2007.09.26 (Wed)   こころの眼(アンリ・カルティエ=ブレッソン著 堀内花子訳 岩波書店) 
 
 書はそのときの気分や置かれた状況によって読後感の異なることがある。ありていにいって、しあわせかそうでないかで、あるいは経験や年齢によっても印象はちがってくるだろう。
不幸のまっただ中にいるときの読書ほど惨憺たるものはない。活字はほとんど頭に入らず、ゆたかでうつくしい文体、修辞も心に響くことはない。そういう意味では、感銘をうけ読了しおえた書も、書評を綴る段で気持ちが沈んでいればロクでもない文章となるだろう。
 
 だが、アンリ・カルティエ・ブレッソン(1908ー2004)の「こころの眼」(仏語版1996 英語版1999)はそういう杞憂を持たずにいられるエッセイである。
ブレッソンの名を知らない人も決定的瞬間ということばは知っている。彼の処女作「決定的瞬間」(1952年刊 仏語版原題「逃げ去る映像」)は多くの写真家に影響をあたえ、その写真集の文章は本書にも掲載されている。
 
 『現実がくりひろげる世界はじつに豊潤だ。私たちはそれをありのままに切り取り、しかもその本質を簡潔に見せなければならない。けれど、はたして本当に見せるべきものを切り取れているのだろうか。』 
 『私たちの相手は消滅する。(中略)…文筆家には、言葉を選び、文章を記すまで、たっぷりと構想に費やせる時間がある。(中略)‥‥だが、私たちにとって消滅したものは永久に消滅したままだ。』
 
 こうした文章は写真撮影におもむく者だけでなく、ほかの分野にたずさわる人たちにも訴える何かをもっている。じっさい、二十代の私も啓発された記憶がある。
『被写体あるいは主題とは出来事の寄せ集めではなく』、重要なのは、『出来事のなかから現実の本質を表す真の出来事を選び出し、捉えることなのだ』とブレッソンはいう。しかしいまは三十年前には見向きもしなかった、『記憶とはかけがえのないものだ』という何の変哲もない文章に目がとまるのである。
 
 
 かつてブレッソンは遠い存在だった。彼の撮ったモノクロは影絵というか昔絵のようなおもむきがあった。技術とか感性を持ち出すまでもなく、それ以前になによりも、生きてきた時代という点ですでに遠くにいた。あえて近くを探せば、ブレッソンが仏教徒であるくらいのことだった。
ブレッソンはいう、『簡潔で純粋な表現は思いきり削ぎ落とさねなければ手にできない。何よりも被写体と自分自身を尊重して撮影することだ。』(1976)
『内なる静寂をポートレイトで捉えようとするとき、そのシャツと素肌のあいだにカメラをすべりこませるのは容易ではない。鉛筆でポートレイトを描くとき、内なる静寂を秘めるべきは描き手自身だ。』(1996)
 
 ロバート・キャパ(1913ー1954)についてブレッソンは、『私のキャパは、偉大なマタドールにふさわしい耀く衣裳をまとっていた。しかし、殺さなかった。大立者。自分のため、私たちのために旋風の中を、いさぎよく戦いに挑んだ。運命は彼が栄光の頂点にいるときを選んだのだろうか』と語っている(1996)。
 
 写真家サラ・ムーン、詩人・評論家アンドレ・ブルトン、映画監督ジャン・ルノワールなどについても述べており、ルノワールが嫌っていたのは、『わざとらしく、衒った、彼のスタイルの対極にある「アクターズ・スタジオ」風の世界』だそうである‥‥。さもありなん。
ブルトンがこよなく愛したサン=シルク=ラポピーは南西フランス・カオールの東・ロット川上流の美しい村。ハウス・ワインをかたむけ、追憶にふけるには十分な景観である。多くを語る必要はない、記憶の断片は、簡潔に、的確に拾い集められることを夢みているのだ。
 
 末尾に、「いちばん身軽な旅人」と題するジェラール・マセの序文の一部を記して退散したい。
『カルティエ=ブレッソンは墨で書く。墨は水に溶けない。冗漫を許さないインクだ。』
 

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