仮面舞踏会
BY 流多和ラト
<ACT 1>
その日、何時もと変わらぬ怠惰に満ちた一日を過ごす筈であった少年達はその人物達が
一歩教室に入った途端これまでの均衡が崩れ去った事を悟った。
突然の出来事にポカンと口を開け教壇の前に並んだ奇跡のような光景に見入る。
『今日から我が校の一員になった転入生だ、皆仲良くするように』
ビール腹を体現したように丸まるとしたお腹を突き出した中年教師は何故か自分が誇ら
し気に胸を反らせた。
だが当然のごとく彼に目を向ける者など一人としていなかった。
柔らかな光差し込むそこで二人の東洋人は同じ顔、同じ三つ揃いの質の良い制服に身を包
みこの場に居る誰よりもしっくりと着こなして佇んでいた。
それだけでも圧巻な眺めであったのかも知れないがその二人が希有な美貌の持ち主だった
としたら…それはもはや夢だと思えた。
固唾を呑んで見つめる幾つもの瞳に夢の住人の一人が形の良い唇を開いた。
『日本から来ました、工藤新一です。よろしくお願いします』
流暢な発音、耳に心地よいテノールが音楽のように流れれば傍らの住人も同じ声で倣
う。
『同じく日本から、俺、黒羽快斗!よろしくな』
しかしこちらは元気一杯そう言って、いきなり手の中からピカピカと光る金貨を何処か
らこんなにというくらい溢れ出させるとそれを色とりどりの紙吹雪と共に一気に教室中に
バラ播いた。
彼としてはここで鳩の数羽も出しておきたいところなのだが、残念ながら以前飼い馴らし
ていたものは全て知り合いに預けてしまってあるのだ。
『お近付きの印ね!』
ニヤリと笑ったその明るい悪戯な表情にようやくクラスメイト達は現実に返った。
そして吹雪きに紛れ各々の机に乗った金貨を拾い上げる。
軽い感触…チョコレートだ。
この展開は新一も知らなかったらしく目を丸くしている。
そんな風に訳の分からないままに秋というよりはすでに初冬と言うに相応しい一日は、変
わった転入生が初日早々教室を汚した罪で教師に叱られるというハプニングと共に始まっ
たのだった。
『お前等転入生だったんだな』
ため息と共にコクラン・オーブリーは傍らを歩く二人の東洋人に話し掛けた。
『今朝はどうもコクラン』
『だからわざわざ事務室の場所を聞いたんじゃねえか』
一人は涼やかに、一人は屈託なく笑う様子に、笑顔一つでここまで印象が変わるものか
と驚きつつ周囲の食い入るような視線に苛々しながらコクランは今の自分の状況を嘆いて
いた。
彼は朝新一達が助けた弟、コリンズの兄でありいきなり喧嘩を吹っかけてきた人物でもあ
る。
二人はコクランとクラスが同じであった。
そのよしみという訳ではないが、コクランが寄宿舎の副寮長であった事から担任の教師に
学校の案内を頼まれたのだ。
それが何故そこまで嫌な顔をするのかと言えば朝誤解した一件の事もあるが、彼は一応肩
書きは持たされていても実は人付き合いは悪く周りには恐れられ硬派で通っている人間
だったからである。
それが今朝から話題でもちきりの二人を伴っていればその注目の高さに慣れていないコク
ランは居心地の悪さに怒りを覚えるだけであったろう。
日本では考えられない程広く重厚な造りの校舎を後にしてやっと三人は外へと出た。
何時降雪があってもすでにおかしくない時期にきている為空気は冷えきっているがその分
澄んで景色がハッLリと見える。
こちらもやはり日本の規模とは比べ物にならない程何処かのホテルの庭先のように整えら
れたプロムナードは美しく、季節柄葉は青々と茂っていなくとも充分に美しい景観であっ
た。
しかも何処までも続くのは自然だけで学校に関する建物の他は特に何も見当たらないのは
圧巻だ。
それはこの学校の位置を考えれば頷ける。
ここは元は貴族の城であったものを持ち主であり現学校長であるリヒター・フォン・
ウィルヘルムが火事で城が燃えた事故と今やたった一人の家族となってしまった体の弱い
