2020.02.26 (Wed)   世界美術大全集 東洋編15(田辺勝美ほか編集)
 
 「世界美術全集 東洋編15」は、主にガンダーラ地方の古代美術に関するカラー写真付豪華本である。当時、金沢大学文学部教授・田辺勝美氏執筆の文章が多く掲載されている。
 
 ガンダーラ仏に関心のない人でも、シルクロード、東西交渉、文明の十字路、正倉院などに興味を持ったおぼえのある人や、仏像の起源を知りたいという人なら、心おどる文章と写真にひかれるのではないだろうか。
 
 「ガンダーラの仏教美術がアジアの仏教美術に対してなした最高の貢献は、釈迦牟尼の肖像を創造したことである。」、「1世紀初め、タキシラのシルカップ遺跡に仏教寺院、仏塔が建立され、ガンダーラ美術の萌芽が見られるが、仏像はまだ出現していない。」
「出現したのは1世紀の後半であろうが、その終焉は不明である。」
 
 「釈迦牟尼は王家出身ゆえターバンを頭に巻き、しかし、出家に際してターバンを放棄。代わりに肉髻相が用いられたが、それは本来、頭髪を束ねたものにすぎなかった。眉間白毫相は仏典では光を放つと記されており、原義は「白い綿のような毛」といわれている。しかしガンダーラ仏では小さなコブ、イボ、ホクロのように表現されているので、本来は面上の突起物であった。」
 
 「長耳朶相は王侯などの身分の高い人が金剛の重い耳飾りを耳朶につけていたことに由来するもので、高貴な身分を象徴する。これらの特異な相好を用いて釈迦牟尼のイメージアップを図ったのである。
体をギリシャ・ローマ風の襞(ひだ)のある衣(大衣と下衣はインド系)で覆って如来像を作りあげた。インド美術やイラン美術には本来、襞の表現はなかった。」
 
 「頭髪が存在するが、僧侶は剃髪しているのに、(釈迦)如来像に頭髪があるのはなぜという疑問は、禿頭は古代において指導者とか国王にふさわしくないとみなされた。国王の頭髪には力とか栄光、吉祥が宿るとされ、髪を切るとこれらが消滅すると考えられた。」
 
 田辺氏は図像学という観点からガンダーラ仏の基本を平易に解説している。いっときシルクロード・ブームがわき起こり、ガンダーラも取りあげられたが、テレビ局の取材、放送は主に中国西域で、パキスタン北西部〜アフガニスタン東部に位置するガンダーラ地方は辺境とみなし、クシャン族(カニシカ王)を野蛮人とみなす先学の流れを引き継いでいた。
 
 クシャン族はしかし、発掘された無数の金貨・銀貨の考証により、表は自国王をデザインし、裏に神仏をデザインしていることが明らかとなる。「クシャン族は神々の擬人化という伝統を持っておらず」、グレコ・バクトリアの文化に出会って、そしてまた、クシャン族のおそらくは「富裕層が現世利益と救済をもとめて仏教に改宗した」こともあって、礼拝物としての偶像をつくりはじめる。
 
 問題は誰がつくるか、誰に依頼するかである。田辺氏は、「ガンダーラではギリシャないしはローマ系の彫刻家に依頼し、尊像を制作させた」と述べ、「クシャン族以前はインド仏教とヘレニズムの擬人像伝統は結びつかず、両者を初めて結びつけたのがクシャン族の仏教徒であった」と述べている。彼らは擬人像を参考にして如来や菩薩像をつくった。
 
 アフガン北部のラバータクから出土したカニシカ1世の碑文に、「王が神々の像と神殿を祖先の王、自分のために制作せしめた」と明記され、クシャン族の王、王侯をかたどる彫刻がスルフ・コタルほかで発見されているのだ。
 
 田辺氏とパキスタンのラホール博物館へ同行させてもらった1972年10月、館内に展示されている仏伝浮彫りをみながら氏がつぶやく。
「レリーフ(浮彫り)は仏像の前につくられたというのが通説となっていますが、ちがいます。先に仏像、後に浮彫りです」。20世紀初めから半ばヨーロッパの学者が唱えたのは、最初に出てきた仏陀像は浮彫りのなかの一部に小さく表現され、歳月をへて単独の仏像がつくられていったという説である。日本の古代インド仏教美術学者もそれを鵜呑みにしてきた。
 
