に血の気を下げた。
昨日同様必要以上に恐れ戦く様子に新一は引っ掛かるものを感じ思わず逃げようとした彼
に手を伸ばした。
簡単に捕まった身体は新一よりも頭一つ低く、本気で震えている。
『悪い、でも一寸教えて欲しいんだ、何でそんなに…』
そこまで言った時、やはり昨日と同じく駆け付けて来たのはコクランだった。
『おい!何やってるんだ?!』
厳しく締った顔に剣呑な光が浮かべばダラダラと歩いていた周囲の生徒達は顔色を変え
皆一目散に消えていった。
教師達は先に校舎に戻っている為他に彼等を見咎める者はいない。
兄の登場に一瞬眉を顰めたコリンズはしかしそれ以上に気に掛かる双児の存在にたちまち
目に涙を浮かべた。
それには新一も驚いたらしく目を丸くして取り敢えず手を離そうとしたが、すぐ傍らで沸
いた気配にハッとして振り返る。
『学習しようよ、おニイチャン』
声は明るく弾んでいるが目は笑っていない。
それどころか底冷えする昏い獣のような鋭さが掴まれた拳から伝わってくるようでコクラ
ンは呆然と固まったまま息を呑んだ。
(…何だ?こいつ…)
弟と新一を先ずは引き剥がそうと伸ばした手を横から捉えたのは快斗の手であった。
女と見紛う繊細な指。
それなのに全く動かなくなった腕に愕然とするよりその笑顔の奥に潜んだ真冬のごとき冷
気に金縛りにあったようなショックを受けた。
だがそれは一瞬にも満たなかった、現実には。
すぐにニッコリと屈託のない笑顔に変わった。
……気のせい、だったのだろうか。
『おメーさ、弟可愛がるのもいいけど甘やかし過ぎなんじゃねえの?』
からかい混じりに笑いながら解放された腕に内心ホッとした事に軽く舌打ちしながら眦
を吊り上げる。
『…何も知らないくせに、お前には関係ない』
『まあな、ただもう一寸踏み込んでみねえと分からねえ事もあんじゃねえかと思って
さ』
悪びれる様子もなくサラリとそう言って快斗は新一を促す。
先を行った二人の後で兄弟は無言のまま暫し見詰めあっていたが、やがてコリンズは目を
反らすと校舎とは反対の方向へ歩き出した。
一人取り残されたコクランはどちらを追う事も出来ず立ち尽くしていた。
冷たい風が冬を呼んでいた。
「快斗おメーさ、コクランを変に煽ってるだろ?」
校内にある昼食専用の食堂を出るなり新一がそう切り出した。
教室ではなく人気のない廊下を選んで二人は立ち止まった。
「やっぱ分かる?」
「たりめーだ」
新一は今朝の事だけでなくこれまでの彼の態度からとっくに見抜いていた事をようやく
口にした。
快斗は猫のような目を輝かせるとニヤリと笑う。
「なんかさ、ああいう力はあるんだけど真面目で融通利かない奴って見てるとつい遊び
たくなるんだよなあ」
「あ〜?何だよそれ?」
さあ?と快斗は目を泳がせる。
「でも力があるってのはほんとだぜ」
「そんなに凄いのか?あいつって多分元(?)ボクサーだよな?」
目の配り方や身のこなしを見ていれば想像に易い事ではあったが、何時も彼が簡単に拳
を捌いているように思っていたので意外な言葉であった。
「スピードもパワーもフットワークもいいぜ。暫くやってねえみたいだから訛ってる分
を差し引いても結構なもんだよ。ただ俺は上手くポイントを抑えて流してやってるだけ」
「ふ〜ん、おメーにそこまで言わせんなら相当だな」
新一は素直に感心しながら手元の名簿に目を落とした。
こちらに来るにあたり当然ある程度のデータは持ってきている。
学年、職員別に作成されたそれと、過去三年の間に行方不明になったという生徒のもの。
勿論これらは一般の人間が入手出来るものではない。
通いで働く職員や物資を供給する出入りの業者についてはICPOが別で調査済みである。
まずはDr.レッシュの情報を探りながらも過去同じく行方不明になった生徒について尋