息子を、預けてあった寄宿学校から手元に引き取る為に建設した特殊な学校なのだ。
どう特殊なのかと言えばこの寄宿学校…ウィルヘルム校では他の学校にはない特別な計ら
いがあり、土地柄を利用して体の療養を目的とした男子生徒だけを集めているのである。
ここはドイツだけでなくヨーロッパで古くからリゾートとして知られるSchwarzwald
(黒い森)の中に在った。
黒い森とはドイツの南南西に位置し東西が約60・、南北は200・もある広大な森でフ
ランスの国境沿いまで広がっている。
森林浴発祥の地で随所に温泉が湧き、釣、カヌー、スキーなど様々な娯楽も揃っている。
実際幾つもの温泉施設の充実ぶりは凄く、バーデン・バーデンなどはその代表で華やかな
カジノがある事も見逃せない。
このウィルヘルム校は黒い森北入口側に位置する四大大学都市であるハイデルベルグとそ
の少し南、バーデン・バーデンとの中間に位置する。
因に東側にはやはりテュービンゲンという四大大学都市の一つが名を列ねており学業も盛
んな土地であると言えた。
週末を利用して容易に保養地へと出かけられる事が学校の最大の売りでもあり実際入学に
あたり大変な費用を伴なうここに入れる生徒は皆それなりの金持ちで、彼等の一部はそう
やって本当に過ごしている者もいるらしい。
『…ところでお前等本当に双児じゃないのか?』
今日一日で散々聞かれた事であろうがつい口に出てしまう。
『赤の他人だ』
『不思議な事だけど』
素晴らしいタイミングで返され訝し気に目を細めたがコクランは直ぐにどうでも良い
ようにため息をついた。
『まあいい…ここには病気だけでなく色んな事情抱えて入った奴も多い…。詮索は特に
しないさ、どうせそこまでの興味もないしな』
同じ顔で同日に同郷から転入…、それが偶然?
姓は違うがここまで似ていれば(しかもどうもよく知った仲でもあるようだ)血の繋がり
がないと思う方がどうかしている。
二人共に朝の事を思えば体を煩っているようにも見えない、少なくとも一日はしゃぎま
くっていた癖毛の少年などは特に。
では家庭の事情という奴だろう、でなければこんな異国の辺境の土地に隠されるように
など …。
コクランは勝手に納得した。
自分もまた似たような事情を背負っているのだから。
『どうりで…、療養目的の生徒しか入れないって割には元気な奴が多いと思った』
新一の言葉に快斗は頷く。
『要するに一寸いいとこのお坊っちゃんで後ろ暗い奴等が一時的な避難場所として使っ
てるって感じ?』
見え見えとしても表向き医師のカルテを用意出来、かつ多額の入学費用を払える家柄の
者でしかそれは出来ない事からそんな身も蓋もない事を言う。
自然と入る視界に彼等の様子をずっと見ていたが、その外見に似合わず辛辣なものがその
内側に見え隠れするとコクランは思った。
人との対応の仕方は各々に異なる。
新一はどんな相手にも一定の距離を置いて卒なく捌き(周りが何故か近寄り難くしている
というのもある)、快斗は逆に懐に入り込むように愛想を振りまきつつ自分のペースに巻
き込む。
相手を観察する事に慣れている彼は、双児のような彼等が内包するものは似ていてもその
質は全く異なる事に気付き始めていた。
『それにしても今朝は何で人が居なかったんだ?』
新一の瞳がこちらを見て一瞬ドキリとしたが顔には出さない。
『朝は全員で礼拝するのが規則なんだ、まあサボる奴もいるがな…』
朝の光景を思い出し眉を顰める。
あの虐めグル[プはよく礼拝をサボっては遅刻してくる獲物を待ち構えているのだ。
弟の姿が見えない事に礼拝を抜け出したのはその危惧があったからである。
『へ〜そうか、面倒だな』
快斗が正直な感想を漏らす。
そうこうしているうちに礼拝堂に着いて三人は凝った造りの建物を見上げる。
放課後のそこはしかし特に熱心な信者がいるという訳でもないらしく人の気配はない。
中へ入る。
整然と並んだ椅子と細かなステンドグラスが柔らかな光を注ぎ一種閉ざされた宗教独特の
