2020.03.20 (Fri)   天、共に在り(中村哲著 NHK出版)
 
 なにがすごいかと言うと、「第一部 出会いの記憶」を読んでいると自分の子どものころの記憶が瞬時によみがえる。風景をながめて、あるいはドラマのワンシーンをみて子ども時代にフィードバックすることはあるけれど、文章を読んで幼いころの一場面々々々を鮮明に思い出すのは稀である。
「はじめに」に、アフガニスタンと密接に関わった30年間の軌跡を振り返って中村さんは記している。「現在までの経緯を忠実に描こうとすれば、幼少時から備えられた数々の出会いを記さないわけにはいきません」。中村さんの伯父(母方)は火野葦平である。中村さんは1946年に生まれたが、火野葦平が若かった太平洋戦争前、国民の多くは農業に従事していた。
 
 戦後の昭和30年ごろでも小生の実家近くには広い農地がそこかしこにあり、高いビルもなかったから空が大きかった。彼方の山々を遠望し、たなびく霞やレンゲ畑、青々した麦畑を見て、待ってました出てくる小川のメダカ、フナを見て春を感じた。
そういうのどかな景色を思い出す反面、わが家では夜な夜な既婚男女と独身男女が出没し、酒宴をくりひろげていた。主催者兼出資者は敬虔な信仰者の母。酒宴費用をどう捻出したのかいまだにわからない。父はふつうの給与生活者である。母の口癖は「金のなる木があるじゃなし」。
 
 酔狂なと思われるだろうけれど、母は一滴の酒も飲めない。人が飲み、歌ったり踊ったりするのを愉しむのだ。実家から400メートルほど離れた駄菓子屋の女房が元芸者で三味線を弾いた。駄菓子屋の名は「まねき屋」。くずれた雰囲気の中年だったが腕はよかった。彼女のうれしそうなふるまいに母の支払う日当の高さが反映されている。
 
 酒宴に集まる人たちは彼女を「まねきさん」と呼んだ。まねきさんは小唄端唄の類はむろん、流行歌も譜面なしで弾いてしまう。既婚女性は主に踊りと民謡を、既婚男性は軍歌、独身女性は歌謡曲。隠し芸と呼ぶような値打ちのあるものは少ないのだが、都々逸がうまいとか、田原坂が真に迫っているとか、芸達者が少数いた。
 
 即興の都々逸を得意とする既婚男性がいた。彼から詞と節回しを聞き、糸にのせる三味線の見事さは子どもにもわかった。数年後、元芸者は脳卒中で亡くなる。品のない嗤い顔と三味の音色を思い出す。
母によると小生は軍歌「ラバウル小唄」や民謡「真室川音頭」を歌ったらしいが、おぼえていない。なんだかんだ言っても古き良き時代だった。女学校時代、母はESSの部長をしていたという。気前がいいから推されたのだろう。
 
 そのころ、エキゾチック満点の「月の沙漠」の歌と影絵、「アラビアン・ナイト」の切り絵に魅せられた。アフガニスタンの名も知らず、遊牧民というのはどういう人なのだろうと想像した。月の沙漠のあこがれはその後もずっとつづき、夢に出てきた。その思いはガンダーラ美術と文明の十字路と結びつく。素朴で単純な話だ。
 
 
 中村さんは福岡市出身。実家は母方・玉井家とつながりが深く、祖父玉井金五郎は石炭の冲中仕組合「玉井組」の創始者で、火野葦平作「花と龍」のモデル。「玉井一族を精神的に束ねていたのは火野葦平のペン」であり、「伯父火野葦平の生き方が記憶に残っている」。昆虫少年中村さんの鋭くゆたかな感性はそのころ萌えはじめていた。
アフガニスタンでの医療業務、ハンセン病患者の診察に貢献したことだけでも瞠目させられるのに、タリバンの跋扈する土地で用水路建設を天職としたのは驚異というほかない。
 
 アフガニスタンの民族構成は複雑。多数のパシュトゥン族、ハザラ、タジク、ウズベクなど20以上の民族、それぞれ異なる言語で構成される。昔から彼らは共生の知惠を体得してきた。
 
 多数の民族のなかにさまざまな部族があって、「天、共に在り」に、「特に農村部では地縁と血縁の絆が強い。そして絆が政治の動きを決定する。各地域の自治、割拠性が著しく、中央との結びつきが薄い。村落共同体では長老会を中心に自治が成り立っている。一般に兵農未分化の社会で、すべての農民は同時に村を守る兵員であることが多い」と記されている。それがアフガン農村なのだ。1970年前後のアフガンが王国のころ、農村は平和で飢餓もなかった。古き良き時代。
 
 30年におよぶ活動を支えてきた主体は「ペシャワール会」だが、初めて上梓された「ペシャワールにて」はいま読み返してもおもしろい。1986年秋、ドイツ人宣教師であるシスターと中村さんは衝突した。彼女はハンセン病を難民キャンプの人々に周知するためのパンフレットに、わざわざ新約聖書のなかからパシュトゥ語に翻訳した文言を付け加える。
こういう行為が彼らの柳眉を逆なでするかを考えず、独善的に行動したのである。中村さんたちのオフィスはイスラム過激派首領のゲストハウス。夜間、自動小銃で武装した輩が出入りする危険な場所だ。イスラム教徒の心情を配慮しないシスターの行為が反発を生み、彼女の指導者意識が過激派を刺激することは火を見るより明らか。
 