ねてみる事にしている。
それが一番の早道のような気がしていた。
やはり長い休み時間でなければ幾ら人数が少ないとは言えあらゆる人間に声を掛けようと
いうのは無理があった。
寮に戻ってからでは各自部屋に引込む者が多い上妙に目立ってしまうので校舎での方が都
合がいいのだ。
「じゃあな、俺は取り敢えず過去の行方不明者と直接面識のありそうな三年の奴等から
あたってくる」
「ああ、俺は一年から行ってみるよ。後でまた会おうぜ」
快斗は手ぶらだが勿論自室に帰れば新一と大差ない資料を持っている。
しかし取り敢えず彼にとってそれは必要ではなく、行方不明者など必要な情報はその頭に
全てが入っていた。
二人は片手を上げると互いに別方向に歩き出した。
何時もの場所で昼休みを満喫していた少年三人は唐突に現れた人物の纏う清冽な空気に
気圧されるように投げ出していた足を心持ち引いてみせた。
程よい日当たり具合の音楽室は彼等のたまり場。
普段から素行の悪い彼等のそんな所へ普段なら足を踏み入れる者はない。
因に彼等はクラスは違うが新一達とは同じ学年である。
『一寸いいか?』
その声で間違いなく現実と知った少年達は顔を顰めながらも頬を若干赤く染めた。
目前に佇む東洋の少年は光に溶ける美貌を更に近付けて来る。
それが誰なのかもうこの学校で知らぬ者はない、工藤新一である。
『何の用だ?』
やはり先ず先に口をきいたのはヴィオラ・ネイスミス、彼は昨日新一達に朝からいいよ
うにやられた三人組のリーダー的存在である。
『話がしたいんだ。…エルラッハ・ヒューとお前が仲良かったって聞いて』
途端ヴィオラの顔色が変わる。
何処か投げやりな態度であったものを一転して強い警戒と拒絶を纏わせた。
『誰から聞いたか知らねえが話す事なんかないね、帰れ』
低く短く言い切った言葉に他の二人の少年はリーダーの意志に倣うよう椅子から立ち上
がった。
『大体てめえ昨日の事といい、新入りのくせに生意気だぜ?!』
一番背の高いシュラー・オットーは新一に立ちはだかるように歩み出た。
コクランには劣るが新一よりは遥かに大きい。
『あの時は油断したけど今度はそうはいかねえぜ。それに、今日は片割れ居ないじゃね
えか』
ベリーショートの髪にピアスをしているのは昨日新一の一撃を受け撃沈したモートン・
ライオネル。
新一はそんな二人をチラリと見ただけで、後は変わらずヴィオラに向き直った。
その瞳の吸い込まれるような深さにゾクリとするが彼は軽く目をしばたかせると顎で仲間
に合図した。
『参ったな…俺は別に話がしたかっただけなんだけど』
新一がそう言った時にはすでに足元にはまたも少年二人が同時に床と仲良くなってい
た。
何といっても彼は今絶好調、そのパワーは抑えてあっても黄金の足から繰り出される威力
はかなりのものである。
しなやかな足は舞を舞っているように軽やかであったのに。
『悪い、つい反射的に攻撃する癖がついてんだよ』
新一は肩を竦めて目を丸くしているヴィオラの前に座わった。
つい、で攻撃とは一体どんな生活を送ってきたと言うのか。
『…そこまでしてお前もエルの事を面白おかしく聞きたいってくちか?』
勝気な瞳の中で傷付いたような翳りがおちた。
恐らくその友人が行方不明になった当初色々と心無い事を言われたに違いない。
週末の豪勢な娯楽に浸れる人間など決まっている、大抵の者は暇を持て余し身近な話題に
興じ時に人を無意識に傷つける。
新一はそんな彼を静かに見つめた。
『…いや、俺は見つけたいんだ、過去に残されたピースを』
瞬間深まった蒼の双眸があまりに真直ぐで…ヴィオラは一瞬声を失ったが、鳴り響いた
休みの終了を告げるレトロな鐘の音に顔を上げるとそれを契機に無言で立ち上がりその場
を後にした。