世界を展開している。
特にキリスト教徒でなくとも膝を折りたくなる厳かな雰囲気がその足元にまで沈澱してい
るようだった。
『思ったより広いな…』
『どうやらそれは一寸ばかし違うみたいだぜ』
快斗の目が何を捉えているのか新一は直ぐに理解出来た。
見た目よりも広く感じたのはその壁に仕込まれたもののせいだ。
人の気配はなくとも薄暗い空間にぼんやりと佇む人影。
鏡だ。
壁のある高さまで全て鏡がはめ込まれたそれが奥行きを出し今三人を写していたのだ。
この学校の生徒数は通常の学校よりも遥かに人数が少ない、その為の配慮だろうか。
『見栄っぱり…?』
『変わってるな、それにここで祭ってあるのは<マリア>だ』
十字架の下にたおやかに佇んでいるのはキリストそのものではなく、キリストである赤
子を抱いた聖母マリア。
白く穢れのないシンプルなその像の表情は穏やかでまさに慈母に溢れた顔をしている。
一瞬新一が黙り込んだので快斗はさり気なく探るような視線を向けたがすぐに何でもない
ように目線を巡らせたので彼もまた素知らぬ振りを装おう。
『おい、もう行くぞ』
コクランの声で振り返った二人は礼拝堂を後にした。
『あの変な建物は?』
新一が指差した先にあるのは古びた石造りの塔だった。
丁度礼拝堂の後方にあたる。
横幅はあるが高さは精々三階弱程度と言ったところか。
『あれは<物見の塔>って言われてる。何でも昔城だった頃に警備の為の見張りが立っ
てたとか何とか。でもあの高さじゃ大して意味ないと思うけどな』
『入れるのか?』
『今は立ち入り禁止だ、全体が老朽化して脆くなってる。それに俺も一度入った事があ
るが中は空だぞ』
『…空?』
『でっかい煙突みたいなものだって言えば分かるか?あの塔の天井はないんだ。
ただ見上げればそのまま空が見える。壁に直接設置された階段を昇ってちょっとした足場
から外の景色が見えるだけってやつだ。
…クドウだったか?変なものに興味があるんだな』
入れないと言っているのにどんどん塔に向かって歩いて行く新一に仕方なくコクランは
付合う。
『そういう性分なんだよ。それに、確かにちょっと珍しいし』
快斗は苦笑して、しかししっかりと後を追いながらそう言った。
近付いてみれば新しく造られた校舎に比べ確かに古びており、苔蒸した様子は余計に寂れ
と年月を感じさせた。
横にある小さな四角い木戸にはそこだけ新しい鍵がきちんと掛けられている。
『だから入れないって言っただろ』
熱心に扉を見ている新一にそう言ってため息をつく。
彼はここまで案内するにあたってよく細かなところにまで質問がとんできた。
普通ならどうでもいいと思う事まで様々に。
だから思っていたよりも時間が掛かってしまいコクランは疲れていた、精神的に。
(まるで探偵だな)
呆れたように心の内だけで独りごちる。
と、その時カチャリという金属音が響いて思わず我に返る。
何時の間にか新一と入れ代わるように体を割り込ませていた快斗は木戸に手を置くと耳障
りな音と共に呆気無く開いてみせた。
『クロバ?!お前なにやってんだ?!!』
『これさあ、鍵壊れてるみたいだぜ?一寸触ったら簡単に外れちまった』
そんなに柔な鍵には見えなかったが…目を丸くして近付けば新一は複雑そうな顔をして
いた。
『折角だから入ってみようぜ』
弾んだ声であっと言う間に中へと消えた快斗を呆然と見遣れば何だ言っても続いて入っ
てしまった新一に、コクランはどうする事も出来ず仕方なく自らも扉を潜った。
長身の彼にはこの小さな扉は辛い。
新一達でさえ中腰で入らなければならない程である。
本当にこれって通用口か?そんな理不尽な怒りすら沸き上がってくる。
やっとの思いで中へと入ればキョロキョロと元凶である二人が天を仰いでいた。
『本当にまんま空が見えるんだな』
新一は周囲の壁に触れながら言った。
石畳になっている床は長年の風雨で土砂が入り込み黒く汚れている。
