法然堂
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坂本から登っていくと、観光客でにぎわう根本中堂よりほんの少し手前に、「法然堂(金勝院)」がある。
「法然上人得度後旧跡」の石碑がある。
その当時から続いているお寺や坊というわけではなく、昭和に入ってからゆかりの地にお堂を作ったらしい。「お堂」といっても広めの民家に祭壇を作っているような感じ。
法然は十三歳ぐらいで比叡山に入り、東塔、西塔と場所と師をかえながら、四十三歳までいたらしい。
延暦寺の中を歩くと、そこかしこに、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元などがここで学んだことが誇らしげに書かれている。
が、これは自慢するようなことなんだろうか。
いずれも天台宗に対する批判勢力として活動した人物ばかりだ。だから、新しい宗派を起こし、その祖となっている。
これって、なんだか「江川卓を阪神タイガースのOBに数える」のと同じぐらい違和感がある。
ところで、この法然堂、当然浄土宗だと思っていたら、天台宗だった。法然の後半生は「天台宗との戦い」だったといってもいい。天台宗の圧力で、弟子は殺され、自身も流罪になっている。「そんなところに自分の名前なんて使わないでくれ」といいそうな気もするのだが。 |
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