「しょうがねえか」
新一はため息をついて立ち上がると倒れている二人を一瞥しただけで自らも教室へと
戻っていった。
『よお!』
あまりに陽気な声に嫌々ながらも振り向いてしまうのは彼が根は真面目な人間である証
拠のような気がする。
そして想像と違わぬその顔を認めてコクランは思いきり顔を顰めた。
『…何だ?』
『別に。珍しいとこで会うなあと思って』
重厚な本に囲まれたコクランはお世辞にもそれが似合っているとは言えなかった。
これが活字中毒のここに居ないもう一人の彼であったならこれ以上ないくらいしっくりと
馴染んだだろう。
分厚い本を一度閉じ、後は無視を決め込むように立ち上がると背を向け棚へと戻す。
大きな棚の最上段であっても彼は台を必要としない。
この寒さでは外へ出る者などなく、また身体の弱い(一部はそうでもないが)少年達に
とっての娯楽など知れているので広く暖かく快適に造られた図書室は昼でも人気の場所
で あった。
だが快斗がここに足を向けたのは一学年の教室に顔を出したついでであった。
そこにコクランがいたのは偶然であるが快斗はこれをチャンスとふんだ。
いかにも振り切るように出て行った彼を当然のように追い掛け…追い越す。
あっと言う間に前方に回り込んだ快斗を呆れを通り越し怒りの顔で睨めば
『折角だし一緒に行こうぜ』
ケロリと返され嘆息する。
いい加減慣れても良さそうなものだがそれがコクランの性分なのだ。
だがそのお陰で散々痛い目に遭ってきたというのに…。
『ところでコリンズ休みなんだって?』
『わざわざ教室覗いたのか?!』
『ついでだよついで』
『……お前には関係ないだろう。第一、何でお前といいクドウといいあいつに構おうと
するんだ?』
『そりゃあ、おメーがその度に慌てて飛んで来るのが面白れえから。…つうのもあるけ
ど…』
そこで言葉を切ってコクランの反応を確かめるように視線を移し予想通りムッとしてい
る彼にニヤリと笑う。
しかし次には気付かれない程度に目の色を変えた。
『初めて会った時、妙な事言ってたろ?』
今度は何を言い出すのかと内心で構えていたコクランはあまりに意外な言葉に目を丸く
した。
『……<悪魔>とかなんとかさ』
沈黙した彼を引き戻すように快斗はそう言って肩を竦めた。
『俺さ〜、結構人受け良いって自負してんだけど、おメーの弟を筆頭にどうもこの学校
の奴等どっか変て言うのかよそよそしいんだよな〜』
初めに向けられる好奇の視線に混じる別の感情。
気のせいかと思っていた。
何よりあの<彼>と並んだ姿は我ながらインパクトがあるだろうと思う。
だが大なり小なり<恐怖>にも似たそれを誰もが持っていたとすれば事情は変わる。
昨日と今日、取り敢えず手当たり次第に声を掛けていた快斗であったが流石におかしいと
思い始めた。
思えば初日教室に入った瞬間…いや、あの虐めをしていた少年達に会った時からそれは
あったのだ。
誰もが初めだけで後は普通に打ち解けてくれるが一部はずっと……コリンズはその代表で
あり反応が顕著だった。
快斗は今どんな些細な心の機微にも気を配らねばならない。
『何かもう自信喪失でさ、で、それとあの言葉って関係あんのかなって…』
そんな事くらいで喪失するような繊細なハートの持ち主には全く見えなかったが、弟の
件で釘を刺す良い機会と思い直しコクランは不意に立ち止まり快斗を見た。
通り過ぎていく他の生徒達が快斗に注目しながらコクランと目が合う前には消えて行く。
邪魔にならぬよう更に窓辺に寄る。
寮と同様教室程ではないがきちんと暖められた廊下から校庭を眺める。
その体温で僅かに窓が曇った。
『……コリンズは…病気なんだ、俺と違って本当に療養目的でここに来た。……だから
あいつにはもう構わないでくれ』