『だから言っただろ!それから、ついでにここを昇ろうなんて考えるなよ、こんなのに
乗ったらすぐに折れるからな』
階段と言っても木の棒が等間隔に直接壁から螺旋状に突き出しているだけで手摺もなく
危険極まりないものだった。
しかもその木は腐っておりそれを支える壁自体も脆い。
世程卓越した技術とバランス感覚の持ち主でなければあっと言う間に落下するだろう。
一瞬快斗の目が細まったように見えたが、コクランが退出を促せば素直に二人が従った
ので取り敢えずホッとしてようやく宿舎へ向かって歩き出す。
宿舎はその塔からごく近い所にある。
礼拝堂を塔の東とするなら宿舎は南で校舎と皆が集まる為の広い講堂だけが離れている。
言わばこちらは生活圏と言ったところだろう。
宿舎に住むのは生徒の他に学校長を始めとする教職員、そして当然専属の医者も含まれて
いる。
神父は資格を持った職員の一人が兼ねていた。
寄宿学校と言えば普通は十三歳の一学年から十八歳の六学年までと一貫した教育システム
が主流だが、ここはそれとは違う。
体などに問題を抱える少年を療養目的で迎える為の施設であり、日本と同じで十六歳から
十八歳…つまり高校と同じ受け入れ体勢でクラス数もごく少なかった。
その分行き届いた世話が出来るという訳だ。
三年生と教職員の住む寮の塔側は旧館と呼ばれ、城の残った部分を使い改築されたもので
それとぴったり繋がり増築するようにのこり半分の一・二学年が住む新館が建てられてい
た。
全部で一棟しかないがその広さと大きさはまさに城。
広大な私有地を持つ貴族だからこそ出来る事である。
地域特有のなだらかな曲線を緩く長く描く屋根のフォルムが美しかった。
『コクランてさ、顔は恐いけど結構面倒見いいよな〜』
あっという間に陽の沈んで来た景色を見ながら快斗が言った。
途端跳ね上がった眉をまるで気にした風もなく続ける。
『だって嫌々でもここまで根気良く付き合える奴って普通いないぜ?』
『自覚があるなら何でさっさと済むよう協力しないんだ?!』
怒気を目に込め相手を睨むが彼はまるで怯えた様子もなくやはりなんの手応えも感じ
られない。
こんな事は初めてだった。
だが考えてみれば今朝彼は自分の拳を躱したのだ…。
『だって面白いじゃん』
一瞬思考に沈みかけたコクランはあまりに無責任にして簡潔な発言にとうとうキレた。
固めた拳を風のように繰り出して…しかしハッとすると簡単なフックに変える。
予想はしていたがまたも簡単に避けられて小さく舌打ちすると己の拳をちらりと見てため
息をついた。
『寮の舎監は旧館…一番塔側の入口を入って直ぐの所に居る、後はそこに行って説明と
鍵を受け取って来い。じゃあな』
それだけを言うと背を向ける。
一刻も早くこの場から去りたいと思った。
『悪い、付合わせて。ありがとなコクラン』
そこに新一の声が掛かりつい顔だけを振り向かせた。
押し迫った夕闇に浮かぶ一対の絵画はゾクリとする程幻想的で、不意にこれを振り切らね
ば取り込まれそうな焦燥感に捕われた彼はやっとの事で歩き出す事に成功すると、後々気
付いたように額の汗を拭った。
先に食堂で夕食を終えた後もう一度改めて舎監に会い、届いていた荷物を受け取ると二
人は部屋に案内された。
本来なら三年生である彼等は旧館に部屋を貰える筈なのだが急な転入という事で取り敢え
ず新館に通された。
そして先ず出たのはため息であった。
一言で言えば豪華。
これが本当に寮なのか?という程備え付けの家具も敷き詰められた絨毯も小物に至まで一
流の調度品で設えてあるのだ。
曇り一つなく磨かれた大きな窓からは陽が昇れば豊かな自然の眺望が楽しめるだろう。
広さはそれ程でもないがそれぞれバストイレ付きで一人に一部屋の割り当てとなれば破格
だ。
療養に来る生徒の集まる学校なのだから個室は頷けるがそれにしても規模といい設備の充
実ぶりといい外観に違わず一流のホテルのようである。
そして予想していたとはいえ渡された鍵の数には驚いていた。
