尺八曲と流派




- 尺八は、演歌などの歌謡曲の演奏に使われたり、民謡や詩吟の伴奏、あるいはポピュラー曲の演奏に使われたりしますが、古くからの伝統としては、古典本曲と言う尺八だけの演奏、古曲を演奏する一形態を指す三曲合奏(箏/琴、三絃/三味線、尺八)がその道の常道です。
- 尺八の”本曲”と言う場合、尺八だけの独奏、あるいは連管(同じ旋律を大勢で吹く)で吹き、一般に神聖なものとして、扱われる場合が多いのです。
そしてこれらの曲は師弟関係によって伝授されることによって、演奏出来る権利、あるいはまた自分の弟子に教えることが出来ると言った形態になっているものが大半です。
だから、流派と言う、いわば自分の所属しているグループにだけ伝わっている曲なら教えてもらえるし、また自身、その曲を公の場で演奏することも可能になる。
しかし、他のグループの曲は演奏が出来ないし、また、吹かないのが暗黙のルールです。
封建的と言えば確かに封建的なようではあるが、別な角度から見れば、知的な創造物にたいする一種の権利保護システムであり、今日の著作権などと同じようなものとも言えます。(現在、公の場で他人の作曲した曲を演奏する場合には、その都度、著作権料を支払う義務がある。それとシステムこそ違え、伝授されたことにより、演奏件及び新たな譲渡権限を得ることになります。このような訳で、尺八の曲を習う場合は、どんな曲を演奏したいのかを理解する必要があります。
例えばねどこかで聞いた尺八曲に憧れて、その曲を習いたいと思っていたのに、門を叩いた師匠はその曲を教えないことが後で判った、と言ったことになりかねません。
- 尺八本曲には、”虚無僧曲”を地なし尺八で吹くグループ、都山流のように中尾都山の作曲した曲を”本曲”として服吹く場合、琴古流は黒沢琴古が虚無僧行脚で集めてきた曲を中心にまとめた琴古流本曲として吹き、あるいは、上田流や海童道、竹保などの流派でも流祖作曲のものをもっぱら演奏しします。
これら”本曲”を吹くグループは、民謡や詩吟の伴奏をしないのが一般的で、民謡尺八や詩吟尺八演奏家はそれら専門の師匠が教えているようです。
- 明暗流の尺八を吹いている人は、一般には三曲ものを演奏しません。
琴古流、都山流、上田流、竹保流等では、三曲ものは大体の師匠は教えておられるようですが、この内、宮城道雄、久本玄智と言った、近代新日本音楽のものや、現代曲を吹かない方も結構多いようです。
初めて尺八を習う方にとっては、師匠選びも大変です。
- 流派の違いによって楽譜(譜面あるいは譜本)の違いがあります。

一般には尺八譜は音程と言うよりは、指遣いによって示しています。
カタカナのような場合もあります。あるいは数字で表している場合もあります。
例えば、”ロ”とカタカナのような記号が書いてあれば、指孔を全部塞ぐことを意味しましています。
その記号の横に”甲”(かん=かんだかい声なんて言いますね)と書いてあれば、オクターブ高い音、”乙”(おつ=りょ、なんて書いてあるものもあります)の場合オクターブ下を表します。
流派による記譜の違いや、独特の演奏法の違い、尺八の持っている構造的な差により、演奏された場合の曲に、各流派によって異なった独特の雰囲気を醸すことになります。しかし、洋楽の影響を受けた現代曲等ではその差異はあまり有りません。あるいは、流派の癖を避けるのが一般的ですが、逆にその流派の持った癖を要求した演奏を求める場合もあります