『…まあそれに関して困らせるつもりはねえけど。でもそのおメーも結構嫌われてるよ
うに見えるのは気のせいか…?』
『それはそうだろう、元々身体が弱いあいつに更に大怪我させたんだからな……俺が』
コリンズが右足を引き摺っている事は当初から快斗も新一も気付いている事である。
細まった眼差しに快斗は少なくとも笑うのをやめた。
『……負い目があるから構うって…?』
『…色々とあるんだ』
硬質な横顔に快斗はそれでも一瞬探るような視線を向けたが最初の質問に答えて貰って
いない事もあり再び口を開く。
『で、さっきの<悪魔>の事だけど…』
だがそれをかき消した鐘の音に折角の空気もまた霧散した事を悟った。
無言のまま歩き出した長身の影で快斗はため息をついた。
寮の食堂では生徒達が温かな夕食を楽しんでいた。
決められた時間内に来て各々が好きな席に座り食事が出来る。
朝とは違い服装はまちまちで制服の者も居れば部屋着の者も居る。
やはり豪華な造りはホテルのレストランのように整っていて使用される食器の類いも一流
のものだった。
当然一部屋だけでは賄いきれないので学年ごとに部屋は別れていた。
メニューは各自好きなものを、…この辺もアレルギー体質の生徒に合わせての配慮だろ
う。
「で、結局その後は聞けなかったんだ?」
「ああ、流石に入れ替わりもそれなりに早いらしくて以前行方不明になった奴を知って
るって奴も、突き詰めてみればそいつだけだったんだ。…でもガードが固い上に時間切れ
だった」
上品なクラシック音楽に紛れる声は例え聞かれたとしても周囲には理解出来ない言語で
あったろう。
噂の主であるヴィオラはまだ姿を見せていない。
ここでは部屋で食事をとる事も申請すれば可能で、もう今日は顔を見せるつもりはないの
か時間をずらしているのか。
部屋に押し掛けたとしても話す気のない者から無理に聞き出す事は出来ない。
それが想像出来る程に気分を害したらしい事は分かっていた。
空いた時間は質問をするふりを装い教師からも情報を集めてみた。
「ついでにDr.らしい人物を見たっていう話もゼロだ。一部の教師にも尋ねてみたけ
どまだ収穫はなし」
「まあそう簡単にはいかねえよな。でもそのヴィオラって奴、ガードが固いって事はそ
れなりに何かヒントも持ってるって事だ」
「まあな。それでおメーはどうだった?」
新一は最後に熱いコーヒーを飲みながら尋ねる。
上等な豆で丁寧にいれられたそれは充分に彼の舌を満足させるらしく思わず綻ぶ顔が何と
も快斗の優秀な頭脳を刺激する。
「んだよ」
「あ…いや別に……。何かこう…コーヒー見てると思い出しそうな事があるんだよな」
「この件と関係あるのか?」
「全然」
「…変な奴」
新一が瞳で先を促す。
快斗はブラックの新一に対し散々甘くした自らの分を一口飲んで、まあいいや、と頭を切
り替えた。
「一年の方は流石に何も知らなさそうだったな。まあ入学前に起きた失踪事件だから無
理もねえとは思うけど、Dr.らしき人物を見たり聞いたりしてる奴もなかった。まだ全
員に聞けた訳じゃねえから分かんねえけど」
「コリンズには会ったか?」
「休みだってさ、どうも朝からそのまま来てねえみたいだ。でも代わりにコクランに
会ったぜ。それについては一寸プライベートな事になるからまた後で話す」
その時だった。
二人の視線は自然に扉へと注がれた。
華奢な少年が一人入って来るのが見える。
色素の薄い金髪に黒…いや、ダークグレーの瞳。
背の高さは新一達と大差ない。
病的に白い肌、だがまるで女性のように柔らかく整った容貌はまさに貴公子然としてい
る。
そしてその少年は何かを探すように視線を巡らせた後こちらを見て微笑んだ。
ゾクリ、新一は不意に背中を奔った何かに瞬間息を呑む。
快斗は空気だけで僅かな彼の異変を知ったが今は近付いてくる人物から目を反らせない。
