亀堂の石垣
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東塔に近くなると、立派な石垣が出てきた。
「城郭風」といってもいいが、本当は順番が逆だろう。
坂本や比叡山で石材の技術者集団として働いていた穴太衆は安土城などの建築に駆り出された。安土城はその後の城郭建築を決定づけ、穴太衆も全国に駆り出された。
お城の方が、「比叡山風」とか「坂本風」といわれてもいいのかも。
この石垣の上に、石垣の立派さに比べると、ささやかな大きさの堂がある。
尾ひれがついた数字だろうが「坊舎、三千」いわれた延暦寺のことだ。信長の焼き打ちまでは、この周辺にも立派な建物が並んでいたのだろう。
石垣はその名残か。 |
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