入口から個人用のポストに至るまでひたすら鍵づくしなのである。
自分のものは自分で責任をもって管理する、そういう御国柄なのだ。
因に各部屋の入口はオートロックが当りまえであるので鍵は常に身につけていなければ後
で泣くはめになる。
「…すげえ、流石に貴族の持ち物だけあるよな」
舎監が帰り、すでに充分に暖められた部屋に入った途端新一は感心したように辺りを見
回した。
「ほんと、金ってあるとこにはあるんだなあ。この壁の飾りなんて手彫りだぜ」
隣の自分の部屋には荷物だけを放り込んで当り前のように新一に付いてきた快斗は一部
飾り細工の施された木の壁を一撫ですると、上着を脱いでネクタイを緩め手近な椅子を引
き寄せて座った。
この部屋の主である新一がベッドに腰掛けたからだ。
やはり暑いくらいなので彼も上着は脱いでいる。
フカフカの羽布団の感触を感じながら新一は一瞬奇跡のような弧を描く眉を顰めた。
快斗は僅かに顔を上げたが彼が口にした言葉に途端苦笑する。
「…で?おメーの目的って話せるか?」
新一がこんな事を言うのも無理はなく、それはまた快斗も聞きたい事であったのだ。
今朝大きな門前で少しの差で車から降り立った同じ顔…同じ制服に身を包んだ互いを見て
の第一声は
「「何でおメーがここにいるんだ?」」
であった。
見事にハモった。
何と言う奇跡か、こんな異国のこんな特殊な場所で示し合わせたような出会い。
互いの立場を思えば絶対にないとはいいきれないがその確率は限り無くゼロに近い筈。
以前に遭ったのは夏のパリ。
とある美術館の地下で別れたきり、数カ月が経過している。
話は後で落ち着いてからにしようという事で今の今までつっこんだ会話はしていなかっ
た。
「…話せるぜ、面倒だけど大して込み入ったもんじゃねえから。この学校にパンドラの
手懸かりを持ってるかもしれねえ奴が紛れ込んでるって情報を拾ってさ。でもそいつの顔
も名前も分からねえんだ…。で、片手間で潜入してあたってみるのも限界あるし一番手っ
取り早く転入って形にしたって訳」
「顔も名前も分からないって…どうやって探すんだ?」
「まあひたすら地道にやってくしかねえよな」
快斗がため息を付きつつ肩を竦める。
彼がどんな風に何を乗り越えここに居るのか新一にはまるで見当もつかない。
簡単にそう言って微笑むその瞳の強さが哀しくも逞しい、新一は目許を僅かに和らげた。
「そっか…。俺はICPOからの要請でこの学校の調査に来た。人探しだよ、おメーと同
じで。今から約二ヶ月前に世界的にも有名なフランスの天才外科医Dr.ベルナール・
レッシュがここドイツのハイデルベルク大学に特別講師として招かれてその大学を出た直
後に行方不明になったんだ。Dr.のスケジュールは大学の講議の後この学校を表敬訪問
して、で、更にその後テュービンゲン大学へ行く筈だった。この学校に来たという記録は
ないしテュービンゲン大学へも勿論来ていない。ところがこの学校では創立してたった三
年で以前にも生徒で何人か行方不明者を出してんだ。一応地元警察はここが怪しいと睨ん
でる」
「単にその生徒は学校が嫌になって家出しただけって事は?」
「その可能性も勿論あるから警察も強くは出られねえんだよ…」
それに、と新一はため息をつく。
「ここは貴族の私有地、ドイツ警察は憶測だけで迂闊に捜査は出来ねえんだよ。んな事
言ってらんねえと思うんだけどよ、ついでに言えば行方不明になった生徒の中には政府の
高 官の息子もいたらしいから余計表沙汰に出来なくて厄介なんだ。でもDr.に緊急でオ
ペ を依頼したい奴がいて二ヶ月も経った今になって巡り巡ってICPOに廻ってきたんだ」
「そのオペを頼みたい奴って大物なんだな」
「…まあな、でなきゃ多分こっちにまで廻ってきやしなかっただろ」
ドイツという国において時に警察の力も及ばぬ勢力がある。
それが貴族だ。
