2020.03.03 (Tue)   アフガニスタンの診療所から(中村哲著 ちくま文庫)
 
 読めば誰にでもわかることだ、中村さんの伝達力が卓越していることを。書くことが中村さんの使命であり、文才が天与であるとしても、書きつづけることによって文章力は強くなった。身体を張って生きている人は理屈を言わない。文章は率直でわかりやすく、しかも神秀である。伝達力とはそういうものだ。
 
 「アフガニスタンの診療所から」は中村さんが亡くなられてすぐ復刊された。「あとがき」を入れても220ページなので読むのに時間はかからないし、文庫本ゆえ価格も手ごろ。襲撃されたという報道で中村さんのことを知った人も多いだろう。それで本書を読んだ人もいるだろう。死後こんなに早く歴史になる偉人はすくない。
 
 中村さんを知れば知るほどアフガニスタンでの行動が偉業だとわかるが、その前に感動する。そして誇りに思う。偉業を達成する人間はごくふつうの人だとわかり、同時に自分自身のあるべきすがたであると思えるからだ。中村さんの人柄なのである。
 
 中村さんはときおり報道について記しているが、小生は常々日本のテレビ報道の取り柄は迅速だけであると考えている。肝心なことは過小に、どうでもよいことは過大に報道し、世の中にこれほど近眼・老眼もいないと思えるようなボケぐあい。彼らはニュースが他局と同じだと安堵する。TVニュース放送は一局で十分。各局週替わりでたらい回しすればよい。
 
 TVニュース番組のキャスター、アンカーマンは、一部の番組を除いて売り出し中の若手女性アナウンサーが務め、カメラ位置の台本を読む。番組の台本たるや造花を花畑に植える園芸店、うわべを飾っているだけ。不安を与えるのはタブーなのか、だいじょうぶみたいなことを言う。いいかげん飽き飽きされているのに制作側は平気。
造花は腐らない。しかしスタッフは腐る。水やりもせず、時々たまったホコリを払う程度、ぼろぼろになってもスポンサーが文句を言わなければそのまま。○○テレビも××放送も、ニュース番組名を△△造花店情報と改名すべきだ。
 
 日本のジャーナリストの多くは官僚より先入観が強く、固定観念は花崗岩より硬い。膨大な情報を持っていても分析力に難がある。ニューヨーク、北京、東京ばかり見ているが、他都市は彼らの地図に載っていないのだろう。
 
 経験のない若手記者が雰囲気に流され安手の情報を鵜呑みにするのは、新型コロナウイルス感染に関する中国政府の発表を真に受けたかのごとくよそおって丸投げし、責任逃れする厚労省とちがってわかりやすい。ただし厚労大臣・加藤某のコメントは、感染症が火星で発生しているかのようで意味不明。
メディアのベテランは仕事をしているかどうか不明。高圧的な奥方と顔を合わせるのを避けたいから出社し、通勤途上で若い女をウォッチングするのが愉しみという男もいる。社のパソコンで何をしているのか見当もつかない。
 
 
 中村さんが指摘しているのは一例だが、随所に一例が登場する。
「1988年のジュネーブで調印されたアフガン和平協定の時も、今にも難民帰還が実現するようなあやまった報道で世界中がわきかえったではないか」。「しかしその後も米ソの武器援助はつづき、混乱はさらに拡大した。(中略)莫大な金を浪費した国連主導の難民帰還計画もまた、山師的なプロジェクトの横行と金による民心の荒廃のあげく、事実上終息した。」
 
 2020年3月3日の毎日新聞朝刊に、「アフガン安定 自ら」という大見出しで、「米国とタリバンの和平合意があった」として、カルザイ前大統領の写真入り記事が載っている。どこの星かわからない遠い天体で合意があったのか。
カルザイという男、大統領時代の賄賂は忘れてやってもいい、が、いまだに「アフガンの安定にはタリバンの選挙参加、暫定政権発足が必要」とご託を。「タリバンがアフガン人を代表したいのであれば、自らの主張を訴えて選ばれる必要がある」などと本気で言っているのか。
 
 民主選挙を実施しようとしたのにタリバンが各所で投票所を破壊したのは、裏でカルザイがタリバンと組んでいたという噂をどうこう言うわけではないとして、そういう話が伝わるということ自体、反対勢力が裏工作していることにほかならない。
カルザイは背後にひそむ輩の正体をつかんでいるはず。しかし明らかにしない。なぜか、利権である。完全民主選挙が実施され、自分の息のかからない議員が多数を占めると塩梅がよくないのだ。
 
 タリバンが和平合意だと。大統領再選を狙うトランプとタリバンの一日か二日の合意である。ばくち打ちがならず者と手打ちし、和平は冥王星で実施されるのだろう。アフガニスタン全土を掌握してタリバン政権を樹立するまでタリバンは戦い、その後も不穏な活動をつづけるだろう。
 
 タリバンの主力は外国からの傭兵である。自分の郷土なら荒廃に身を任せるのは避けたいと考えるだろう。愛は故国に置いてきた、アフガンの人間も米兵も同胞ではない。マスードがアフガン北部のリーダー的存在だったムジャヒディン(自由の戦士)と大きく様変わりしている。
アフガニスタンの農民が一部タリバンに加わっているが、農耕地は干ばつでつかえない、2年か3年後つかえるようになっても異常気象(雪どけ水の激減)で川に水がこない。仕事はない。家族を養うための金が必要だから泣く泣く傭兵となる。
 