 だが、最初につくられたのは単体仏像で、その後小さな仏伝図に仏像を取り込んだ「仏伝浮彫り」がつくられ、浮彫りは仏教寺院を厳かにするための装飾品となったのである。
 
 仏伝を図像化する前に、ギリシャ、イラン、インド各地の神々や、帝釈天や梵天を図像化した浮彫りが登場する。
ほかにも、「仏伝にはほとんど出てこない神ではあるが、如来の守護神的存在の執金剛神(しゅこんごうしん)」も登場する。「単独の像ではないので、執金剛神が礼拝の対象になったことはなく、釈迦のボディガード的脇役、もしくは分身」という。
 
 ボディガードさもありなんとうなづけるが、分身というところが意味深長。むろん手に金剛杵(こんごうしょ)を持っている。東大寺法華堂において年1回、12月16日公開される執金剛神の実物をみた人、写真でみた人は思い当たるだろう。金剛杵は帝釈天の持物(じもつ)、悪い龍を退治するさいに使われた。
 
 しばらくご無沙汰しているけれど、昔のままなら京都国立博物館の正面に、仏教の造化の神といわれる毘首羯磨天(びしゅかつまてん)の横臥像が置かれているはずである。田辺氏の文章には「びしゅかつま」のいわれの話や、ガンダーラ仏のなかに風をはらんだ布を持つ風神があって、これは「クシャン族の風神アネモス・ヴァドーに由来する」といった話もあるし、宗達も出てくる。
 
 とにかくカラー写真が豊富で楽しめる。文章を読む場合、氏執筆「中央アジアの美術の流れ」と「ササン朝美術の東方伝播」も一読したい。コインとか美術だけでなく東西交渉史の一端をわかりやすく読み取れるだろう。バクトリア、パルティア、スキタイなどの国々もしくは民族、アイ・ハヌム、ハッダ、スワートと聞くだけでしびれるファンもいるかもしれない。
 
 自分の文章は、10年とか20年たって読みかえすと奇異な思いにかられることがある。たいていは不出来、拙さに赤面さえするのであるけれど、あらためて愛着を感じたり、感慨にふけるものもある。自分の子どものようかといえば、子どもなら腹がたっても、出来がわるくてもかわいい、が、不出来の文章に対してそういう愛惜を感じるのは稀である。
 
 その時々の自測基準にしたがって納得できても3年後どう思うか。にもかかわらず納得できる文章も存在する。それはある種の使命感の下に書き記した一文である。史家は研究対象を自分のこととして伝えようという習性を持っている。
新型コロナウイルスに関して熱意のかけらもなく、他人事のように報告を羅列するだけの加藤某厚労相では話にならない。伝達力の母は使命感だ。同様に先学の叙述をだらだらノートする人の文章は読むだけ時間のムダである。
 
 伝達力は、巧みかどうかより自らの内面を見て過去を追想し、現在を想い、文章を工夫することによって培われる。未来とは何か。現在をつないでゆく不断の努力だ。
高齢やら疾病やらで身体が変調をきたすと、一書読了の詠嘆はつかのま、勝ち目の薄い通院の日々に悲嘆し、未来だ、努力だ、気力だと凡夫はクチにすらできなくなる。
 
 使命感を持続することは感動を持続することよりむずかしく、使命感を保持する人の文章はすばらしい。中村哲さんがそうであるように、困難克服の意志を愛でる神が文才を与えたもうたかのごとし。
 
 「世界美術大全集 東洋編15」が同類大書と異なるのは、これが1999年時点の田辺勝美氏永年にわたる研究考証の集大成としての一般概説書であり、興味津々の内容をわかりやすく伝えるという氏の使命感が脈々と伝わる名著であることだ。
肝心なのは、誰が書いているかである。氏が写真撮影に長けていること、したがって掲載写真選びも洗練されていることを申し添えておきたい。
 
 


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