彼等はその莫大な財産と古くから地域に浸透した権力で現実に地元警察を各々圧倒する事
が出来る。
貴族が関わる事で大事件に発展しない限り暗黙の了解で普通は警察の方が関与しないよう
にしていた。
「それで一番怪しいこの学校を内密で潜入調査する事になって俺が急遽派遣されたって
訳だ、どうせそのうち冬の研修もあったし一番怪しまれず潜入出来るのは俺だしな」
何と言っても現役高校生である。
組んだ足を無造作に投げ出しパタンとそのままひっくり返る。
「…あの時の刑事は?」
「友良の事か?確かにすげえ童顔だし結構いいかもしんねえけど今担当する仕事でイギ
リスに行ってる筈だ」
(役立たず)
快斗は眉根を寄せ内心で毒づいたが天井を見ている新一には見えない。
彼は知らないが快斗は実は友良とは面識があり当然名前も分かっていたがそれは内緒にし
ている、諸々の事情によって。
「……身体の調子はどう?」
ベッドに寝転ぶ新一を見て快斗が言った。
さり気なさを装っている風で緊張に満ちた声が耳元に届くと新一はゆっくりと起き上がり
二ッと笑った。
「絶好調」
言い切った瞳の美しさと華のような笑顔に思わず快斗の時が止まる。
何度見ても本当は慣れない、この至高の輝きには。
だが表面上は顔色一つ変えずに快斗は見詰め返す。
その意味するものが何なのか新一には分かり過ぎる程分かって苦笑する。
「今度こそマジだって。この厄介な身体にも波があって確かに一時期ずっと不調だった
のは認めるけど、今はすげえいいんだぜ。第一そうでなきゃいくら適任だからって一人で
こんなとこまで派遣してくれる訳ねえだろ?それにあくまで<調査>だしな」
笑いながらもフと憂いを滲ませた新一に、快斗は曖昧な表情を浮かべる。
彼の事情から察するに確かにここに来るにあたり体調の面では本当に安定しているのだろ
う。
でなければあの小さな主治医が許す筈がなかった。
どんな手段を用いても引き止めただろう。
転入手続きをする際作成された偽りのカルテは実際の彼よりも世程健康体に記述されてい
たのは皮肉である。
そしてICPOとしても本当に一人での行動にはきっと賛成ではなかったに違いない。
それだけ緊急だったという事か…。
オペを望んだその大物とやらに怒りすら湧いてくる。
(調査だけ…?道を歩いてるだけで死体に当る奴が?)
本当にそれだけで済むのだろうか。
ましてここには<自分>というキーワードまで揃っているのに…。
それにまだ他に快斗には引っ掛かっていた事がある。
「今日礼拝堂でも、さっきも一寸様子がおかしかった」
「…あ?ああ、別に体調が悪かった訳じゃねえよ。何かこう…変な気分になったような
気がしただけだ」
流石に目敏いなと半ば呆れたように感心して新一は記憶を辿る。
「何を見て?」
的確な質問。
こんな時相手があの白い怪盗だと言う事に気付かされる。
「さっきはほんとによく分かんねえし、あの時も別に意味はないと思う。…ただ、あの
マリア像見てたら……ゾッとしたんだ」
お化けに怯えた子供がそれを暴かれ照れ笑いするように心持ち頬を染める。
これを見たのが快斗以外の人間であれば腰砕け、もしくは理性が一瞬で彼方へ飛んでいた
に違いないそんな表情。
だが彼は自分の杞憂が的外れであった事にホッとすると今度はクスクスと笑いだした。
笑いだしたら止まらない。
「おメー笑い過ぎ」
いきなり顔面目掛け飛んで来た物体を快斗はそれでも首だけを動かして避けた。
流石の反射神経であるがそれは余計に彼の怒りを煽ったようだ。
すかさず立ち上がりボールの要領でつま先だけでそれを跳ね上げると手に持ち直接避けよ
うもない角度で殴りつけた。
「…そこまでやる……?」
相手は枕なので大した衝撃ではないがあまりにもらしい反撃にうまく言葉が見付からな
い。
「あれだけ笑えばな」
そう言って枕をどけ、しかしそこから癖毛が更にくしゃくしゃに乱れている様を見ると
新一はあまりにも間抜けなその姿に堪え切れなくなって笑いだした。