その少年はテーブルの傍らまで来るとやっと二人を間近で見て驚いたように立ち尽くし
た。
特に新一を見る眼はまるで金縛りにあったかのように動かない。
その中にもやはりコリンズと同じ感情が垣間見え、気を取り直した新一も快斗も無言のう
ちに目許を引き締める。
だがそんな自分を恥じ入るようにやがて苦笑すると、少年は再び微笑んでみせた。
『初めまして、僕はアンリ・ウィルヘルム、お二人とはクラスは違うようですが三学年
にしてこの寮の寮長です。御挨拶が遅れましてすみませんでした。今朝まで体調を崩して
いたので……。途中で転入してきた方とは一度お話しする事にしているんですけど、良
かったらこの後僕の部屋に遊びに来ませんか?』
皆の注目を浴びる中、変声したての少年のような澄んだ声の持ち主はそう言いながら薄
絹の手袋を付けた手をゆっくりと差し出した。
夕食を終えた後二人はアンリの部屋へと向かった。
厚い絨毯の敷き詰められた廊下は殆ど足音もなく、また通りかかる者もない為まるで無人
の館を彷徨っているような感覚に囚われそうになる。
「…あいつに何か感じたようだけど」
「……言われると思ったぜ、でも前と同じでやっぱよく分かんねえ…一瞬だけだった
し。……何か調子狂うな、ここ。上手く言えねえけど…噛み合わない、そんな気がする」
新一は不可思議な力をたたえた蒼の双眸をゆっくりと伏せ、嘆息した。
快斗は無言のままそんな彼を真剣な面持ちで見ていたが、やがて教えられた部屋に辿り着
くと視線はその入口へと移った。
寮長の部屋は最上階の一番奥にあり、返事と共に一歩入ってみれば一際広い造りに感心す
る。
基本的な部分は変わりないが城の残った部分を使ってあるというだけの事はあり全体によ
りクラシックに出来ている。
ミニキッチンが付いているのはここだけが特別なのだろうか。
アンティークなテーブルにアンリは自らがいれたコーヒーを置くと二人に向かいの椅子を
勧めた。
因に彼のみコーヒーは苦手なのか紅茶である。
少し長めに伸ばした金髪が暖かな照明に鈍く輝く。
だがその女性のように整った顔も目前に並んだ一対の絵画の前には褪せて見えた。
『遠い異国からようこそ、ウィルヘルム校へ。色々と不自由もあるかと思いますが皆似
たような境遇を持った仲間ばかりなので一緒に頑張りましょう』
ニッコリと笑ったその顔色はあまり良くない。
今朝まで臥せっていたというのはどうやら本当のようだ。
『…俺は工藤新一、よろしく』
『黒羽快斗、よろしくな』
二人は一応他の生徒と接するよりは態度を少々改め控えめに挨拶をした。
彼はこの学校長の息子であり、省略していたが実際にはフォンの名を持つ貴族である。
お茶を勧められたので気付いたように口を付けた。
美味しいという以外に何の変哲もないコーヒー。
新一には丁度いいが快斗には少し濃かったらしく一緒に出されたクッキーをポリポリやっ
ている。
『Herr.アンリ』
『アンリだけで結構ですよ、クロバ』
『じゃあアンリ、ここって随分と部屋広いんだな』
快斗は辺りを見渡して言った。
『ええ、僕は一応寮長なので他の人達よりは部屋が恵まれているんです。あのキッチン
もそうですし…それなりに雑用もしているお駄賃のようなものでしょうか』
『まだ親父さんには会ってないんだけど、忙しいみたいだな』
新一の言葉に、アンリはたっぷりと十数秒の間を置いて答えた。
その間何をしていたかと言うとただひたすら彼を見ていたのである。
新一が訝し気に目を細めるとアンリはやっと我に返り誤魔化すように紅茶を飲んだ。
『すみません、まだ一寸体調が優れないみたいで……。
父なら先程帰って来ました。あなた方の事は話しておいたのですぐここに顔を出すと思い
ますよ』