 農家の次男三男が足軽・雑兵になった日本の戦国時代と変わらない状況なのだが、戦国大名は田畑を荒しはしなかった。そんなことをすれば自分の首をしめるからだ。タリバンは意味もなく農民を殺すサイコキラーである。米軍の誤爆で犠牲となった市民が多数いることは周知。中村さんの「アフガン・緑の大地計画」は食べられない人々をなんとかしたくて始まったのだ。
 
 中村さんはあとがきに、「私が意図したのは、国連やODAをこきおろしたり、ジャーナリズムや流行の尻馬に乗って国際貢献を議論することではありません。激動の時代のまっただ中で、日本列島のミニ世界だけで通用する安易な常識を転覆し、自分たちだけで納得する議論や考えに水を差し、広くアジア世界を視野に入れたものの見方を提供することです。」と記す。
 
 小生もそれは承知しているけれど、ジャーナリズムをこきおろしたい気持ちもあり、逆立ちしても中村さんのようにはいかない。中村さんは、「21世紀に向けてだの、地球にやさしいだのという流行語で、うわべをよそおって安心しているのが日本の現状だと思えてならないからです。」と述べている。うわべをよそおう特上メディアが新聞。気安め丼を出前する。
 
 小生が旅した1972年秋、アフガニスタンは都市部を除いて数千年の時間が経過していないのではないかと感じた。気の遠くなる昔をそのままそこに置いたかのような風景と、人間の生活があった。そういう光景と出会うのがどれほど稀有なことか。単に鳥肌が立ったのではない、感動が脳を経ず直に血管に入って、身体のすみずみまでいきわたった。
 
 バーミヤンの人々には濃密な純朴と人情が等身大で残っていた。子どものころにフィードバックするという感じではない、太古からのうごめきが人間に宿っていることを想起させる何かがあった。バーミヤンは装わず、装わないことが美しい。
装ってステキなこともある。しかし装ってもムダな動きをすると美しさをそこなう。哺乳類で人間のほかにムダな動きをする動物がいるだろうか。人生にはムダも必要などと理屈をいっているのではない、単純に動作について話している。
 
 鈍くさく見える動作のなかにも美はある。鋭い動作のなかに美しくないものがあるように。立地、年齢、状況に反して不自然にふるまうより、その時々の自然な行為のほうが気にならず、目障りにもならない。バーミヤンに暮らす人々が美しいのは純朴のみにあらず、山野という衣裳を身にまとっているからだ。
 
 中村さんのことばをつづける。「大部分の声なき人々は、何かの主義や思想で動いたのではない、自分のアイデンティティを打ちこわす外からの脅威から郷土(国土ではない)を守る単純な動機で戦い、そして戦いを拒否したのである。」
ここで重要なのは、「郷土(国土ではない)、単純な動機で戦い、戦いを拒否した」である。
 
 「カーバ神殿占拠事件」がおきた1979年11月20日、CIA謀略説が流布し、欧米人の一部が拉致されるなどしてアフガン国境は騒然とした。
 
 CIA謀略説をヒントに制作されたドラマでは、リーム・リューバニが一匹狼の女殺し屋をやったスリラー「Condor」(コンドル 狙われたCIA分析官 全10話)」が秀逸。一度見れば忘れられない個性。
ドラマはカーバ神殿占拠ではなく、カーバ神殿・細菌兵器散布未遂。イスラム教国同士に戦争をおこさせ、中東の何カ国かを滅ぼすという計画である。息もつかせぬ展開は、始まったら終わっており、1話約45分のなんと短いこと、10話はあっという間。誰がどのように阻止するかも妙味。
 
 史実にもどる。サウジアラビア政府は鎮圧に躍起となるが、大規模作戦の失敗は2度におよび、結局パキスタン特殊部隊の応援を要請し、さらにフランス治安部隊の指導を仰いだ。制圧されたのは12月4日。投降者60余名は約1ヶ月後、公開処刑される。ホメイニが関与しているという噂もささやかれたが真相は謎である。
 
 事件のさなか、中村さんご夫婦が滞在していたホテルは群衆に包囲されたらしい。さいわいなことに外出していたので、ホテルにもどって初めて知ったという。米国大使館が襲撃され10人以上が殺されている。大使館員がそのホテルに逃げ込み、群衆が集まったのだ。
「棒きれや石ころが路上に散乱していた。欧米人の宿泊客は通夜のように静かで、異様な空気につつまれていた。暴徒はホテル内のパン・アメリカン航空事務所だけをみごとに破壊し、ほかには手をださなかった律儀さには驚いた。」
 
 奥方が、「まさかこんな所で生活することはないでしょうね。おもしろそうな所だけど‥‥」と言い、中村さんは「何をバカな」と言った。「その3年後、ベシャワールの病院長が日本に立ち寄り、とある海外協力団体に日本人医師派遣を要請することなど知るよしもなかった。気まぐれにとった連絡がこの要請に応ずるハメにおちいった時、『あそこはまんざら知らない所でもないから、ほかの所なら別だけど』と平然とのべたのは家内である。」
 
 「アフガニスタンの診療所から」は中村哲さんを知るための、アフガニスタンを知るため、世界を知るため、そして自分を知るための啓発書である。
 


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