 「自分の身は針でつつかれてとびあがるが、他人の身は槍でつついても平気なのであろう。現地の人々よりも自分の信条や情熱の満足が優先する奇怪な倒錯」と中村さんは記す。中村さんは印刷ずみの5000部のうち4800部を回収したが、200部は行方不明。
警告しても、シスターは逆にリーダー的存在の女医(20年以上、パキスタンでハンセン病治療に従事)に訴えると主張する。
 
 女医は長年の取り組みによって住民にとけこんでいたが、ヨーロッパ・キリスト教団体からの資金援助の関係もある。女医がやって来て中村さんは問う。「パンフレットの配布を止め、ロッカーにしまっていますが、シスターの言によると先生(女医)の了承を得ているとのことですが、本当ですか」。
女医はシスターにたずねる。「これは正確な翻訳なの?原本に聖書の文言などないわ」。 シスター曰く、「印刷前に本部に見せたはずです」。女医、「誰に見せたかわからないけど、私は見ていません。本部名で刷られているのは不適当です。ドクター・ナカムラ、どうされますか?」。
 
 「われわれは医療従事者です。宗教的な仕事は関心がありません。焼却します。仕事を妨げるので」。そしてパンフレットを積み上げ、枚数を確認して庭で焼却。「もったいない、何かの役に」と女医が冗談を言い、中村さんは湯をわかして茶をいれた。火のそばでシスターは烈火の如く怒り、「何をしているかわかっているの。聖書のことばがバカげているとでも言うの!」。対して中村さんは、「この場合はその通りです。バカげているのは聖書のことばではありません。それを使う人間がバカげているのです」。
 
 シスターは食らいつく。「アジア人にはわからないのよ。わたしの気持ちなんかわからない!」。そんなことわかるわけがない。経験も性質も考え方もちがう。わからないのが当たり前である。同じ経験をし、性質や考え方が似ていても、受けとめかたに濃淡、深浅はある。貧困、疾病、家族虐殺。どれかひとつでも耐えがたいのに、ぜんぶ背負えるのか。
 
 疾病から逃げられるものなら逃げたい。だが逃げても逃げきれるものではなく、病気の野郎、死ぬまで追ってくる。だから仕方なく立ち向かっている。疾病は職業とちがい選べない。ほとんどすべて選べない人生を背負っているアフガンの人々の労苦は想像を絶する。
 
 自分のいる地域がどのような状況で、誰を相手にし、人間関係をどの程度構築しているかによって伝えかたを工夫しなければ混乱、もしくは対立を招く。やる気満々でも配慮や工夫を欠けば反発される。
聖職者が布教や奉仕につとめるとき、心を配るのは現地住民との融和である。異教徒にありがたい教えを聞かせてやる、おまえたちを救ってやるという伝道が通用するとでも思っているのか。住民にとけこまねば奉仕もへったくれもない。
 
 コロナウイルスを世界にばらまいた中国の経済援助のお返しに丁稚小僧をつとめるWHO代表エチオピア人。わざと後手に回ってパンデミック云々と発表したが、見え見えである。
世界を大迷惑と大混乱に巻きこんだ張本人は謝罪するどころか、「われわれは大いに力を発揮してコロナの押さえこみに成功した、世界は中国に感謝すべきだ」と声明。
 
 ヨーロッパのメディアは「盗っ人猛々しい」とか、「反省の色なし」とか報道するが、日本のメディアは音なしの構え。中国が発表した感染者数や死者数に対しても、ごまかしと思ってもメディアは黙っている。よくよく隠し味が好きなのだろう。そのくせ陰で「実は‥」と言う。中国共産党は丸ごと冥王星へ引っ越し、異星人相手にウソ八百並べればよい。
 
  中村さんの農業用水路建設の動機については「Book Review」の「アフガン・緑の大地計画」に記したのでくりかえさない。人の気持ちは経験した者にしかわからないし、経験した者でもわからないこともある。わかっていても、わからなくても手をさしのべる人がいる。さぞ困っているだろう、これさえあればタリバンの傭兵にならなくても食べていける。家族もなんとか生き残れるかもしれない。
 
 「自分もまた患者たちと共にうろたえ、汚泥にまみれて生きてゆく、ただの卑しい人間の一部にすぎなかった。」 「患者を置き去りにするわけにはいかなかった。状況を伝えても理解を得るのは至難の業でもあった。」
「無駄口と議論はもうたくさんだ。私は催しものと議論ずくめの、中身のない海外医療協力と訣別した」。中村さんの偉業はそうして成し遂げられた。
 
 無駄口と議論。中身のない催し。単純な比較はできないとしても、日本の厚労省、官僚、専門家会議の状況だ。メンバーのなかには花も実も骨もあり、有益な見解をはっきり示す専門家もいるだろうに。火星の木っ端役人みたいに意味不明な厚労相・加藤某は何をしているのか。わかっちゃいるけどやめられないのか。
 
 たかが読書である。しかし人は読書しているとき、本という家のなかに住んでいる。
 
 
 
 
            右はアフガン、および隣接する国々 左は用水路の位置 同書の「主要関連地図」より


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