『この学校は元は城だったんだよな?』
快斗の質問はアンリの顔を曇らせた。
『…はい、火事で燃えてしまいまして…その時母もまた亡くなったものですから、父が
気を使って学校を建ててくれたんです。僕は別の似たような寄宿学校に居たので、もう二
人きりの家族なのに離れ離れは辛いですから』
掛ける言葉が見付からず、取り敢えずコーヒーを飲んで場を繋ぐ。
食器の微かな物音だけが響いた。
『ところで、あの塔って一体何なんだ?』
少しして快斗は何事もなかったかのような顔と声で窓からごく近くに見える例の塔を指
差した。
すでに暗くなった景色の中にぼんやりと聳えるそれは切り落とされた巨木のように何処か
寂し気に佇んで見えた。
残念ながら後少しのところで中までは見えない。
最上階のここですらそうなのだからやはり上からの景色を確かめるには実際昇ってみるし
かないのだろうか。
『あれですか?あれは物見の塔と言います。城だった頃の名残りで、あの位置ならば工
事の邪魔に辛うじてならないだろうと父がわざとに残したんです。…古いし見栄えも悪い
し何故かと思われても仕方ないですけど、一つくらい思い出のものがあってもいいだろう
と…』
『…まあな、悪い、別に変な意味で言った訳じゃねえんだ』
『分かってますよ』
その声が急に遠くなったような気がして塔に注目していた二人は視線を戻すとジッとこ
ちらを見つめるダークグレーの瞳にぶつかった。
僅かに目を細め、それによって出来た翳りが彼の顔全体に昏いものを落していた。
不意に沸いた沈黙が不自然で、高まる緊張に空気が張り詰める。
『…君達って…そうして並んでいるとまるで<ヘルダーリンの悪魔>みたいですね』
新一と快斗は内心で息を呑んで目前の人物を意志を込めた眼で見つめ返した。
アンリの瞳は夢を彷徨っているように何処か焦点を定めていない。
『…ヘルダーリンの……悪魔?…それってどう言う……』
またしても<悪魔>。
皆の恐れるような視線、…やはりコリンズが言っていた言葉には意味があったのか?
だが新一が更に強く見つめればアンリはハッとして身じろぐと思わずソーサーのスプーン
を床に落した。
絨毯の上に軽い音と共に転がったそれを彼は反射的に見遣り、固まった。
動こうとしないアンリを見兼ね快斗は自分から席を立つと軽妙な動作で拾い上げる。
再び同じ場所に戻ったそれを見てアンリは青ざめながら
『ごめん、ありがとう』
と呟いた。
『…僕、…幼い頃から酷い潔癖性で…精神科の治療も受けて大分これでも良くなったん
です。手袋もこんなに薄いので済むようになりましたし、これをすれば今は何をしても平
気で、でも……下に落ちたものにまだ触れる事が出来ないんです。もういい加減克服出来
なければと思ってはいるんですけど』
そう言いながら手袋に包まれた手を額に当てるとそのまま力なくくず折れた。
側に立って居た快斗はアンリの体を椅子に縫いとめるよう支えた。
『おい?!』
血の気の引いた人形のような白い顔は苦し気に眉根を寄せるばかりで目を開く気配もな
い。
「快斗、寝かせた方がいい」
新一も椅子を立って手を貸そうとしたが、快斗は一人でアンリを抱えると彼にはベッド
の用意を頼んだ。
流石にムッとする間もなく冷静に従うと簡単に運ばれたアンリは柔らかなベッドの上へと
移動した。
ラフな部屋着ではあったが新一は上まできっちりととめられたシャツのボタンを二つ程外
して呼吸を少しでも助けた。
何時も自分がされている事なので哀しいがその辺の事は分かる。
だがこれからどうしたものか、やはり寮内に控えている医師を呼び出すか…そう思案した
時小さなノック音と共に入って来た人物がいる。
旧館にはオートロックの機能はない。
直ぐにカチャリと音がして顔を出したのは初老に差し掛かかろうかという男。