「おメーこそ笑ってんじゃねえよ、やっと纏めてあったてのに!」
ブスッとして、でも相手の顔を見れば自然に顔が綻ぶ。
一緒になって笑う。
「…初めてだな、こういうの」
快斗の言葉は笑いの為に少し震えていた。
「ああ、何て言うか<友達>みてえ」
同じようにまだ笑顔のまま新一が頷く。
もしも二人が今背負っているものの何もかもから解放され普通に出会っていたのならあり
得たかもしれない現実。
ただの学生として共に学んだり遊んだり、時を共有する。
簡単そうで実現しない夢。
これまでに寝食を共にした事はあったがその時は黒の組織との戦いの最中で、しかも快斗
は決してキッドとしての立場も態度も崩さず現在とは程遠い緊迫に満ちた関係であった。
まして素顔を晒す事すらなかったのだから。
それが今はこんな風に笑い合う事が出来る。
各々が仕事で来ているというのに不謹慎かも知れないが楽しい、と思う。
例え一時としても今彼等は本物のクラスメイト同士であった。
「結局俺達の目的は一緒って訳だろ?」
快斗は手櫛で髪を大まかに整え未だ笑顔を保ちながら、しかし眼だけは途端怪盗のもの
に変えて新一を見遣る。
「まあな、簡単に言っちまえばお互い人探しって事だからな」
新一も答えるようにその瞳に探偵の光を乗せた。
空気がピリリと引き締る。
「じゃあさ、ここは一つ協力し合おうぜ。つっても別にお互いの行動の制限は基本的に
しない、ただ調べた事とか気付いた事を後で報告するんだ。
どうせ俺は片っ端から探りを入れてかなきゃなんねえしさ、ついでにDr.レッシュの情
報も聞けるかもしれねえだろ?」
「分かった。…でも俺は顔も名前も分かんねえ奴をどうやって探せばいいんだ?」
「それについては仕方ねえ、何でもいいからおメーの持って来る情報をこっちで勝手に
判断させて貰う」
「それってあんまフェアじゃねえような気がするんだけど?」
「んな事ねえって、何たって<工藤新一>の情報だもんな、すっげえ貴重だぜ」
限り無く本気の眼をしている快斗に新一はただ静かに頷いてみせた。
「そんじゃ俺はそろそろ部屋に戻るよ、明日からよろしくな……新一」
「こっちこそよろしくな、快斗」
実は間抜けにも互いの名前を意味を込めて呼び合ったのは今が初めてである。
新一は快斗に合わせていたのだろうが、快斗は少し照れ臭そうに俯くと口元に微笑を刻ん
だ。
そして立ち上がるとドアの手前で光るものを放る。
「それ、幸運のお守り。甘いもん苦手なの知ってるから今日の記念品としてとっといて
よ」
新一の手の中に正確に収まったのは今朝快斗が教室でバラ播いたコインチョコ一枚。
柔らかな照明の中キラキラと光る金色の包みを見て新一は目を細めた。
「Gute Nacht(おやすみ)」
快斗はそのまま部屋を後にした。
部屋と変わりなく暖められた廊下に出ると、快斗は後ろ手に閉めた扉に軽く寄り掛かった。
「参ったな」
呟きは複雑な響きを伴いゆっくりと空気に溶け込んでいった…。
やはり先ずは出だしと言う事で説明だらけです(汗)そしてリク内容その1、ドイツの寄宿学校に双児という
事で転入してくる快斗と新一。乙女のロマン大爆発!!な設定です(笑)折角だから何で同室じゃないんだ〜
と一番悶えたのは実は私なんですが(汗)一寸参考にした本によれば自己管理が徹底した国という事で個室か
なあと…。でもその方が都合いい事もあるかもです、どうせこの二人は恋人ではないですしね(笑)
そして双児については本人達は否定してますが周囲が勝手に気をまわして双児と思っているので取り敢えずク
リアって事で(汗)ではこの先どうなっていくのか…暫くおつき合い下さいませ。新一と快斗が二人一緒というだけでいいんですv
ああ、やっぱりラトさんの頼んで良かった!
理想のセッティングですよ。
二人で普通の“友達”をしている彼等がまだ子供なんだと思えて
いい雰囲気でした。でも、なんだか悲しいね。
そして、新ちゃん絶好調(余計に不安か・・) 麻希利