髪は白髪かと思われたが色素の薄い金髪、瞳は薄グリーンである事が分かった。
彼は部屋へ入るなり目を丸くしてアンリの元へと駆け寄った。
そして慣れた仕種で一通りの処置を終えると、落ち着いた様子を確認してから改めて二人
へと向き直った。
その顔に深い驚きの色が昇ると新一は特に己へと注がれる食い入るような視線に秀麗な眉
を顰める。
『…ああ、すまない、大変失礼な事をした。君達があんまりそっくりだったんでつい』
それだけのようにはやはり見えなかったが新一も快斗も取り敢えず相手の出方を見る事
にした。
彼がこの学校の主であり、本当にDr.レッシュがここで行方不明になっているとしたら
これ程重要な人物はない。
『私はリヒター・ウィルヘルム、この学校の責任者にしてアンリの父親だ。運悪く出張
続きで挨拶が遅れて申し訳なかった。しかも、息子が随分と迷惑を……。本当にすまな
い、そして介抱してくれた事感謝する。これは生まれつき心臓に欠陥があって…たまにこ
んな事があるんだがこれでも大分元気になったんだよ。寮長になって責任を持たせてから
余計に落ち着いたと少し安心していたんだが……』
求められるまま握手に応じれば彼は黒い手袋をしたままで皮独特のヒヤリとした感触が
あった。
あまり待たせてはいけないと慌てたのか、少しでも長く息子の側に居たかったのか…よく
見ればまだコートも羽織ったままである。
『招待しておいて申し訳ないが今夜はここまでという事に』
言いながら近くの内線に連絡を入れ、しかし彼はふと顔を顰めた。
『どうかしましたか?』
『待機中のスタッフが今皆出払っているらしい。…まあ何時もの軽い発作だからこのま
ま寝かせておけばいいが……』
心配を絵に描いた顔でリヒターはため息をついた。
仕事から戻ったばかりという彼からは疲れが滲んでいる。
『いいですよ、俺が付いてますから』
『え?でも君…』
意外な申し出だったのだろう、リヒターは目を丸くして快斗を見遣った。
『徹夜も気にならないし、みているだけなら俺で充分でしょう。勿論何かあったら直ぐ
に連絡入れますから大丈夫です』
そう言ってニッコリと笑ったその顔は見る者を安心させる力に満ちていて、それが意識
してのものだと気付いたのは新一だけだった。
リヒターは息子をみていたいという気もあったが……。
『ありがとう…じゃあよろしく頼む。途中でスタッフに空きが出たら交代させるよ』
『いえ、ずっとで構いません。たまには目が覚めたら別の人間が居るっていうのも楽し
いじゃないですか』
快斗の言葉に唖然とする。
『…君は面白い子だな』
これまでこの学園には居なかったタイプだろう。
若干砕けムードになったところでリヒターはもう一度だけ息子の様子を見るとようやく部
屋を後にした。
再び静けさの戻った部屋でアンリの息遣いだけが聞こえる。
まだ消灯の時間には早く皆起きている時間であろうが造りがしっかりしているせいか物音
一つ聞こえない。
「………なんかなあ…また変な感じだよな」
快斗はため息混じりにそう言った。
「ああ、あの校長もやけに驚いてたな。それに、結局今度も昼の時と同じように肝心な
事が半端なままだ。まるで何かの意志でも働いているみてえに…」
『噛み合わない』新一はここに来る前そんな見解を漏らした。
ベッドのアンリを見下ろす。
痛々しい姿に途端伏せられた彼の希有な瞳は何処か傷付いているようにも見えた。
快斗はそれに気付きながら見ない振りをする。
椅子を引き寄せ、座り込むと低くなった目線から新一を見上げる。
「なあ新一、頼みがあんだけど」
「ん?」
「個人のデータでさ、もっと詳しいのが欲しい奴がいてさ〜」
新一は無言のまま目を細めた。
深まる蒼が音もなく圧力をかけてくる。
万人をびびらせるそれをしかし快斗は笑みさえ浮かべたまま受け止める。
「大丈夫、約束したのは<俺だけ>だから全然問題ねえって。今日後で話すつもり
だった事とも関係してるしさ、無駄は省くべきだろ?調べたら後は寝てていいから」
だったらそのお役目が逆でもいいではないか、そう思っても口に出せない理由がある。
確かに新一の元にはある程度のデータがあり、更に詳しく引き出す術もある…合法的に。
快斗とて部屋にはPCを繋げる為の回線が揃っているのだから調べる事は可能だがそれが
完全に非合法である事もまた間違いなく、新一の立場と性格上からすれば自分が折れるし
かないのだ。
そして何より睡眠は身体の基本であり、特に彼にとっては大切な事である。
その辺の事を全てひっくるめての快斗の言動は憎らしい程に計算尽くであった。
「……分かったよ、調べといてやる、どうせ他にも調べたい事もあるしな。目が覚めて
野郎が二人も居たら鬱陶しいだろうし」
多分百人中百人が泣いて喜ぶのではないかと思う事を言って、その人物の名前を聞くと
新一は大人しく背を向けた。
病人の前でなければ何となくの腹いせで蹴りの二発や三発はとんでいたかも知れないが。
黙って見つめていた快斗は、彼がドアを開ける直前になって不意に口を開いた。
「…部屋の戸締まり、しっかり確認しとけよ新一……」
これまでと違い低く落された声に新一は立ち止まって振り返った。
だが快斗は自然と組んでいた腕を解くと、苦笑して肩を竦めただけであった。
自分でも何故そんな事を言ったのか分からないといった風に。
「……じゃあな、快斗」
新一は廊下へ出ると唇を固く引き結んだ。
互いの行動の制限は基本的にしない、そう言った。
それに同意した。
(…あいつ、何を企んでやがる……?)
瞳の奥底に見え隠れしていたのは怪盗のそれ。
そんな眼をした彼から何かを聞き出すのは難しい、新一はそれを理解したからこそここに
今立っている。
だが、何時の間にか自分がため息をついていた事に気付くと少しだけムッとしてそこに居
る筈もない誰かを蹴る仕種をした。
部屋に残った快斗は新一の気配が遠ざかって行くのを待って立ち上がった。
そしてベッドに近寄るとおもむろに寝ている華奢な少年の首に手を添える。
白くて細いそれは少し力を入れれば折れそうである。
本当は恐かった。
一瞬<彼>を連想させたから。
思わず無力であった自分を思い出しそうで、どちらにしてもここで一緒には居たくないと
思った。
それに……。
快斗は部屋の照明をおとした。
都会とは違い外は真の闇に近い。
曇った空は星も見えず他の部屋や庭を照らす僅かな照明だけでは追い払えない程の…魔物
が潜んでいてもおかしくない深い闇。
「アンリ・フォン・ウィルヘルム…」
呟いて、鼓動を感じるそこに力を僅かに加え闇色に光る眼を少年へと注ぐ。
無音の世界。
暫くして快斗の体が離れた。
大きくため息をついて再び椅子に深く座り直すと天井を仰ぐ。
「……奴は何処にいる………?」
その問いに答えるものはいなかった。
翌朝、隔離されたこの閉鎖空間から少年が一人姿を消した。
ようやく登場人物達が揃って何かが動き始めました。
色々と少年達の名前が出てきましたが別に覚えなくても大丈夫です(苦笑)
あの三人組はヴィオラ以下手下とでもしておいていただければ…。
新一の言葉遣いが快斗と喋っている時と若干違うのはわざとなので間違いではありません(汗)
一応半分探偵として活動しているので快斗程崩し過ぎないようにとの配慮です。
どうでもいい事ですね〜(汗)
では待て次号です。(今は何も言えない…)まだ事件は見えて来ませんが、活動開始ですねv
コクランくんは結局翻弄される役所なんでしょうか?
弟への負い目となると複雑なものがありますね。
ああ、それにしても新ちゃん元気なのが嬉しいvv